木谷の死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 08:58 UTC 版)
1975年に木谷が死去した後も、「土曜木谷会」は妻・美春によって続けられ16年間行われた。ここに通った子どもたちの中から大矢浩一(現九段)、梅沢由香里、武宮陽光、桑原陽子らを輩出した。 美春が死去した後は、木谷の娘の小林禮子が「仁風会」(じんぷうかい)と名称を変えて継続した。仁風会では「鳳雛戦」という若手棋士と院生によるトーナメントが企画された。また一般公開されファンの拡大を図った。この棋戦では張栩や河野臨らが優勝しその後も活躍している。 土曜木谷会の弟子たちは、禮子と結婚した小林光一があとを引き継ぐことになった。さらに「小林研究会」を始め弟子以外にも門戸を開いた。当時小林はまだ26歳と現役バリバリで自身の対局と弟子の育成の両立はかなり過酷だった。 現在、道場跡地である 神奈川県平塚市桃浜町11には記念石碑が建てられている。
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