日中戦争期の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 14:28 UTC 版)
対日戦争はCC団の基盤である江浙地帯の喪失をもたらしかねないため、CC団は当初は対日戦争発動に消極的であった。この事が日中戦争初期におけるCC団の特務活動の鈍さにつながり、蔣介石や藍衣社ら党内他派の批判を買った。これに対しCC団は「ソビエト連邦のゲーペーウー(GPU)による殺戮政治の如き」漢奸狩りを開始する一方、共産党との合作交渉を行い、また党内他派との連携を進めた。1938年、蔣介石は軍事委員会調査統計局を再改組し、CC団系の中央調査統計局(中統)と藍衣社系の軍事委員会弁公庁調査統計局(軍統)に分割した。これに伴い特工総部は中統へと改組、廃止された。 1938年12月に汪兆銘が国民政府から離反した際、CC団の幹部であった周仏海、梅思平らがこれに従ったためCC団は大きく動揺したが、後に勢力を挽回した。CC団の指揮する特務活動は対日活動で活躍し、主に日本の軍需経済の情報収集を行ったり、中国国内のみならず香港や海外をも舞台にして日本軍と特務・諜報戦を繰り広げた。
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