文房堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/19 07:54 UTC 版)
種類 | 株式会社 |
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本店所在地 | 101-0051 東京都千代田区神田神保町1-21-1 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 9010001028007 |
文房堂(ぶんぽうどう[1])は、東京都千代田区神田神保町に位置する画材・版画を取り扱う総合文具店である。1887年(明治20年)に創業した[2]。
歴史
1887年(明治20年)、池田治郎吉(当時37歳)が創業した[3][4]。池田は長年にわたって小伝馬町の質屋「門池」に勤務し、将来性を確信した文房具商売を始めるにあたって、門池から百円余りを借り入れ開業資金の全てとした[3]。開業にあたって、中西屋書店の経営者である早矢仕有的に相談、店の一部の狭い店(孫店)を安価な家賃で借り入れた[5]。ハイカラな名称を付けたいと考え、「文房堂」と名付けた[3]。
輸入文房具を取り扱い、近隣の競合店に対して商品の質で勝負した[6]。看板などに斬新な意匠を施したほか、広告手法を工夫し、人気を集めた[7]。のちに福沢諭吉のすすめもあり西洋画材の取り扱いを開始した[4]。
1892年(明治25年)の神田の大火で店舗が全焼した[8]後、中西屋が孫店を新築したため、入居し営業を再開した[9]。
1906年(明治39年)、神田神保町に店舗を新築、移転した[4]。
建物
1922年(大正11年)に作られた鉄筋コンクリート造の建物で、設計者は手塚亀太郎。地上三階建ての建物で、保存された外壁は重厚感のあるスクラッチスタイルで仕上げられている。外観の中には、ロマネスク風でありながらアールデコ調を取り入れられ、重厚感のあるファサードとなっている。装飾の中には、テラコッタの様式が使われている箇所があり、例えば1階上部やアーチ、2階窓台、3階アーチ窓のキーストーン、そして最上部パラペットなどに見られる[10]。竣工翌年に関東大震災で焼失するが、当時は数少ない構造であったことから倒壊を免れる。
1993年(平成5年)には、第二回千代田区景観賞ちよだ景観界隈賞を受賞[10]。
年表
- 1887年(明治20年) - 池田治郎吉によって創業される。
- 1892年(明治25年) - 神田の大火によって焼失する。
- 1906年(明治39年) - 神田神保町に店舗を新築・移転した。
- 1922年(大正11年) - 文房堂ビル竣工。
- 1923年(大正12年) - 関東大震災で焼失するが、倒壊は免れる。
- 1990年(平成2年) - 文房堂ビル改築。
- 1993年(平成5年) - 第二回千代田区景観賞ちよだ景観界隈賞を受賞。
脚注
出典
- ^ “会社概要”. 文房堂. 2025年1月19日閲覧。
- ^ 『帝国現代縦横史:御即位礼記念』時代研究会出版部、1918年、288頁。
- ^ a b c 『赤手空拳市井奮闘伝』実業之日本社、1930年、133頁。
- ^ a b c 中野区立中央図書館 編『中也と中野と中央線 (中野区ゆかりの著作者紹介展示)』中野区立中央図書館、2019年、20頁。
- ^ 『赤手空拳市井奮闘伝』実業之日本社、1930年、132頁。
- ^ 『赤手空拳市井奮闘伝』実業之日本社、1930年、135-136頁。
- ^ 『赤手空拳市井奮闘伝』実業之日本社、1930年、134頁。
- ^ 桑原萍水 編『神田人物誌』神田公論社、1916年、282頁。
- ^ 実業之日本社編 編『赤手空拳市井奮闘伝』実業之日本社、137頁。
- ^ a b “文房堂ビル” (PDF). 千代田区環境まちづくり部景観・都市計画課景観指導係 (2024年12月23日). 2025年1月19日閲覧。
外部リンク
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