慶応の軍制改革とは? わかりやすく解説

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慶応の軍制改革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 03:54 UTC 版)

幕府陸軍」の記事における「慶応の軍制改革」の解説

第二次長州征討敗戦後慶応2年1866年8月以降15代将徳川慶喜によるいわゆる慶応の改革」の下で再び大規模な軍制改革が行われた。幕府中枢への総裁制度導入により陸軍局設置され従来陸軍組織の上乗る形で老中格陸軍総裁置かれた。そして、幕府直轄軍事組織一元化進められ大番などの旧来組織解体ないし縮小されて、余剰人員のうち優秀な者が親衛隊的な性格奥詰銃隊遊撃隊奥詰後身)などとして陸軍へ編入された。講武所陸軍編入され研究機関である陸軍所となった。すでに一定の洋式化が進んでいた八王子千人同心編入され八王子千人隊改称されている。組織の拡大あわせて陸軍奉行若年寄格への昇格歩兵奉行並や撒兵奉行並の設置など指揮系統整備された。 築造兵と称した工兵隊天領農民組織した御料兵の編成もされた。また、シャルル・シャノワーヌ大尉フランス軍事顧問団による直接指導導入され、その訓練を受ける伝習隊新規に編成されることとなった兵員調達方法改正され従来兵賦による歩兵隊のほか、旗本禄高ごとに銃隊整備させて、数家分を組み合わせて小隊大隊級の銃隊編成する組合銃隊制度施行された。組合銃隊用の兵員は、歩兵隊とは異なり平時は各旗本屋敷待機することとされていた。しかし、翌慶応3年1867年1月に、兵賦については金納をもって替え、その資金幕府直接雇用する形態となった幕府歩兵隊傭兵化)。この様にして次第陣容整い慶応3年9月初め段階で、合計48大隊総員24000人の規模を誇るまでになった。 さらに9月組合銃隊についても、幕府財政事情や、銃卒の給金雇い主旗本によってまちまちであり、構成人員旗本譜代家臣旗本知行地出身者口入屋通じ雇ったなど奉公人入り雑じり著しく部隊均一性を欠く等の事から金納による歩兵隊へと変更され旗本軍役金納のみとなり、各旗本貢租半額拠出することとされた結果組合銃隊廃止された。各旗本が銃卒を解雇したため、歩兵隊雇用され一部を除く5千人もの解雇者が発生解雇された銃卒が集団で屯ろするなど、大きな社会問題になった。しかしその後王政復古など社会情勢変化により、増員迫られ相当数人員再雇用されたものと推定される最終時点で、幕府陸軍歩兵隊8個連隊一橋徳川家播磨領で第16連隊編成されて、計9個連隊であるとも言われる。)と伝習歩兵隊4個大隊中核に、日本最大西洋式軍事組織となっていた。

※この「慶応の軍制改革」の解説は、「幕府陸軍」の解説の一部です。
「慶応の軍制改革」を含む「幕府陸軍」の記事については、「幕府陸軍」の概要を参照ください。

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