徳川家臣に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 17:43 UTC 版)
天正19年(1591年)に徳川家康に初めて謁見。この時、本多正信・大久保忠隣両人に紫鷹弟鷹を献上。これより徳川家に召し出されて小姓となり、月俸三十口を賜う。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には上杉景勝の抑えとして皆川隆庸・服部正成と共に兄晴清の援軍として大田原城を守備し、戦後に下野国の森田に1,000石を与えられ、以後は同地に住した。 慶長7年(1602年)7月には改易された陸奥国の相馬義胤の居城であった相馬中村城の守備に兄晴清に属して当たった。同年12月28日に下野国芳賀郡に500石を加増され、合わせて1,500石の旗本となっている。
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