岩代国とは? わかりやすく解説

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いわしろ‐の‐くに〔いはしろ‐〕【岩代国】

読み方:いわしろのくに

岩代


岩代国

読み方:イワシロノクニ(iwashironokuni)

旧国名現在の福島県西部

別名 磐代国


岩代国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/20 16:23 UTC 版)

令制国一覧 > 東山道 > 岩代国
岩代国の位置

岩代国(いわしろのくに)は、東北戦争終結直後に陸奥国より分立した、日本の地方区分のの一つ。東山道に位置する。別称は岩州(がんしゅう)。領域は現在の福島県西半部にあたる。

領域

1869年明治元年)の制定時の領域は、現在の福島県の下記の区域に相当する。会津の全域と中通りの北部を範囲とし、中通りは東隣の磐城国と分割する形となる。

沿革

養老2年(718年)、陸奥国から石背国石城国が分割されたが、数年で陸奥国に復された。石背国の範囲はのちの岩代国とほぼ同じだったがやや広く、阿武隈川流域を含んだ。

明治元年12月7日西暦1869年1月19日)に、陸奥国から岩代国、磐城国陸前国陸中国の4国が分立した。

岩代国の領域にあった藩は以下のとおりである。

※以下、陸奥国から分立前に廃止された藩

近代以降の沿革

国内の施設

神社

令制国としての一宮ではないが、伊佐須美神社大沼郡会津美里町)が全国一の宮会により「岩代国新一の宮」として認定されている。

地域

人口

明治5年(1872年)の調査では、人口42万7933人を数えた。

脚注

注釈

  1. ^ 幕末時点では常陸府中藩領であり、戊辰戦争後に高田藩取締地となったとする資料もあるが、ここでは「旧高旧領取調帳」の記述によった。常陸府中藩は長沼村にも陣屋を置いていたため、長沼藩と呼ばれることもある。
  2. ^ 明治元年12月23日(1869年2月4日)の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」(法令全書通番明治元年太政官布告第1129)に従って設置された県だが、明治政府が権知県事を任命したわけではなく、そのため明治政府の公文書には全く記録が残っておらず、正式な県とは認められていない。
  3. ^ 石岡県であったとする資料もある。

出典

関連項目


岩代国

出典:『Wiktionary』 (2021/08/16 04:29 UTC 版)

固有名詞

いわしろのくに

  1. 日本旧国令制国)のひとつで明治維新後に明治政府陸奥国五つ分裂させた内のひとつ。現在の福島県西半部にあたる。


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