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尚琳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/15 08:59 UTC 版)

尚琳
尚琳
生年月日 1891年12月12日
没年月日 (1963-07-30) 1963年7月30日(71歳没)
出身校 東京音楽学校

当選回数 1
在任期間 1946年6月29日 - 1947年5月2日
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尚 琳(しょう りん、1891年明治24年)12月12日[1] - 1963年昭和38年)7月30日[1][2])は、大正から昭和期の教育者政治家華族貴族院男爵議員宜野湾御殿2世。

経歴

尚寅(宜野湾御殿1世、琉球国尚泰王二男)の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1905年(明治38年)4月15日、男爵を襲爵した[1][4][5]

1915年(大正4年)東京音楽学校を卒業[2]1923年(大正12年)沖縄県女子師範学校教諭兼同第一高等女学校教諭に就任[2]

1946年(昭和21年)6月29日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

栄典

親族

  • 先妻:カメ(豊見城朝熙二女、離縁)[1]
  • 後妻:敏子(伊江朝猷長女)[1]
  • 後妻:つる子(新垣孫九二女)[1]
  • 長男:義清[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 上巻』759頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』74頁。
  3. ^ 『大日本華族大鑑』264頁。
  4. ^ a b 『人事興信録 第14版 上』シ98頁。
  5. ^ 『官報』第6535号、明治38年4月17日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、57頁。
  7. ^ 『官報』第5846号、昭和21年7月11日。
  8. ^ 『官報』第3755号「叙任及辞令」1925年3月2日。
  9. ^ 『官報』第1827号「叙任及辞令」1933年2月3日。

参考文献

  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


爵位
先代
尚寅
男爵
尚家(分家)第2代
1905年 - 1947年
次代
華族制度廃止



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