宴会、競技会、催し物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 14:36 UTC 版)
多くの凱旋式において、凱旋将軍はパレード後の宴会を彼自身の負担で開催した(戦利品の売却益)。一般市民を対象とした宴会のほか、上流階級のための宴会も開催され、時には夜通し続けられた。ハリカルナッソスのディオニュシオスは、彼の時代(紀元前1世紀後半)の宴会と、ロームルスの時代(紀元前8世紀)に行われていたであろう「宴会」を対比させている。ロームルスの時代には、市民は家の前に「お帰りなさい」の意味で食卓を出し、凱旋してきた兵士達は行進中に、食卓から食卓へとつまみ食いをしていた。マルクス・テレンティウス・ウァロ(紀元前116年 - 紀元前27年)は、紀元前71年のカエキリウス・メテッルスの凱旋式において、彼の叔母が5,000羽のツグミを提供することによって20,000セステルティウスを得たと述べている。 いくつかの凱旋式では、戦争前あるいは戦争中に行った神々への誓いが実現したことの返礼として、ルディ(総合競技会、en)が行われることがあった。共和政時代には、その開催費用も凱旋将軍が負担した。マルクス・フルウィウス・ノビリオルはアエトリア同盟に対する勝利を記念する凱旋式(紀元前189年)において、10日分のルディの開催費用を負担している。
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