宕渠郡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 宕渠郡の意味・解説 

宕渠郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/03 04:04 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

宕渠郡(とうきょ-ぐん)は、中国にかつて存在した後漢末から隋代にかけて、現在の四川省北東部に設置された。

概要

218年建安23年)、劉備により巴郡宕渠宣漢漢昌の3県が分割されて、宕渠郡が立てられた[1]。宕渠郡は梁州に属し、郡治は宕渠県に置かれた。222年蜀漢章武2年)、宕渠郡は廃止され、巴西郡に編入された。延熙年間、再び宕渠郡が立てられ、王士が太守となった。9年後に廃止された。304年西晋永興元年)、李雄により再び宕渠郡が立てられた[2]

439年南朝宋元嘉16年)、宕渠郡は梁州から益州に転属したとされる。いっぽう梁州に南宕渠郡が立てられ、宕渠漢興・宣漢・宋康の4県を管轄した[3]。益州の「南宕渠郡」は宕渠・漢興・宣漢の3県を管轄した[4]。以上のように『宋書』州郡志の記述は混乱しており、経緯は定かではない。

南朝斉のとき、梁州に南宕渠郡・北宕渠郡東宕渠郡があり、益州に西宕渠郡東宕渠獠郡があった。梁州の南宕渠郡は宕渠・漢初・宣漢・宋康の4県を管轄した。益州の西宕渠郡は宕渠・宣漢・漢初・東関の4県を管轄した。東宕渠獠郡は宕渠・平州・漢初の3県を管轄した[5]

南朝梁のとき、渠州が立てられ、宕渠郡は境陽郡と改められた。

583年開皇3年)、隋が郡制を廃すると、境陽郡は廃止されて、渠州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、渠州が宕渠郡と改称された。宕渠郡は流江賨城宕渠咸安隣水墊江の6県を管轄した[6]

618年武徳元年)、により宕渠郡は渠州と改められた[7]

脚注

  1. ^ 晋書』地理志上
  2. ^ 華陽国志』巴志
  3. ^ 『宋書』州郡志三
  4. ^ 『宋書』州郡志四
  5. ^ 南斉書』州郡志下
  6. ^ 隋書』地理志上
  7. ^ 旧唐書』地理志二



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宕渠郡」の関連用語

1
56% |||||

2
38% |||||

3
16% |||||

4
14% |||||

5
14% |||||

6
14% |||||

7
14% |||||

8
14% |||||

9
14% |||||


宕渠郡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宕渠郡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宕渠郡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS