墓の発見
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「キニチ・ハナーブ・パカル1世」の記事における「墓の発見」の解説
メキシコの考古学者アルベルト・ルスがパレンケの碑文の神殿から下に通じる階段があることに気付き、1949年以降発掘を行った。1952年に王の墓室を発見した。墓室の中央には巨大な石棺があり、その蓋にはトウモロコシの神の扮装をした若いパカル王の絵が描かれ、縁にはパカル王とその先祖の没した日付が記されていた。遺体は大量のヒスイ製品で飾られ、ヒスイの仮面がかぶされていた。 ルスは石棺の蓋に書かれた誕生日のツォルキンによる日付から被葬者を「8アハウ」と呼んだ。1970年代にリンダ・シーリーとピーター・マシューズは碑文からパレンケ王朝史を解明し、王の名の文字に盾が使われていたので、盾を意味するパカルと呼んだ。フロイド・ラウンズベリーは名前が実際に表音的に「pa-ca-l(a)」と書かれていることを指摘した。 パカルの年齢を80歳とするシーリーらに対してルスは骨学的研究からありえないとして反対し、論争は1979年のルスの没後も長く続いたが、1952年当時は骨から年齢を得る手法が未発達であり、2006年の再調査によって67.5歳から90.7歳の間であると判断された。
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墓の発見
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1902年から、ハーバード大学とボストン美術館の共同調査隊がギーザでの発掘を引き継いだ。共同調査隊は23年間この地域を体系的に調査して明らかにし、記録した。1925年3月9日、発掘のリーダージョージ・アンドリュー・レイズナー(英語版)がアメリカに帰国している間に、調査隊員の写真家は石膏による補強(彼は石灰岩であると思っていた)に気が付いた 。レイズナーのヘッドレイス[訳語疑問点](head rais)、アフマド・サイードの指揮の下で、彼らがその地域を清掃し石膏を取り除くと、深い立坑が発見された。彼らは石壁に達するまで27メートル(85フィート)掘り、開通した時、白いアラバスター製のサルコファガス(石棺)、天蓋かテントのフレームや木製家具に使用された金の建具などを発見した。バティスクーム・ガン(英語版)は双眼顕微鏡と鏡を使用し、スネフェルの物である碑文を特定した。これは当時の新聞報道とは裏腹に、墓の所有者がスネフェルの治世を生きていた事を示す物であった。 レイズナーは、これは恐らく盗掘者達が元々の墓に入ったことによる秘密裏の改装の証拠であると結論付けた。4月までに、彼は墓の主がスネフェルの妻、クフの母であるヘテプヘレスであると特定した。1927年、彼らは石棺を開封するために集まったが、中身は空であることが判明した。 レイズナーはヘテプヘレスの元々の墓はダハシュールにある彼女の夫のピラミッドの傍にあったが、その墓は彼女の埋葬直後に壊れてしまったと推定した。そして盗掘者達が石棺を開けてミイラと黄金の飾り全てを盗んだが、残りの宝は取る前に逃走したと考えた。更にレイズナーは、この墓に対して責任を負っていた役人達が、クフの怒りを避けるために、ミイラはまだ石棺の中にいると伝えたとする説を提案した。そしてクフはそ、自身のピラミッドのあるギーザでその石棺と葬儀に必要な全ての品を再埋葬したであろうとする。 しかし、実際の事の経緯はまだ不明である。マーク・レナー(英語版)博士はG7000X墓がヘテプヘレスの元々の墓だったのであり、彼女の第二の墓はG1-a ピラミッド(英語版)であるという意見を出した。彼はG7000Xの立坑はピラミッドの一部として計画されたが完成せず放棄され、王妃のミイラは別のピラミッド完成時にそちらに移されたのであるとする。そしてかさ張る副葬品の一部は王妃の再埋葬時に取り残されたと推定した。 I.E.S.エドワーズ(I.E.S. Edwards)によるレナー説のレビューの中で描かれた第三の可能性は、G7000Xはヘテプヘレスの最終的な眠りの地であり、ミイラは彼女の埋葬直後にそこから盗まれたというものである。 ザヒ・ハワス博士は、ヘテプヘレスは元々最北端の小さなピラミッド群G1-aで埋葬され、盗掘の後に新しい墓のために新しい立坑が掘られたという意見を出した。この説は墓が作り替えられた事を示す証拠を説明できるだろう[訳語疑問点](This would explain the evidence of tampering on the tomb objects)。
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