土佐広周とは? わかりやすく解説

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土佐広周

読み方とさ ひろちか

室町中期土佐派画家土佐行秀次子。初名は具持・光持、のち経増。画を父に学び家法能くし、遂に妙手に至る。また絵所預となり、従五位下土佐守任じられる応仁年間(1467~1469)の人。

土佐広周

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:07 UTC 版)

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土佐 広周(とさ ひろちか/ひろかね、生没年不詳)は、室町時代中期に活躍した土佐派画家である。初名は光持又は具持、法名は経増。官位従五位上弾正忠

経歴・人物

土佐行広の長男[1]として生まれる。幼年期より父から大和絵を学ぶ。経歴についてはほとんど不明だが、『親長卿記』により、永享11年(1439年)から明応元年(1492年)の存命が確認されている。主に宮廷関係の大和絵を制作し、永享11年(1439年)には後小松上皇の7回忌における法要の本尊の制作にも携わった。本尊製作の褒賞により丹波三箇北荘内(現在の兵庫県丹波篠山市)に自身の私有地を与えられ、長禄3年(1459年)には近江国金勝寺領を[2]与えられる。応永2年(1438年)ころには室町幕府後花園上皇に仕え、以後将軍皇室に献上する絵画を数多く制作した。後に肖像画だけでなく仏画の制作にも携わった。晩年には土佐行定と共に『明恵上人絵巻』を共作したとされている。なお、広周の作風は平明なものであった。

従五位上に叙せられ、弾正忠[2]土佐守に任ぜられた。

主な作品

代表的な作品

その他の作品

※このうち上記の仏画2作品は皇室に献上されたものであり、宮廷付の絵師に任命されたとされているが、不明である。この他にも、後の土佐光起により『花鳥図屏風』が広周の作品だと提言しているが、確証はない。

脚注

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  1. ^ 土佐行秀の次男とする説もある。
  2. ^ a b 『地下家伝』

参考文献

外部リンク



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