吉本昌弘とは? わかりやすく解説

吉本昌弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/05 04:13 UTC 版)

吉本 昌弘
(よしもと まさひろ)
プロフィール
誕生日 (1957-12-19) 1957年12月19日(66歳)[1]
出身地 日本福岡県福岡市博多区出身
宮城県仙台市育ち(6歳から)
主な作品
テレビドラマママはアイドル!
若奥さまは腕まくり!
毎度ゴメンなさぁい
毎度おジャマしまぁす
もう誰も愛さない
あなただけ見えない
菊次郎とさき
相棒
臨場 (テレビドラマ)
水戸黄門
刑事7人
警視庁ゼロ係〜生活安全課なんでも相談室〜
映画山田ババアに花束を
電影少女
パ★テ★オ PATIO
A・LI・CE
女帝 SUPER QUEEN
人生の約束
受賞
東京ドラマアウォード2009作品賞グランプリ受賞「アイシテル〜海容〜
文化庁メデァ芸術祭大賞受賞「なぜ君は絶望と闘えたのか
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吉本 昌弘(よしもと まさひろ、1957年昭和32年〉12月19日[1] - )は、日本脚本家日本放送作家協会会員、日本脚本家連盟会員。東北学院大学経済学部中退[2]

略歴

福岡県福岡市博多区出身[1]、6歳から宮城県石巻市育ち[1]。19歳で上京[1]。ピンク映画専門の映画館・新宿名画座でもぎりのアルバイトをしていたある日、当時助監督だった岡孝通を通して中村幻児監督へ自作のシナリオを見て貰い、それが1980年昭和55年)の脚本家デビューへと繋がる。1980年代は、にっかつ、ミリオンフィルム(後のジョイパックフィルム、現在のヒューマックスシネマ)、東映セントラルフィルム新東宝映画などの作品で日活ロマンポルノピンク映画の脚本を多数担当。ピンク映画時代は中村幻児廣木隆一石川均高原秀和山本晋也野上正義、などの監督作を担当した。また、俳優大杉漣は吉本脚本のピンク映画に多数出演している。

1980年代中頃からTBS系のテレビドラマを手がけ始め、1987年の『ママはアイドル!』がヒットし、後にスペシャルドラマも放送された。1991年平成3年)にフジテレビ系で放送された『もう誰も愛さない』は、劇的なストーリー展開の速さから「ジェットコースタードラマ」とも評されて話題を呼び、続いて『あなただけ見えない』や『もう涙は見せない』といった同様の作品を担当した。その後は、時代劇や人情もの、サスペンスなど幅広いジャンルの作品を手がけている。

2009年に「アイシテル〜海容〜」(日本テレビ)が国際ドラマフェスティバル in TOKYOの東京ドラマアウォード2009作品賞グランプリ。2010年に「なぜ君は絶望と闘えたのか」(WOWOW)が文化庁メデァ芸術祭大賞[3]

主な作品(脚本)

テレビドラマ

NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
テレビ朝日
テレビ東京
WOWOW

映画

ゲーム

書籍

脚注

  1. ^ a b c d e 週刊テレビ番組(東京ポスト)1987年5月15日号「脚本家の横顔」62頁
  2. ^ シナリオ作家リレーエッセイ
  3. ^ 技術リテラシー、プロの技術「脚本家吉本昌弘」

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