原憲とは? わかりやすく解説

げん‐けん【原憲】

読み方:げんけん

中国春秋時代の人。孔子門人。字(あざな)は子思清貧甘んじ同門の子貢がぜいたくな身なり訪れてきたとき、それをたしなめたという故事が「荘子」譲王などにみえる


原憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 10:20 UTC 版)

原 憲(げん けん、生没年不詳)は、中国春秋時代儒学者である。孔子の弟子の一人。孔子の門人で才能があった七十子の一人に数えられる。の人と伝わる。孔子より約30歳から約6歳若いとされる。子思(しし)。

論語』で有名な中国春秋時代の儒学者である孔子の弟子となり、賞賛を受けたが物静かであったと伝わる。前479年に孔子が没し、その後は儒学者として第一線を退き、隠居する事となった。

孔子の死後、孔子の弟子であり孔門十哲に数えられる子貢が、魯で隠居生活を送る原憲を尋ねた際の事が記されている。

原憲は上からは雨漏り、地面からは湿気が立ち上るような粗末なあばら家に住み、座して琴を弾き、歌う生活をしていた。一方子貢は孔子の門弟の中で最も富裕であり、美々しい衣装を纏い、肥えた立派な馬に曳かせた馬車に乗って訪れたが、途中道が狭くて馬車から降り、徒歩でようやく原憲の家までたどり着いた。

原憲は家の外に出て子貢を迎えたが、その様は藜の杖をつき、粗末な冠に破れた履と言ったいでたちであった。

子貢は原憲の姿を見て、「あなたは何と病んで(苦しんで)おられる事か」と嘆息して言った。これに原憲は「財産が無い者を貧しいと言い、学びながらそれを行えない事を病む(苦しむ)という。私は貧しくはあるが、病んでなどいない」と答え、さらに「世間の目を気にして行動し、周囲にへつらう者を友とし、他人に誇る為に学問をし、謝礼の為に他人に学問を教え、仁義の心を誤魔化し、馬車を立派に飾り立てるといった行動は、私にはとても出来ない」と子貢を痛烈に批判した。

子貢は大いに恥じ入り、生涯己の発言を悔やんだと言われる。

関連項目




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「原憲」の関連用語

1
原憲の貧 デジタル大辞泉
76% |||||

2
10% |||||

3
6% |||||


5
4% |||||


7
4% |||||

8
4% |||||

9
4% |||||

10
2% |||||

原憲のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



原憲のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの原憲 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS