南明とは? わかりやすく解説

南明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/10 14:51 UTC 版)

南明
大明
1644年 - 1662年

南明成立期の最大領域
公用語 古代漢語
首都 南京紹興福州肇慶
皇帝
1644年 - 1645年 安宗 弘光帝
1646年 - 1662年昭宗 永暦帝
内閣首輔
1644年 - 1644年史可法
1651年 - 1652年沈宸荃
変遷
の首都北京失陥、南京で南明成立 1644年6月19日
福州に遷都1646年8月18日
肇慶に遷都1646年12月24日
ビルマに亡命する1659年
崩壊1662年6月1日
現在 中華人民共和国
中華民国連江県金門県
ミャンマー
1.台湾に拠った鄭成功の子孫が1683年まで抗戦を続け、明の命脈を保った。
2.南明に公式な国旗は存在しない。

南明(なんみん)は、が首都の北京を失ったのち、明の皇族によって1644年から1662年までの間に華中、華南に立てられた地方政権の総称である。

南明の最大勢力圏(1644年11月)(英語)

概要

1644年3月に北京李自成に陥落させられ、崇禎帝は万歳山で自殺した[1][2][3]。副都の南京の官僚は江南へ退避していた皇族の中から新帝擁立を試み、史可法東林派朱常淓中国語版を、馬士英ら反東林派の官僚や盧九徳中国語版宦官万暦帝の孫の福王朱由崧を推した。結局、史可法らが折れ、5月に朱由崧は南京へ入り即位した(弘光帝[1][2]

朝廷では誰を出鎮させるか議論となり、馬士英の推挙で史可法が兵部尚書兼武英殿大学士となり「督師輔臣之印」をもって出鎮した[1]。馬士英は自らの出鎮を望まず、史可法を朝廷から出すよう仕向けたものといわれており、その経緯は応廷吉『青燐屑』上巻に書かれている[1]

政権では馬士英の推薦した阮大鋮が権勢を振い、復社の名士からの反発を招いた[4]桐城を守備していた孫得勝や羅九武も危機感に乏しく人心を失っていた[4]

1645年正月に清軍が李自成を打ち破って入関すると[1]、その勢いのまま江南に押し寄せた[4]。そして同年4月、清軍の侵攻を受けて南京が陥落し、弘光帝の政権は崩壊した。

1645年6月、魯王朱以海[2]が擁立され、監国と称して紹興に亡命政権が立てられた。同時に福州鄭芝龍黄道周らに擁立された唐王朱聿鍵が即位し(隆武帝[2]、ここに南明は2つの政権が並立する状態となった。朱以海と隆武帝は正当性を巡って争ったが、1646年6月には紹興などが清軍に攻略され、朱以海は海上へ逃れて鄭成功(鄭芝龍の子)の元へ身を寄せた。これにより隆武帝が唯一の皇帝となるが、1646年8月に福州は清軍の侵攻を受け、隆武帝が捕らえられて政権は崩壊した[3]。その後、弟の朱聿𨮁が皇位を継ぐ(紹武帝)が、これも同年のうちに清軍に敗れて自殺した。

1646年10月、瞿式耜中国語版らに擁立された桂王朱由榔(弘光帝の従弟)が肇慶[2]で監国を称し、11月に即位して(永暦帝)政権が成立する。鄭成功や張煌言中国語版らは各地で抵抗し、一時は清を圧倒したが、永暦帝はビルマ呉三桂に捕らえられて[3][5]雲南へ連れられ、1661年昆明で殺された[2]。一方、朱以海を保護する鄭成功は清への反攻の拠点を確保するために台湾へ進出し、1662年政権を樹立したが、同年中に朱以海と鄭成功が病死して南明の滅亡は決定的となった。その後も鄭成功の子孫によって抵抗は続けられる[2]が、1683年鄭克塽が清へ降伏し、復明の道は絶たれた。

皇帝

元号

出典

  1. ^ a b c d e 辻原 明穂「明清交替期の督師幕府 : 揚州督師史可法幕府をもとに」『京都女子大学大学院文学研究科研究紀要. 史学編』第10巻、京都女子大学、2011年3月31日、81-125頁。 
  2. ^ a b c d e f g 南明』 - コトバンク
  3. ^ a b c 明の時代(年表)』 - コトバンク
  4. ^ a b c 大谷 敏夫「<論説>戴名世断罪事件の政治的背景 : 戴名世・方苞の学との関連において」『史林』第61巻第4号、京都大学文学部 史学研究会、1978年7月1日、487-523頁。 
  5. ^ 』 - コトバンク

関連項目


南明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 21:04 UTC 版)

北伐」の記事における「南明」の解説

鄭成功北伐中国語版)(1657年1659年)、鄭成功永暦帝と張煌言(中国語版と共に実施した清に対す軍事行動

※この「南明」の解説は、「北伐」の解説の一部です。
「南明」を含む「北伐」の記事については、「北伐」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「南明」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「南明」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「南明」の関連用語

南明のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



南明のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの南明 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの北伐 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS