会昌の廃仏とは? わかりやすく解説

会昌の廃仏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/29 08:40 UTC 版)

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会昌の廃仏(かいしょうのはいぶつ/えしょうのはいぶつ)は、中国武宗期に行われた廃仏事件。また、仏教と共に、長安を中心に盛んであった「唐代三夷教」(マニ教ゾロアスター教ネストリウス派キリスト教)も排斥された。「会昌」は、その時の年号。中国史上の対仏教弾圧である三武一宗の廃仏の1つであり、第3回目に当たる。

概要

開成5年(840年)に即位した武宗は道教に傾斜して宮中に道士を入れ、道教保護の一方で教団が肥大化していた仏教や、景教などの外来宗教に対する弾圧を行なう。『旧唐書』・『資治通鑑』など史書の記録に拠れば、弾圧は会昌5年(845年)4月から8月まで行われ、7月には武宗によって詔(『全唐文』巻76では「毀仏寺勒僧尼還俗制」という表題を付す)が下され、寺院4,600ヶ所余り、招提・蘭若40,000ヶ所余りが廃止され、還俗させられた僧尼は260,500人、没収寺田は数千万頃、寺の奴婢を民に編入した数が150,000人という。

日本の留学僧で、事件に遭遇した円仁(794年-864年)の旅行記『入唐求法巡礼行記』によれば、弾圧は会昌5年以前から始まっており、宮中では会昌2年(842年)に宰相李徳裕が強大化し続けている僧院の管理を提言し、私度僧や年少僧の追放令が出される。会昌3年(843年)に仏教保護者であった宦官仇士良中国語版が死去し、長安では寺院からの僧尼の外出禁止令、城内での還俗などが行なわれており、円仁ら外国僧も外出制限を受けている。また、モンゴル高原のウイグル、チベットの吐蕃などの分裂が起こっており、対外勢力の動揺も弾圧を後押ししたと考えられている。

武宗は、会昌6年(846年)に丹薬の飲み過ぎで体調を崩し33歳で崩御し、弾圧は収束する。

三武一宗の法難中最大であり、徹底されていたこの廃仏においても、長安洛陽の二京には4ヶ寺を残し、各州の州都にも1寺ずつ残している。州の場合、大中小の3等級によって、各20人・10人・5人の僧を残した。その他、武宗の権威が及ばないいわゆる河朔三鎮節度使の支配地域では、節度使たちが熱心な仏教信者であったこともあって、廃仏が行なわれることはなかったという。

なお、近年では荘園の没収や仏像・仏具などを溶解して貨幣の発行を行った事など、当時の経済・財政面との関連性も研究されている。

参考文献

  • 春日礼智「会昌法難の意義」(『東方宗教』29、1967年)
  • 加藤正人「唐代の「会昌廃仏運動」に関する一試論」(『比較文化研究』35、1997年)
  • 高橋佳典「聖節に見る武宗の宗教政策:會昌の廢佛と聖節の變容」(『中国古典研究』44、1999年)
  • 高橋佳典「會昌廢佛における宰相李徳裕の意圖と役割」(『中国古典研究』48、2003年)

会昌の廃仏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 21:15 UTC 版)

唐朝におけるイスラーム」の記事における「会昌の廃仏」の解説

845年武帝によって仏教などすべての外来宗教首都長安から追放された。これによって中国におけるマニ教勢力大幅に失いゾロアスター教はほとんど消滅したが、イスラーム職業宗教家がいなかったことも幸いして追放されることはなかった。

※この「会昌の廃仏」の解説は、「唐朝におけるイスラーム」の解説の一部です。
「会昌の廃仏」を含む「唐朝におけるイスラーム」の記事については、「唐朝におけるイスラーム」の概要を参照ください。

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