中津川線とは? わかりやすく解説

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中津川線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/10 00:59 UTC 版)

中津川線
二ツ山トンネル北側坑口方向を撮影
概要
現況 未開業
起終点 起点:飯田駅
終点:中津川駅
運営
所有者 日本国有鉄道
路線諸元
路線総延長 36.175[1] km (22.478 mi)
路線数 単線[2]
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径 400 m[3]
電化 全線[2]直流1,500 V
最急勾配 25 [3]
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中津川線(なかつがわせん)は、長野県飯田市にある飯田線飯田駅岐阜県中津川市にある中央西線中津川駅を結ぶ計画だった日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線未成線)である。路線全長は36.175 km[1]線路等級は乙線、全線単線電化で計画されていた[2]

概要

国道153号線山本小学校北交差点付近(中津川線予定地を二ツ山トンネル南側坑口方向に撮影)

当初は飯田市と木曽郡南木曽町を結ぶ鉄道計画であったが、後に中津川市へ接続する計画に変更された[1]

当初は順調に建設が進み、中央本線との直通により中京圏伊那地方を直結する鉄道として開通後の需要も見込まれていたが、総花的な新線建設の予算配分が災いしてトンネルにはほとんど着手できなかった。また、整備新幹線が法制化されると、地元も在来線である当路線よりも並行する中央新幹線の誘致を重視するようになり、熱意が薄れたとも言われる。

1978年の長野国体までに完成させようとする動きもあった[5]が、1975年に中央新幹線と同じく当路線と並行する中央自動車道が開通すると計画は頓挫した。なお、当路線の計画区間と並行する形で開通した中央自動車道の恵那山トンネルは上下線とも全長8 km以上の長大トンネルであるため、可燃物を積載したタンクローリーなど危険物積載車両の通行が禁止されている一方、当路線開業時には飯田線の元善光寺駅に石油貨物列車用ターミナルを設置する計画だった。

工事は伊那山本駅 - 二ッ山トンネル付近の路盤・トンネルが完工し、木曽山脈を貫く全長10 kmに及ぶ神坂(みさか)トンネルの調査坑がわずかに掘られたのみで、それ以外は手つかずのまま終わった。着工当時、飯田線は電化済で、まだ非電化だった中央本線にも電化計画があったため、当初より直流電化路線として計画されていた。

本路線は日本鉄道建設公団のB線(地方幹線)として工事が進められていたが、1980年国鉄再建法施行で工事が凍結されたB線(久慈線盛線野岩線北越北線、中津川線、智頭線)のうち、唯一鉄道として完成を見ることがなかった。

今尾恵介は、仮に中津川線が開業して名古屋駅から飯田駅まで中央本線・中津川線経由のルート(距離116.1 km)で特急列車が運行されていた場合、2022年時点で中央本線の名古屋駅 - 中津川駅間を48分で結んでいる特急「しなの」(表定速度は99.9 km/h)のスピードを当てはめれば、中津川線区間(全長36.175 km)は22分、名古屋駅 - 飯田駅間は同年時点で名鉄バスセンター - 飯田駅前間を結んでいる高速バス(所要時間1時間54分)より速い1時間10分で結べたであろうと試算し、後述の昼神温泉へのアクセスも格段に便利になっていただろうと指摘している[1]

中京圏と伊那地方を直結するという本路線に期待された役割は、1975年の中央自動車道開通と同時に運行を開始した中央道特急バス(現・中央道高速バス)が担った。

中津川と飯田の2都市間を結ぶ路線としては、1998年4月にジェイアール東海バス信南交通が、中津川 - 飯田間を中央自動車道経由で結ぶ高速バス路線「いいなかライナー号」の運行を開始した。1999年に運行を開始した中央西線の快速列車「セントラルライナー」と連携しての集客策も展開されたが、途中中津川駅で乗り換えが生じたことから、既に利用者が定着していた中央道高速バス飯田 - 名古屋線の旅客を取り込むことができず、2004年10月15日限りで廃止された(信南交通は後に撤退し、最終時は7往復が設定されていた)。現在では、中津川駅近辺と飯田駅近辺の双方を経由する高速バスが存在しないため、中津川 - 飯田間を直接結ぶ都市間輸送手段は皆無となっている。(中央道高速バスの飯田(信南バスセンター)・上飯田バスストップ - 中津川バスストップ双方に停車する便に乗れば越境可能。ただし、本数は少ないので、飯田 - 名古屋間を結ぶ高速バスを利用して馬篭バスストップ、最寄の北恵那交通神坂小中学校前バス停と中津川駅を結ぶ路線バスを利用して行き来することもできる[注 1]

なお、神坂トンネルの水抜きボーリング中に湧き出た温泉昼神温泉である[1]。昼神駅予定地には「国民年金保養センターひるがみ(現:阿智の里ひるがみ)」が、神坂駅予定地には「中津川温泉クアリゾート湯舟沢」が建設された。

中津川温泉クアリゾート湯舟沢

なお、中津川市と飯田市を結ぶ鉄道路線の夢は在来線としては潰えたが、2027年以降開業予定のリニア中央新幹線によって実現する見込みである。

中津川線の歴史

  • 1921年大正10年) - 飯津電鉄株式会社により飯田 - 中津川間の鉄道が企画されるが認可にはならず[6][7]
  • 1922年(大正11年) - 飯田 - 三留野(南木曽)間鉄道が建設予定線として鉄道敷設法別表第60号に記載。
  • 1951年昭和26年) - 長野県、岐阜県で建設運動が再燃。
  • 1957年(昭和32年)4月 - 鉄道建設審議会の総会において調査線に指定[8][9]
  • 1961年(昭和36年)6月 - 鉄道敷設法が改正、飯田 - 中津川間鉄道が別表第60号の2に追加。
  • 1962年(昭和37年) - 鉄道建設審議会の総会において建設線に昇格[10]
  • 1963年(昭和38年)8月 - 国鉄による実地調査開始(飯田、園原、富士見台、中津川の4か所)
  • 1964年(昭和39年) - 日本鉄道建設公団発足、B線(地方幹線)の工事線に位置付け[11]
  • 1966年(昭和41年) - 工事実施計画を承認。
  • 1967年(昭和42年)11月 - 用地買収が難航するも、二ツ山トンネルの掘削工事が着工[12]
  • 1968年(昭和43年)5月9日 - 起工式を実施[13][14]
  • 1973年(昭和48年) - 昼神温泉湧出[15]。掘削機械が故障して、工事は事実上中断。
  • 1975年(昭和50年)8月23日 - 中央自動車道の恵那山トンネル開通。
  • 1976年(昭和51年) - 中津川線建設に計上された22億5000万円の予算が他線建設に流用。
  • 1980年(昭和55年) - 国鉄再建法施行により建設予算計上が見送られ、工事凍結。
  • 1989年平成元年) - 建設用地が日本国有鉄道清算事業団に譲渡。計画は頓挫。

設置予定駅

飯田駅 - 伊那中村駅 - 伊那山本駅 - 阿智駅 - 昼神駅 -(神坂トンネル内に夜烏山信号場、富士見台信号場)- 神坂駅 - 美濃落合駅 - 中津川駅[1]

その他、阿智村から「園原駅」を設ける要望が出されていたが、見送られている[16]

脚注

注釈

  1. ^ 馬篭バスストップ - 中津川駅間はタクシーも利用可能だが、事前に電話予約が必要となる。

出典

  1. ^ a b c d e f g 今尾恵介【第31回】未完成に終わった国鉄中津川線|地図から信州が見えてくる」『信濃毎日新聞』信濃毎日新聞社、2022年10月27日。オリジナルの2024年6月8日時点におけるアーカイブ。2024年6月9日閲覧。
  2. ^ a b c 日本国有鉄道 1966, p. 317.
  3. ^ a b c 日本鉄道建設公団名古屋支社『所管工事の概要』日本鉄道建設公団名古屋支社、1970年、13頁。 
  4. ^ 日本鉄道建設公団名古屋支社『所管工事の概要』日本鉄道建設公団名古屋支社、1970年、14頁。 
  5. ^ 鉄道ファン』1973年10月号 134頁 POST欄 「中津川線53年完成予完」
  6. ^ 第3章.大正デモクラシー (13)伊那電の開通など」『伊那谷の歴史の中に : 飯田信用金庫五十周年記念誌』飯田信用金庫、1976年、150頁。doi:10.11501/12001513https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12001513/79 
  7. ^ 通信交通 飯津電鉄発起」『現代之電機』 7巻、11号、62頁。doi:10.11501/1527944https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1527944/49 
  8. ^ 陸運情報 陸上交通網形成方策の進展」『運輸と経済』 17巻、5号、1957年5月、48-49頁。doi:10.11501/2637400https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2637400/26 "飯田下呂線 飯田・下呂間"で"区間未確定"として調査を開始すべき新線として認定
  9. ^ 陸運情報 国鉄の新建設線」『運輸と経済』 19巻、12号、1959年12月、46-47頁。doi:10.11501/2637431https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2637431/25 1959年時点では"飯田下呂線(長野・岐阜)"として飯田-三留野間(50.3キロ)、中津川-下呂間(48.3キロ)の2区間で調査継続
  10. ^ 鉄道敷設法第4条第3項に基づく鉄道新線に関する建議」『政調週報』 4巻、19号、29-35頁。doi:10.11501/11186545https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11186545/19 "飯田下呂線(飯田・中津川・下呂間)については、予算の規模、着工中の路線の進捗などを勘案し、投資効果のすみやかに発揮し得る区間より着工するものとする。"とある
  11. ^ 第三八・三九回鉄道建設審議会並びに小委員会の開催」『運輸』 14巻、5号、20-21頁。doi:10.11501/2275134https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2275134/12 これまで"飯田下呂線"だったものが"中津川線"と"下呂線"に分離
  12. ^ 第三章.交通・通信 第四節.国鉄中津川線」『阿智村誌 下巻』1984年、393-394頁。doi:10.11501/9539464https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9539464/214 
  13. ^ 国鉄の動き」『国有鉄道』 26巻、7(229)、1968年7月、20頁。doi:10.11501/2276805https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2276805/12 "中津川線(飯田線飯田・中央線中津川間37キロ)の起工式が飯田市で行われた。公費は127億円で神坂トンネルは日本第5の長さである"
  14. ^ 岐阜県観光の現況」『経済月報』 7巻、194号、1969年7月、29頁。doi:10.11501/2665877https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2665877/16 "総工費127億円で43年度までに6億1千万円が投下され工事中。本年度は3億5千万の予定で10月頃には我国で3番目に長い神坂トンネルが着工される見込"
  15. ^ (8)昼神温泉郷出現」『伊那谷の歴史の中に : 飯田信用金庫五十周年記念誌』飯田信用金庫、1976年、499-500頁。doi:10.11501/12001513https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12001513/253 
  16. ^ 森口誠之『開封! 鉄道秘史 未成線の謎』河出書房新社、2022年、148頁。ISBN 978-4309292441 

参考文献

関連項目

国道153号線山本小学校北交差点付近(国道153号線の擁壁と民家側に中津川線の擁壁と柵がある。)

中津川線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:29 UTC 版)

西武観光バス」の記事における「中津川線」の解説

M5三峰口駅 - 大陽寺入口 - 大輪 - 大滝総合支所 - 大滝老人福祉センター - 小双里 M6:三峰口駅 - 大陽寺入口 - 大輪 - 大滝総合支所 - 大滝老人福祉センター - 川又 - 中双里 - 中津川 M6:西武秩父駅 - 三峰口駅 - 大輪 - 大滝総合支所 - 大滝老人福祉センター - 川又 - 中双里 - 中津川区間急行西武秩父駅 - 三峰口駅間は無停車) M7:三峰口駅 - 大陽寺入口 - 大輪 - 大滝総合支所 - 大滝老人福祉センター - 中双里 - 中津川紅葉名高い中津峡沿いを走る路線で、1956年に中双里から日窒鉱山中津川まで延長された。かつては双里以北狭小トンネル点在していたため、路線延長時から車体上方内側絞った形状の「三角バス」と呼ばれる特注車両使用されるようになった過疎化により1973年から埼玉県補助開始されたが、1976年に中双里 - 日窒鉱山中津川間が廃止された。しかし中津川地区住民から陳情書提出され1978年に中双里 - 中津川間の運行再開した元来大滝役場(現・大滝総合支所発着路線だったが、中津川までの運行再開時に三峰口駅発着便登場、のちに全便三峰口駅発着となった滝沢ダム建設による集団移転で小双里 - 大滑間の4停留所廃止されたため、同区間は非常に停留所間隔長い2010年9月限り秩父鉄道観光バス川又線廃止されたのに伴い川又経由便設定された。 2012年4月頃から、西武秩父駅発着区間急行設定当初土曜休日のみの運行だったが後に平日にも設定西武秩父駅 - 三峰口駅間はフリー乗降対象外2021年4月にM3系統を小双里まで延長する形でM5系統新設代わりに中津川発着のM6・M7系統1日計3往復減便となった

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