リュシュテュ・レチベルとは? わかりやすく解説

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リュシュテュ・レチベル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/05 07:02 UTC 版)

リュシュテュ・レチベル
名前
ラテン文字 Rüştü Reçber
基本情報
国籍 トルコ
生年月日 (1973-05-10) 1973年5月10日(51歳)
出身地 アンタルヤ
身長 186cm
体重 76kg
選手情報
在籍チーム 引退
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1991 ブルドゥルギュジュ 1 (0)
1991-1994 アンタルヤスポル 34 (0)
1994-2003 フェネルバフチェ 241 (0)
2003-2004 バルセロナ 4 (0)
2004-2007 フェネルバフチェ 54 (0)
2007-2012 ベシクタシュ 103 (0)
代表歴2
1994-2012 トルコ[1] 120 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年8月24日現在。
2. 2013年8月24日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

リュシュテュ・レチベル(Rüştü Reçber、1973年5月10日 - )は、トルコアンタルヤ出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー

来歴

ユース時代は右ウイングとしてプレーしていたが、17歳の時の監督に「君は背が高いからゴール前に立ってみるといい」と言われ、ゴールキーパーに転向した[2]1990年、ブルドゥルギュジュに入団。1シーズン在籍した後に地元のサッカークラブ・アンタルヤスポルへ移籍した。

GKコーチのIlie Datcuによって見出され、ファティ・テリム監督の指導によって才能が開花した。テリムは、まだクラブの第3GKだったリュシュテュの潜在能力に感銘を受け、「君はいずれトルコでもっとも素晴らしいGKになるだろう」と伝えた。テリムはフェネルバフチェSKガラタサライSKベシクタシュJKのトルコ三大クラブにリュシュテュを推薦し、1993年にベシクタシュJKと契約した。しかし、契約締結の直後に自動車事故に巻き込まれて怪我を負い、メディカルチェックを通ることができず、ベシクタシュJKへの移籍は取りやめになった。

1993-94シーズンのはじめ、フェネルバフチェSKと契約した。そのシーズンはアンタルヤスポルでプレーすることが認められ、レンタル移籍という形でチームに残った。フェネルバフチェでの初年度となる1994-95シーズンは、クラブとトルコ代表の正GKのEngin İpekoğluが負傷し、幸運にも出場機会を得て、1994年10月12日のアイスランド戦で代表デビューを飾った。その後9年間はクラブでも代表でも地位を不動のものとし、フェネルバフチェ在籍期間中に4度のリーグ優勝を成し遂げた。UEFA EURO '96UEFA EURO 2000に出場。さらに2002年日韓W杯では、チームの守護神として48年ぶりに本大会出場を果たした代表を3位入賞に導く活躍を見せ、最優秀GK投票ではドイツオリバー・カーンに次ぐ2位に選ばれた。

2003年にフェネルバフチェとの契約が切れるとACミランインテル・ミラノFCバルセロナバレンシアCFマンチェスター・ユナイテッドFCアーセナルFCユヴェントスFCリヴァプールFCからオファーがあり、アーセナルFCと契約間近だったが、アーセン・ベンゲル監督と口論したことから移籍は破談となった。結局、FCバルセロナに移籍し、好調なプレシーズンを送ったが、シーズン開幕前に怪我に見舞われた。開幕にはなんとか間に合ったが、リュシュテュはまだスペイン語に不慣れだったため、フランク・ライカールト監督はビクトル・バルデスを開幕戦に送り出した。「私の実績と能力からすれば、スペイン語が話せないために試合に出られないのは解せない」と述べたが、スペインでの挑戦は1シーズンで終わった。

2006-07シーズンにフェネルバフチェでリーグ優勝したが、自身の将来のことでクラブと揉めたことから、ヴォルカン・デミレルにポジションを奪われた。そのため、ライバルクラブのベシクタシュJKにフリーで移籍し、フェネルバフチェのファンの怒りを買った。ベシクタシュJKでも好パフォーマンスを披露したが、たびたび怪我に悩まされた。

UEFA EURO 2008では控えゴールキーパーとして選出されたが、出場停止となったヴォルカン・デミレルに代わり大会途中から出場。準々決勝のクロアチア戦ではスーパーセーブを連発し、PK戦でもクロアチアに1本しか成功を許さない活躍で、トルコ初のベスト4進出に貢献した。また同大会終了後、代表引退を表明した。

2020年3月28日新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の症状が急転し、病院に搬送されたことがリュシュテュの妻のInstagramにて報告された。BBC放送電子版では、リュシュテュの容体について「危機的時期」だと報じた[3]集中治療室(ICU)にも入ったが回復し、4月6日に退院したことが妻のInstagramにて報告された[4]

エピソード

少年の頃に好きだったゴールキーパーはピーター・シュマイケルである[5]。彼とはUEFA EURO '96で対戦している。フェネルバフチェ在籍時にもUEFAチャンピオンズリーグマンチェスター・ユナイテッドFCに所属していたシュマイケルと対戦した。

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 120試合 0得点(1994年-2012年)[6]


トルコ代表国際Aマッチ
出場得点
1994 2 0
1995 11 0
1996 10 0
1997 7 0
1998 5 0
1999 7 0
2000 9 0
2001 10 0
2002 13 0
2003 13 0
2004 12 0
2005 4 0
2006 10 0
2007 2 0
2008 3 0
2009 1 0
2010 0 0
2011 0 0
2012 1 0
通算 120 0

タイトル

フェネルバフチェ
  • スュペル・リグ : 4回
    • 1995-96, 2000-01, 2004-05, 2006-07
  • アタトゥルクカップ : 1回
    • 1998
ベシクタシュJK
トルコ代表
個人
2002
  • IFFHS最優秀GK賞3位
2002

脚注

外部リンク




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