ヨエイ・ディドゥリツァとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヨエイ・ディドゥリツァの意味・解説 

ヨエイ・ディドゥリツァ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/17 00:50 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
ヨエイ・ディドゥリツァ
名前
本名 ヨセフ・アントニ・ディドゥリツァ
Joseph Anthony Didulica
愛称 Joey
ラテン文字 Joey Didulica
基本情報
国籍 クロアチア
オーストラリア
生年月日 (1977-10-14) 1977年10月14日(40歳)
出身地 ジーロング
身長 191cm
体重 80kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
ジーロング・ウォーリアーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1996 ジーロング・ウォーリアーズ 1 (0)
1996-1999 メルボルン・ナイツ 60 (0)
1999-2003 アヤックス 16 (0)
2001 ジェルミナル・ベールスホット (loan) 2 (0)
2003-2006 アウストリア・ウィーン 87 (0)
2006-2011 AZ 29 (0)
通算 195 (0)
代表歴
1998-2000 オーストラリア U-23 10 (0)
2004-2006 クロアチア 4 (0)
監督歴
2012- メルボルン・ハート (ユースGKコーチ)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヨセフ・アントニ・"ヨエイ"・ディドゥリツァJoseph Anthony "Joey" Didulica, 1977年10月14日- )は、オーストラリアジーロング出身の元サッカー選手。元クロアチア代表。現役時代のポジションはゴールキーパージョーイ・ディドゥリカとも表記される。

経歴

クラブ

ダルマチア地方ザダルにあるPoličnikからオーストラリア移住したクロアチア人の父ルカ (Luka) とクロアチア系オーストラリア人の母メアリー (Mary) の下でジーロングに生まれたディドゥリツァは、主にクロアチア系オーストラリア人で構成されるノース・ジーロング・ウォーリアーズ (en) でキャリアを始め、1996年に同移民で構成されるメルボルン・ナイツFC (en) と契約し、1999年まで在籍した。

その後は、オランダ1部の名門アヤックス・アムステルダムと契約するも、主に控えGKとしての状態が続き、また、2001年から数ヶ月間に期限付き移籍したジュピラーリーグKFCジェルミナル・ベールスホットでも出場機会は限られていた。2003年から3季在籍したFKアウストリア・ウィーンで地位を確立することに成功していたが、2005年5月にSKラピード・ウィーンとのウィーナー・ダービー英語版で相手選手のアクセル・ラバレー (de) に対してのタックルで怪我を負わせた行為が過失として、2006年4月24日にオーストリアの裁判所から6万ユーロの罰金を言い渡された[1]。2007年6月にウィーンの高等裁判所に下級裁判所の判決を控訴し無罪となった[2]

2006年にオランダへ戻りAZアルクマールと契約後も引き続き守護神として7試合に出場していたが、2006年10月のPSVアイントホーフェン戦でPSVのオーストラリア代表ジェイソン・クリナが至近距離でシュートしたボールを頭部に受けたことで脳震盪を起こし、それが原因で長期間の離脱を余儀なくされた[3]。2008年まで出場することが叶わず、復帰後の2009年4月に古巣アヤックス戦でも同様の怪我を負い、今度は頭部と首の手術を受けることになった[4]。さらなる頭部への負傷を避けるため、2011年10月11日に現役引退を表明した[4]

代表

2000年にシドニーオリンピックへ向けた一員としてU-23オーストラリア代表に招集されたが、怪我により辞退することとなった[5]その後、フランク・ファリーナ監督率いるオーストラリアA代表に招集されなかったため、2004年に両親のルーツであるクロアチアでプレイすることを決意。

同年3月のトルコ戦でクロアチア代表に初招集され(怪我により辞退)[6]、4月28日にスコピエで行われたマケドニア戦でクロアチア代表として初出場を飾った。UEFA EURO 2004の一員に選出されるも、第2GKのため出場することはなかった。また、2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選2006 FIFAワールドカップの一員だったが、予選全10試合中8試合をトミスラヴ・ブティナ (en) 、残り2試合と本大会全3試合をスティペ・プレティコサが務めたため、こちらでも出場することはなく、同大会終了後にクラブの方に集中したいとのことから代表引退を表明。2004年から2006年に招集されている間に公式戦での出場はなく、マケドニア戦、韓国戦、台湾戦、オーストリア戦との親善試合のみの4試合に出場した。

私生活

兄のジョン (John) [7]は、元サッカー選手にして弁護士メルボルン・ハートFCのオペレーションマネージャーを務めている。また、かつてオーストラリア・プロ選手協会のCEOだった。

2006年1月にディドゥリツァは、婚約者のケイト (Kate) と結婚しており、娘と息子を授かった。

タイトル

クラブ
アヤックス・アムステルダム
FKアウストリア・ウィーン
AZアルクマール

脚注

  1. ^ "Fahrlässige Körperverletzung"
  2. ^ "Freispruch für Didulica"
  3. ^ "Didulica sidelined for two to four weeks"
  4. ^ a b AZのGKディドゥリツァが現役引退を表明
  5. ^ "Australians beset by Games problems"
  6. ^ "ビエリツァが代表の中盤に復帰"
  7. ^ "Australia may lose Didulica to Croatia"

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヨエイ・ディドゥリツァ」の関連用語

ヨエイ・ディドゥリツァのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヨエイ・ディドゥリツァのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヨエイ・ディドゥリツァ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS