ミッレミリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/20 16:57 UTC 版)
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ミッレミリア(Mille Miglia)は1927年から1957年の間にイタリアで行われた自動車レースである。現在では同名のクラシックカーレースとして毎年開催されている。
概要
公道レース
1927年から1957年の間にイタリアで行われた伝説的な公道自動車レースで、イタリア北部の都市ブレシアを出発して南下しフェラーラ、サンマリノを経てローマへ。さらにローマから北上してブレシアへ戻るというルートで、イタリア全土を1000マイル(イタリア語で mille miglia = ミッレ・ミリア)走ることから名づけられた。
錚々たる参加車
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初期にはアルファロメオ、ランチア、OM、スタンゲリーニ、マセラティ、フィアット、オスカ、ブガッティ、ルノー、アストンマーティン、ベントレー、MG、メルセデス・ベンツ、アウトウニオン(現在のアウディ)など、ヨーロッパ諸国から錚々たる自動車メーカーがワークスやプライベートで参戦した。
開催一時中止
その高い人気を受けて、第二次世界大戦前にはベニート・ムッソリーニ率いるイタリアや、アドルフ・ヒトラー率いるドイツ国などの工業国かつ独裁国が、国威発揚のためにこれらのメーカーを国を挙げて支援したものの、第二次世界大戦の勃発により1941年-1946年の間は開催が一時的に中止された。
開催再開と中止
終戦からわずか2年後の1947年には再開され、ジャガーやペガソ、フェラーリ、ポルシェ、サーブ、チシタリアなどの戦後勃興してきた新興メーカーが多数参戦したほか、アメリカからも当時モータースポーツに積極的に参戦していたリンカーンが参戦するなど、戦前を上回る盛り上がりを見せた。
しかし、1957年にスペインのアルフォンソ・デ・ポルターゴ侯爵がドライブするフェラーリが観客を巻き込む大事故を起こし(デ・ポルターゴ侯爵自身も死亡した)ため、やむなくイタリア政府は以降のレースの開催の中止を命じ、30年間の輝かしい歴史に幕を閉じた。
復活
1977年に、当時参戦した実車とその同型車のみが参加できるタイムトライアル方式[要検証 ]のクラシックカーレース「ミッレミリア・ストーリカ(Mille Miglia Storica)」として20年ぶりに復活した。
これ以降、ジャッキー・イクスやクレイ・レガッツォーニ、ミカ・ハッキネンなどの元F1ドライバーや、スターリング・モスなどの初代ミッレミリアに参加したドライバーも多数参戦する、格式の高いクラシックカーラリーとして毎年開催されることとなった。
現在
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現在は、イタリア国内だけでなくイギリスやドイツ、日本やアメリカ、アルゼンチンやオーストラリアなど、世界各国から多数の参加者を集めるだけでなく、フェラーリやメルセデス・ベンツが、開催時に大規模な関連イベント(トリビュート・イベント)やスポンサーを行うほか、ジャガーやBMWなどが博物館などが所有する当時の参加車を走らせるなど、世界で開催されるクラシックカーラリーの最高峰として高い人気を誇る。
さらにクラシックカーラリーの人気が高い日本やアメリカでは、復活版ミッレミリアの主催者から正式に承認を受けた姉妹版を開催している。
また、公式スポンサーのひとつである宝石商のショパールが参加者に寄贈する同名の腕時計は、コレクターズアイテムとして時計マニアのみならず自動車マニアにも人気である。
各年の勝利者
年 | ドライバー | 車両 |
---|---|---|
1927年 | ![]() ![]() |
OM 665 S |
1928年 | ![]() ![]() |
アルファロメオ・6C 1500 Super Sport Spider Zagato |
1929年 | ||
1930年 | ![]() ![]() | |
1931年 | ![]() ![]() |
メルセデス・ベンツ・SSKL |
1932年 | ![]() ![]() |
アルファロメオ・8C 2300 |
1933年 | ![]() ![]() |
アルファロメオ・8C 2300 Spider Zagato |
1934年 | ![]() ![]() |
アルファロメオ・8C 2600 Monza Spider Brianza |
1935年 | ![]() ![]() |
アルファロメオ・ティーポB |
1936年 | ![]() ![]() |
アルファロメオ・8C 2900 A |
1937年 | ![]() ![]() | |
1938年 | ![]() ![]() |
アルファロメオ・8C 2900 B Spider MM Touring |
1939年 | 中止 | |
1940年 | ![]() ![]() |
BMW・328 ベルリネッタ・ツーリング |
1941年 - 1946年 |
第二次世界大戦のため休止 | |
1947年 | ![]() ![]() |
アルファロメオ・8C 2900 B Berlinetta Touring |
1948年 | フェラーリ・166 S Coupé Allemano | |
1949年 | ![]() ![]() |
フェラーリ・166 MM Barchetta Touring |
1950年 | ![]() ![]() |
フェラーリ・195 S Berlinetta Touring |
1951年 | ![]() ![]() |
フェラーリ・340アメリカ Berlinetta Vignale |
1952年 | ![]() ![]() |
フェラーリ・250 S Berlinetta Vignale |
1953年 | ![]() ![]() |
フェラーリ・340 MM Spyder Vignale |
1954年 | ![]() |
ランチアD24 スパイダー |
1955年 | ![]() ![]() |
メルセデス・ベンツ・300SLR |
1956年 | ![]() |
フェラーリ・290 MM Spyder Scaglietti |
1957年 | ![]() |
フェラーリ・315 S |
イタリア以外での開催
日本
初回
イタリアでミッレミリアを観戦したフジテレビジョン事業部長の増田晴男が主導し、1992年にレースごと日本に招いて日本版ミッレミリアとして「La Festa Mille Miglia」を開催した。イタリアの本家ミッレミリアに出場した50台のクラシックカーをヨーロッパとアメリカから空輸し、日本からの参加の10台を合わせた60台で行なわれた。なお週1回6分の関連番組も、同局や関西テレビで放送された。
空間プロデューサーの川添象郎のプロデュースを行い、明治神宮外苑の聖徳記念絵画館前に一定期間有料で参加車を展示した後、スターリング・モス、ジャン・アレジや堺正章などの参加者の手により、鈴鹿サーキットまでの往復区間の国内の一般道と高速道路を本家同様1000マイルに渡り走らせ、富士スピードウェイと鈴鹿サーキットでのタイムトライアルも行うという、バブル景気の雰囲気を醸し出していた大々的なものであった。
しかし、バブル景気崩壊後の平成不況下ということもあり、当初協賛を予定していたスポンサー兼ケータリング(キリンホールディングス)が下りたほか、同局が予想したほどスポンサーからの協賛が集まらないなどの事情や、空輸のための輸送費と、それを上回る膨大な保険料がかかるなどの問題があり、これ以降同じ体制で開催されることはなかった。なお優勝車はアバルト・750GTザガートであった。
1997年 - 2010年
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その後数年間の空白期間の後、初回の日本版のプロデューサーで、フジテレビジョンから独立しヴェテランカークラブ東京の事務局長となった増田が、1997年より、日本で唯一国際クラシックカー連盟から公認を受けた本格的なクラシックカーレースとして「La Festa Mille Miglia」を毎年秋に開催することになった。
初回と違い基本的に日本国内からの出場者を中心とするものの、本家同様に当時参戦した実車とその同型車のみが参加できるタイムトライアル方式のクラシックカーレースとし、堺正章や近藤真彦、東儀秀樹、保坂尚輝、パンツェッタ・ジローラモ、西田ひかる、水野誠一・木内みどり夫妻などの著名人が毎回参戦するなど本国同様の高い人気を博した。
全日程3泊4日で10月初旬~中旬の開催。ルートは東京都の原宿・明治神宮をスタート地点として北上し、福島県の裏磐梯で2泊しながら南東北を周遊して南下。栃木県茂木町のツインリンクもてぎで1泊し、スタート地点である東京都の原宿・明治神宮をゴール地点としていた。2010年の開催レースでは、ショパールではなくルイ・エラール(輸入元:DKSHジャパン)がオフィシャルタイムピースを発表していた。
2011年 - 2012年
2011年に発生した東日本大震災の影響で、この年から開催地は被災地である東北地方から関東甲信越に変更となり、原宿・明治神宮を出発し長野県軽井沢町で2泊、神奈川県箱根町を経由して明治神宮に戻るルートとなった(2014年からは新潟県湯沢町も行程に追加された)。本国の組織の変更もあり名称も「ミッレミリア」の冠を下ろして「ラ・フェスタ・アウトゥンノ(La Festa Autunno)」となっている[1]。一方で、2013年には「La Festa Estate」の名称で小規模ながら東北地方での開催を行うことも発表[2]されている。
現在
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2013年以降は本国との契約が結びなおされたことから、再び「La Festa Mille Miglia」として開催している。なお、体制や開催内容などはそれ以前と大きく変わりはないが、特別枠として日本車の参加枠が設けられた。また、この年より名誉総裁として彬子女王が就任されたほか、開会式に同殿下や駐日イタリア大使が招かれる。2018年には、裏磐梯ルートが8年ぶりに復活した[3][4]。
毎回100台近い参加台数を集め、近年は日本国内のみならず海外からの参加者も多い。また、これまでと同様に堺正章や近藤真彦、横山剣や清水国明などのクラシックカーマニアの著名人の参加者も多い。また、春には兄弟イベントの「La Festa Primavera」も開催されている。
アメリカ合衆国
1991年より「Amici Americani della Mille Miglia」の名称で、アメリカ合衆国を舞台に、本家同様に当時参戦した実車とその同型車のみが参加できるタイムトライアル方式のクラシックカーレースとして開催され、現在は「California Mille/Amici Americani della Mille Miglia」の名称で開催されている[5]。
脚注
- ^ La Festa Autunno 2011 企画趣旨
- ^ La Festa Estate 2013 企画趣旨
- ^ “企画主旨”. La Festa Mille Miglia 2018 組織委員会. 2019年3月18日閲覧。
- ^ 「「ラ・フェスタ・ミッレミリア」19日開幕 裏磐梯ルート復活!」『福島民友ニュース』福島民友新聞社、2018年10月18日。2019年3月18日閲覧。
- ^ California Mille/Amici Americani della Mille Miglia
関連事項
外部リンク
- Mille Miglia(イタリア語/英語)
- ショパール
日本のミッレミリア
ミッレ・ミリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/29 06:27 UTC 版)
「アルピーヌ・A106」の記事における「ミッレ・ミリア」の解説
レースのノウハウを元に、ジャン・レデレは1956年からアルピーヌ最初の市販モデルとしてA106ミッレ・ミリアの製造を始めた。106とは、ルノー106系である4CV用1062型、1063型エンジンを使用していることを示す。 ボディーはスペシャルの伝統を受け継ぐFRP製で、鋼管の背骨を主体とした強固なシャシに載せられた。レースの中で試行錯誤してできたスペシャルを元にジョヴァンニ・ミケロッティがデザインした。 足回りは4CVから強化され、前がダブルウィッシュボーンの独立懸架、後がコイルばねを用いたスイングアクスルとされた。4CV用15インチホイール、ヘッドライト、テールライト、ウィンドシールド等もルノーの既存パーツから流用されていた。 エンジンは当初から多数のバリエーションが用意された。基本モデルはソレックス22ICTキャブレターを装着した圧縮比7.25の4CV用747cc OHVエンジンをそのまま使い出力は 21hp/4,000rpm、最大トルクは 4.6kgm/2,000rpm となっていたが、むしろキャブレターをソレックス35PAAIやウェーバー36DCLD3に交換し、圧縮比を9.0や9.5に上げるなどで43hp/6,200rpmとしたチューンの方が多数であった。 トランスミッションは4CVが3速MTだったのに対し5速MTとなり、ギア比は4種から選択が可能だった。 重量は500kgと軽量化されており、43hpエンジン、トランスミッションのファイナル段ギア比4.71の仕様で最高速度は153km/hに達した。 ルノーからの部品・販売等サポートを受け、自国スポーツカーに飢えていたフランスのアマチュアドライバーに支持されて当時としては成功したモデルとなり、1962年まで生産された。
※この「ミッレ・ミリア」の解説は、「アルピーヌ・A106」の解説の一部です。
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