ヘンリー (第3代ランカスター伯)
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ヘンリー Henry Plantagenet | |
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第3代ランカスター伯 | |
在位 | 1327年 - 1345年 |
出生 |
1281年頃 |
死去 |
1345年9月22日 イングランド王国、レスター城 |
配偶者 | モード・チャワース |
子女 | 一覧参照 |
家名 | プランタジネット家 |
父親 | 初代ランカスター伯エドマンド |
母親 | ブランシュ・ダルトワ |
第3代ランカスター伯爵ヘンリー(英語: Henry, 3rd Earl of Lancaster、1281年頃 - 1345年9月22日)は、イングランドの貴族。
経歴
1281年頃、イングランド王ヘンリー3世の次男である初代ランカスター伯・初代レスター伯エドマンドとその妻ブランシュ(フランス王ルイ9世の弟アルトワ伯ロベール1世の娘)の間の次男として生まれる。兄に第2代ランカスター伯を継承したトマスがいる[1][2]。
兄の第2代ランカスター伯トマスは1322年3月16日のバラブリッジの戦いの敗北で処刑された[3]。爵位と所領も没収された[4]。
しかし1324年にはヘンリーに第3代レスター伯位の継承が認められた[1][2]。さらにエドワード3世即位後の1327年には第3代ランカスター伯位の継承も認められた[2]。1329年までには兄が所有していた所領をほぼ回復させた[4]。
1327年にエドワード3世が即位した際に議会は彼を国王警護役に指名したが、当時の実権は母イザベラとその愛人ロジャー・モーティマーが握っていた[5]。モーティマーの急速な昇進に不満を抱いたランカスター伯は、イザベラやモーティマーら宮廷派と対立していた[6]。
家族
1297年にモード・チャワースと結婚した。彼女との間に以下の1男6女を儲けた[1][2]。
- 長女ブランシュ (1305年頃 - 1380年頃) - 第2代リデルのウォーク男爵トマス・ウォークと結婚
- 長男ヘンリー・オブ・グロスモント (1310年頃 - 1361年) - 4代ランカスター伯を継承。初代ランカスター公に叙される
- 次女モード (1310年頃 - 1377年) - 第3代アルスター伯爵ウィリアム・ドン・ド・バラと結婚
- 三女ジョアン (1312年頃 - 1349年) - 第3代モウブレー男爵ジョン・ド・モウブレーと結婚
- 四女イザベラ (1317年頃 - 1347年以降) - エイムズベリーの女子大修道院長
- 五女エレノア (1318年 - 1372年) - 第2代ボーモント男爵ジョン・ド・ボーモント、ついで第10代アランデル伯爵リチャード・フィッツアランと結婚
- 六女メアリー (1320年 - 1362年) - 第3代パーシー男爵ヘンリー・ド・パーシーと結婚。初代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーの母
紋章
伯爵位の継承以前に、ヘンリーはアジュールのベンドでディファレンスされたヘンリー3世の紋章を継承した。 爵位の回復にあたり、ディファレンスを3つのフランスラベル(3つのラベルそれぞれに3つのフルール・ド・リスがチャージされたもの)に変えた。
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爵位継承前のシールド
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レスター伯・ランカスター伯としてのシールド
出典
- ^ a b c d Lundy, Darryl. “Henry Plantagenet, 3rd Earl of Lancaster” (英語). thepeerage.com. 2016年5月5日閲覧。
- ^ a b c d Heraldic Media Limited. “The Early House of Plantagenet (1154 - 1327)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年4月25日閲覧。
- ^ 青山吉信(編) 1991, p. 290.
- ^ a b 尾野比左夫 1992, p. 17.
- ^ 森護 1986, p. 138.
- ^ 森護 1986, p. 138, 青山吉信(編) 1991, p. 365
参考文献
- 青山吉信 編『イギリス史〈1〉先史〜中世』山川出版社〈世界歴史大系〉、1991年。ISBN 978-4634460102。
- 尾野比左夫『バラ戦争の研究』近代文芸社、1992年。ISBN 978-4773311747。
- 森護『英国王室史話』大修館書店、1986年(昭和61年)。ISBN 978-4469240900。
イングランドの爵位 | ||
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先代 トマス |
第3代レスター伯 1324年 – 1345年 |
次代 ヘンリー |
第3代ランカスター伯 1327年 – 1345年 |
「ヘンリー (第3代ランカスター伯)」の例文・使い方・用例・文例
- ヘンリーの説明はまだ現実に真っ向から反するものだ
- ヘンリーは入隊したとき伍長だった
- Ⅷヘンリー8世
- ヘンリーは学校の前で降ろされた
- オー・ヘンリー短編小説集
- 絵画統覚テストはハーヴァード大学のアメリカ人心理学者ヘンリー・マレーとクリスチアナ・モルガンにより考案された。
- これはまさにヘンリー・ジェイムズ的なテーマだ。
- ヘンリーはどの薬を飲んでいますか。
- ヘンリーはどんな薬を飲んでいますか。
- 友人のヘンリーは昨日授業に出なかったが、私もそうでした。
- 私はもう待てませんとヘンリーは言った。
- 私たちはヘンリーをチームの主将に選んだ。
- 国王ヘンリー8世は、ロンドンからさほど遠くないテムズ川河畔にある自分の宮殿ハンプトンコートにテニスコートを持っていた。
- よくあることだが、ヘンリーは家にいなかった。
- みんながヘンリーを尊敬している。
- ヘンリーは多くても6ドルしか持っていない。
- ヘンリーは自活してもよい年ごろだ。
- ヘンリーは今年の3月に成人する。
- ヘンリーは高齢を理由に解雇された。
- ヘンリーさんという方があなたにお目にかかりたいとおっしゃっています。
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