ドラゴンボート
起源と歴史
ドラゴンボート(龍舟)は、古代中国で生まれた世界最古の手漕ぎ舟の競漕といわれています。
古代中国の春秋戦国時代、秦に支配された楚の国の政治家・屈原(くつげん)は、国の将来を憂い、湖南省の汨羅(べきら)の淵に石を抱いて身投げしました。これを知った近くの漁民たちは、その身を案じ、淵に潜む竜や魚に襲われないようにドラや太鼓を打ち鳴らして捜索。この故事にちなんで、各地で行なわれるようになった小舟レース大会がドラゴンボートの起源とされています。
その後ドラゴンボートは、中国国内はもちろん、東南アジアなどの広い地域で盛んに行なわれるようになり、2000年以上の年月を経て中国から世界各地へ広がっていきました。日本へは今から約350年前、中国福建省から長崎へ伝わったとされています。
雨乞いや水神信仰などの農耕儀礼として行なわれた伝統的な龍舟競漕が、生活のイベントからスポーツ競技へと変わったのは1976年に香港で開催された『香港国際龍舟祭』からです。この大会をきっかけに、『欧州選手権大会』などが誕生し、日本でも1988年、大阪で『日本国際龍舟選手権大会』が開催され、急速にドラゴンボート人気が高まりました。2002年には、兵庫県相生市で『アジア選手権大会』が開催されたほか、東京都、大阪府吹田市、和歌山県、琵琶湖(滋賀県)など、各地で大会が開かれました。スポーツ競技化されたドラゴンボートは、競技人口が世界で約1000万人と爆発的に増加し、アメリカ、カナダ、オーストラリア、またヨーロッパやアフリカ諸国など30ヶ国以上で世界統一規格のレースが行なわれています。
特徴と競技種目
ドラゴンボートは、20名の漕ぎ手と1名の舵取り、1人の太鼓手(ドラマー)の合計22名が乗り組み競漕します。パワーはもちろんですが、クルー全員がタイミングを合わせる“呼吸”が勝敗を分ける競技です。一致団結した瞬間に繰り出される驚異的なパワーとテクニックは、観客のすべてを魅了します。
公式競技種目は、オープン・女子・混合・ジュニア・シニアの5種目で、それぞれ250メートル、500メートル、1000メートルでタイムを競います。「Attention Go !」の音声による合図と同時に、大旗のうち下ろしとピストルによる合図で発艇させ、原則として直線で一定方向に進みゴールを目指します。参加資格としては、レース時の服装で100メートル以上の泳力が必要となり、この条件に満たない選手はライフジャケット着用が義務づけられています(ただし、天候や風力等により安全確保のため、選手全員にライフジャケットの着用を求める場合があります)。世界トップクラスのレースでは1分間に120ピッチを数えます。 100分の1秒を争うレース展開は、まさに水上の格闘技といえます。
真剣勝負だけがドラゴンボートの魅力のすべてではありません。人気スポットでもあるお台場海浜公園が会場の東京大会では、心地よい潮風とレインボーブリッジを臨む美しい景観を満喫することができます。また、日本選手権が開かれる大阪では、天神祭に訪れる何万人もの観客の大声援を受けての競漕が体験できます。参加した者にしか味わうことのできない爽快感と優越感は、何ものにも代え難い魅力があります。
乗艇するには
ドラゴンボートの魅力は、その手軽さにもあります。練習会に来て安全講習と漕ぎ方の指導を受ければ、誰でもレースに参加することができます。
練習会は東京・勝どきにある「勝どきマリーナ(TEL:03-3531-7833)」で随時行なわれており、週末ともなると多くのドラゴンボート愛好家たちで賑わいを見せます。これから世界を目指すのも良し、思い出作りで始めるのも良し。仲間やサークル、地域でチームを作ってぜひ挑戦してください。
ドラゴンボート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/21 04:18 UTC 版)
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ドラゴンボート | |
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各種表記 | |
繁体字: | 龍舟 |
簡体字: | 龙舟 |
拼音: | lóngzhōu |
注音符号: | ㄌㄨㄥˊㄓㄡ |
発音: | ロン ヂョウ |
英文: | dragon boat |
ドラゴンボート(英語:dragon boat, 中国語:龍舟, 簡体字: 龙舟)は、中国に由来する幅が狭くて非常に長い船(ボート)。龍舟(りゅうしゅう、竜舟)あるいは龍船(りゅうせん、竜船)とも言う。龍舟競漕などの祭りやスポーツに使われるもの。たいてい龍の頭と尾で装飾され、大きな太鼓が載せられる。
伝承
ドラゴンボートには、中国の戦国時代の詩人・政治家である屈原にまつわる伝承がある。中国や日本では、屈原が汨羅江に入水自殺した旧暦5月5日の端午節(龍船節ともいう[1])に、漁民が屈原を助けようとドラゴンボートを使ったという伝承にちなみ、伝統的な競漕行事(龍舟競漕)が行われている[2]。また、近代的なスポーツとしても体系化されている。
日本の長崎などではペーロン(白竜)と呼ばれている[3]。また、沖縄では「爬竜船」に由来するハーリーブニ(那覇方言)[4]、ハーレー(糸満方言)と呼ばれている。
乗員
現代の標準的なドラゴンボートの乗員は22名前後で、漕手20名が対になって船首に向かって座り、太鼓手1名が舳先で後ろ向き、舵取り1名が船尾に立つ。漕手が18名の場合も多い。実際にはドラゴンボートは長さや乗員はさまざまあり、漕手10名〜50名の場合もある。
- 太鼓手
太鼓手はドラゴンボートの心臓の響きの担当と考えられ、レース中乗員の漕ぐタイミングや早さをコントロールする。ジェスチャーや声でコマンドを発する場合もある。漕手のペース維持のためかけ声でハッパをかけたりする。競漕の場合太鼓手は必須だが、練習の際は舵取りが代理をする場合もある。
- 漕手
漕手は前向きに座り、特有の櫂(パドル)を使用する。漕手のリーダーは「ペーサー(pacer)」と呼ばれ、チームのペースを管理する。漕手が全員タイミングを合わせることが重要で、それぞれの漕手は斜め前の漕手に合わせることでタイミングを保つ。最前列の漕手は二人で合わせる。これにより漕ぐペースにバランスが生まれ、エネルギーが船を前進させることに集中する。船の方向は舵取りに任せ、漕手は前進に集中する。
- 舵取り
舵取りは舵手とも呼ばれ、船尾でドラゴンボートの針路をコントロールする。レース中、太鼓手と合わせ、コマンドを発したりする。舵棒の動きと船の針路は逆であり、舵棒を右に引くと船は左を向き、左に押すと船は右に向く。舵取りは常に艇のリーダーであり、レース中も太鼓手よりも権限があり、安全に関しても責任がある。
近代スポーツとしてのドラゴンボート
国際レベルでの近代スポーツとしてのドラゴンボートは、国際ドラゴンボート連盟(IDBF[注 1])で運営される。国際ドラゴンボート連盟はGAISFに加盟しており、ドラゴンボートは、連盟組織で主催される競技スポーツと、伝統的な祭りとして世界中でさまざまなルールやスタイルで行われている祭典行事の2種類と規定している。
- 競技は通常、200mまたは250m、500m、1000m、2000mの距離で公式ルールに基づき行われる。
- 祭典行事はおおよそ、数百メートルで行われ、国際イベントの場合は500mが標準となっている。
中国・湖北省宜昌近辺で100kmに亘って揚子江で行われる「三峡ダムラリー」や、50kmのオーストラリアのオード川マラソンなどの耐久レースも行われている。 ドラゴンボートの発祥である中国では、ドラゴンボートとカヌーは明確に別個のスポーツとして位置づけられ、アジアオリンピック評議会(OCA)、中国オリンピック委員会でもそう認められている。アジアドラゴンボート連盟(ADBF)は東アジア競技大会 、東南アジア競技大会に既に含まれ、2008年から開催されているアジアビーチゲームズ、2010年のアジア競技大会でも実施された。
関連項目
外部リンク
- 日本ドラゴンボート協会
- 長崎ペーロン競漕の変容 : 港内ペーロンの担い手の推移を中心として熊野晃三、純心人文研究 10, 31-43, 2004-03-01
注釈
出典
- 脚注
- 参考文献
- 黃麗雲 『東アジア龍船競漕の研究: 台湾・長崎・沖縄の比較』國立臺灣大學出版中心、2013年。ISBN 9-860-38165-8 。
固有名詞の分類
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