トト・クトゥーニョとは? わかりやすく解説

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トト・クトゥーニョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 07:34 UTC 版)

トト・クトゥーニョ
基本情報
出生名 Salvatore Cutugno
生誕 (1943-07-07) 1943年7月7日
出身地 イタリアフォズディノーヴォ
死没 2023年8月22日(2023-08-22)(80歳)
イタリアミラノ
職業 歌手、ソングライター演奏家
担当楽器 ピアノアコースティック・ギタードラムサクソフォーン 鍵盤ハーモニカ
共同作業者 Albatros

トト・クトゥーニョ(Toto Cutugno、1943年7月7日 - 2023年8月22日[1])は、イタリア歌手作曲家

1983年リリースされた世界的なヒット曲「L'Italiano」が有名、また、1990年のユーロビジョン・ソング・コンテスト1990で「Insieme:1992」(1992年を一緒に)でイタリア人歌手として26年ぶりに優勝したことでも知られている。 これまでに1億枚を超えるレコード売り上げ記録を有している。

経歴

トスカーナ州フォズディノーヴォ生まれ。シチリアバルチェッローナ・ポッツォ・ディ・ゴット生まれの父と主婦の母の子として生まれる。生後まもなく、家族はラ・スペツィアリグーリア州)に引っ越した。

彼は音楽の経歴をドラマーから始めたが、後に、彼自身の歌を演奏したバンド「トトとタティ」を結成。その後、数多くのイタリア内外の歌手に楽曲を提供する(フランス系アメリカ人歌手Joe Dassinのために「L'étéindien」(「アフリカ」)、「Et si tu n'existais pas」、「Le Jardin du」など、彼の代表曲となる曲を多く提供した。特に「愛の挽歌 L'Ete Indien(Africa)」が大ヒットした。また、フランス人歌手ダリダの「Laissez moi danser」(「Voglio l'anima」)を共同執筆し、リリース直後にプラチナのレコードとなった)。

1976年に、サンレモ音楽祭に初めて参加し、「Volo 504」で彼のバンドAlbatrosで3位に入賞する。

1976年には「別れのローマ空港」、1977年には「グランプリ」がヒットした。

1977年にはソロ歌手に転身。

1980年代に入ると、「ソロ・ノイ」でサンレモ音楽祭で優勝する。

1983年、「L'italiano」(「The Italian」)は、歌詞と典型的なイタリア語を肯定するメロディーでイタリア人から人気を得る。この曲は、当初、Adriano Celentanoが歌う予定だったが、彼が拒否したためクトゥーニョのものとなった。この曲はサンレモ音楽祭では5位入賞にとどまったが、世界中で大ヒットした。

1984年に「Serenata」(「セレナーデ」)でサンレモで2位に入賞する。

サンレモ音楽祭には、その後も1987年に「Figli」(「息子」または「子供」)で、1988年に「Emozioni」(「感情」) で、1989年に「Le mamme」(「Mothers」)で、1990年にはレイ・チャールズと「Gli amori」(「Loves」、チャールズのバージョンでは「Good Love Gone Bad」というタイトル)で、2005年にも参加し、トト・クトゥーニョはフェスティバルに合計13回参加した。

1990年にはユーゴスラビアで行われたユーロビジョン・ソング・コンテストで彼自身の作曲した「Insieme: 1992」(ヨーロッパの政治統合とEUの設立を祝ったバラード)でイタリア勢として2度目の優勝を果たす。46歳302日で、クトゥーニョは1958年にアンドレ・クラボーが記録した記録を上回り、これまでで最長年のコンテスト優勝者となった(この記録はオールセン・ブラザーズが優勝する2000年まで続いた)。イタリアで唯一の1964年のユーロビジョン優勝者であるジリオラ・チンクェッティとともに、1991年のコンテストを発表をローマで上演した。

2023年8月22日、ミラノの病院で死去。80歳没[1]

私生活

Carla Cutugnoという女性と結婚している。別の女性との間にNicoloという息子がいる。

作品

  • Albatros (1976)
  • Come ieri, come oggi, come sempre (1978)
  • Voglio l'anima (1980)
  • Innamorata, innamorato, innamorati (1981)
  • La mia musica (1982)
  • L'italiano (1983)
  • Per amore o per gioco (1985)
  • Azzura malinconia (1986)
  • Mediterraneo (1987)
  • Toto Cutugno (1990)
  • Insieme 1992 (1990)
  • Non è facile essere uomini (1992)
  • Voglio andare a vivere in campagna (1995)
  • Canzoni nascoste (1997)
  • Il treno va (2002)
  • Cantando (2004)
  • Come noi nessuno al mondo (2005)
  • Un falco chiuso in gabbia (2008)
  • I Miei Sanremo (2010)
  • Ritratto: 50 anni di musica, CD triplo* (2015)

脚注

  1. ^ a b È morto Toto Cutugno. Aveva appena compiuto 80 anni” (イタリア語). RaiNews (2023年8月22日). 2023年8月22日閲覧。

外部リンク

先代
リヴァ
ユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝者
1990
次代
キャローラ
先代
Anna Oxa & Fausto Leali
ユーロビジョン・ソング・コンテスト・イタリア代表
1990
次代
Peppino di Capri
先代
ヘルガ・ヴラホヴィッチ
オリヴェル・ムラカル
ユーロビジョン・ソング・コンテスト司会者
1991
ジリオラ・チンクェッティとともに
次代
Lydia Cappolicchio
Harald Treutiger




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