サントとは? わかりやすく解説

サント【(ラテン)Sancto】

読み方:さんと

キリスト教用語で、聖人のこと。

((ポルトガル)・(スペイン)・(イタリア)Santo他の語冠して、聖、聖なる、の意を添える。


サント【Santo】

読み方:さんと

ルーガンビル


さん‐と【三都】

読み方:さんと

大きな三つ都市。特に、江戸大坂京都をさしていった


さん‐と【山徒】

読み方:さんと

比叡山延暦寺衆徒。寺の雑事警護をしたが、非常時には僧兵となった山法師


さん‐と【山斗】

読み方:さんと

泰山北斗星人々仰ぎ見尊ぶもの。人々から尊敬されている権威者泰斗


さん‐と【蚕都】


三都

読み方:サント(santo

江戸京都・大坂。


山徒

読み方:サント(santo

比叡山延暦寺僧兵

別名 山法師


山都Shan du

サント

侯国

県令

県人


サント

名前 Sainte; Sant; SantoSaint; Sante; Szanto

三稲

読み方:サント(santo

所在 愛知県弥富市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

サント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/08 01:36 UTC 版)

Saintes


行政
フランス
地域圏 (Région) ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏
(département) シャラント=マリティーム県
(arrondissement) サント郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 17415
郵便番号 17100
市長任期 ジャン・ルジェ
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) Communauté de communes du Pays Santon
人口動態
人口 26,401人
2007年
人口密度 580人/km2
住民の呼称 Saintais
地理
座標 北緯45度44分47秒 西経0度38分00秒 / 北緯45.7463888889度 西経0.633333333333度 / 45.7463888889; -0.633333333333座標: 北緯45度44分47秒 西経0度38分00秒 / 北緯45.7463888889度 西経0.633333333333度 / 45.7463888889; -0.633333333333
標高 平均:? m
最低:2 m
最高:81 m
面積 45.55km2 (4 555ha)
Saintes
公式サイト ville-saintes.fr
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サントSaintes)は、フランスヌーヴェル=アキテーヌ地域圏シャラント=マリティーム県の町。周辺のコミューンとともに人口約55,000人の都市圏を形成している。市内は14の行政区に分かれている。

地理

県中央部の東寄り、シャラント川の両岸に広がる。ラ・ロシェルボルドーを結ぶA10高速道の中間地点に位置する。

歴史

シャラント川

溝の遺構、そして新石器時代後期の陶器窯の跡が、Diconcheと呼ばれた地の近くにあった。

紀元前3世紀頃サントンジュ地方を支配していた、ガリア系のサントン族(fr)の勢力下にあったオッピドゥムは1つ以上あったと見られる。実際の都市の出現はローマ軍によるサントンジュ征服後、紀元1世紀半ばと証明されている。アウグストゥス帝時代に都市は急速に重要性を増し、Mediolanum Santonumの名でローマ属州ガリア・アクィタニアの最初の首都となった。

ユリウス=クラウディウス朝時代(アンフィテアトルム、ゲルマニクス門)、フラウィウス朝時代、五賢帝時代(サン=サローヌ温泉)に都市は印象的な記念物で飾り立てられた。2世紀半ばには、ほぼ100ヘクタールの土地に1万人から2万人の人々が暮らしていた。約1世紀後、蛮族の侵攻と無秩序の時代が、城壁に囲まれたカストラの中の都市の衰退を招いた。城壁はいくつかの聖堂や神殿を解体した資材で作られていた。この時代にキリスト教が伝来したと見られている。一説では、初代司教にして殉教者エウトロピウスの影響があった。

8世紀の憲章において、都市の名はSanctonasと記された。10世紀にはSanctone、中世後期にはXainctesと記された。現在のつづりは18世紀から使用されている。フランス革命中の1793年、王政や封建政治、迷信を連想させる都市名の改名が命じられ、Xanteと変えられた。

中世に入ると西ゴート族ヴァイキングサラセン人が相次いで侵攻し、政治的に不安定な都市はメロヴィング朝カロリング朝の2度、アクイタニア王国に併合された。9世紀から10世紀の不安定な時代は、司教の不在の時期と重なった。

11世紀、アキテーヌ公領であったサントは城壁を整備し、カピトル丘に城を建設した。同じ頃、クリュニーの兄弟たちが聖エウトロピウスに捧げる聖堂建設を支援した。これが現在のサン・ウトロープ聖堂で、たちまちサンティアゴの巡礼路の休息所となった。並行して、シャラント川右岸に、ベネディクト会による女子修道院、ダーム修道院がつくられた。

フランスルイ7世妃にしてアキテーヌ女公であるアリエノール・ダキテーヌが、1152年にルイ7世と離婚してアンジュー伯兼ノルマンディー公アンリ(後のイングランドヘンリー2世)と再婚すると、アキテーヌ全体がイングランド領となった。1242年、ラ・マルシュ伯ユーグ10世・ド・リュジニャンジョン王の後妻イザベラ・オブ・アングレームの再婚相手)がルイ9世に対して反乱を起こしたことで、ルイ9世率いるフランス軍はアキテーヌを併合しようとし、ユーグ10世の継子でアキテーヌ公・イングランド王のヘンリー3世が遠征軍を率いて上陸した。両軍はサントの城外で衝突(タイユブールの戦い)、敗北したヘンリー3世はサントンジュ地方の一部を失った。サントはフランス=アキテーヌ国境の町となったが、正式にサントがフランスに併合されたのは1404年である。

16世紀に起きたユグノー戦争によるユグノーとカトリック両派の衝突は、都市の記念物の一部を破壊した。対抗宗教改革政策で都市に平和が戻ると、多くの修道会がサントにやってきた。一方でユグノーへの寛容は薄れ、改宗を嫌った亡命者が相次いだ。

1790年、サントは新設されたシャラント=アンフェリウール県の県都となった。1802年、コンコルダートによってサント司教座はラ・ロシェル司教座と統合され、サントは司教座を失った。その8年後に県都がラ・ロシェルへ移され、経済停滞の時代はフランス第二帝政末期まで続いた。1867年に鉄道が敷かれた。

交通

みどころ

  • ゲルマニクス門 - ティベリウス帝時代の紀元18年か19年に、ゲルマニクスを讃えつくられた。
  • アンフィテアトルム
  • サン=ピエール聖堂 - ゴシック様式。現在、ラ・ロシェル=サント司教座の聖堂
  • サン=ウトロープ教会 - ロマネスク様式。マイナー・バシリカ

出身者

姉妹都市


サント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/01 07:18 UTC 版)

スライムもりもり」の記事における「サント」の解説

サンダーラット正義の味方名乗っているが、勘違い多く実力大したとがないスラリン苛めたとしてミイホン立ち向かう軽くあしらわれ突如現れドラゴンヘビー圧倒した二人恐れをなし、逃げていった。

※この「サント」の解説は、「スライムもりもり」の解説の一部です。
「サント」を含む「スライムもりもり」の記事については、「スライムもりもり」の概要を参照ください。

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