クヒスターンおよびアラムート時代とは? わかりやすく解説

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クヒスターンおよびアラムート時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 17:16 UTC 版)

ナスィールッディーン・トゥースィー」の記事における「クヒスターンおよびアラムート時代」の解説

その後、トゥースィーは、当時ホラーサーン南方のクヒスターンにおけるニザール派太守ハーキムであったナースィルッディーン・ムフタシャムの庇護を受け、人間道徳や家族政治について倫理について論じたナースィル倫理学』を献呈している。ムフタシャムは当時哲学などの諸学通じ賢明かつ寛大な人物として知られており、『ナースィル史話』の著者ジューズジャーニーは1224年から数回渡りこの太守接見しているが、彼をホラーサーン地方で最高の哲学者賢者評している。1220年チンギス・ハン率いモンゴル帝国軍がマー・ワラー・アンナフル侵攻し6月にはジェベホラズム・シャー朝アラーウッディーン・ムハンマド追ってニーシャープール到達。翌1221年2月には前年11月ニーシャープールチンギス第四女トムルンの娘婿であったトクチャルが戦死したことの報復として、ホラーサーン征服軍を指揮していたトルイによる同市の徹底的な破壊記録されており、トゥースィーはこれらの戦乱避けるために当時学識人望ともに高くモンゴル戦火から免れた多く人々保護していたムフタシャムの宮廷に他の学者たちとともに赴いた物と思われる。 このクヒスターン時代に、上述の『ナースィル倫理学』の他に『服従花園』(Rauḍat al-taslīm)、『品行振舞い』(Sair wa Sulūk)、『友情拒絶についての論文』(Risāla dar Tawallā wa Tabarrā)など多くイスマーイール派教義関わる書物論文著している。 トゥースィーはモンゴル帝国フレグイラン地域征服しに来た時、アラムートニザール派26教主アラーウッディーン・ムハンマド (ムハンマド3世)と第27教主ルクヌッディーン・フルシャー(ペルシア語版)によってアラムート近傍のマイムーン・ディズという城塞幽閉されていたことが知られている。 『集史』や13世紀後半歴史家カーシャーニーなどはクヒスターンの太守ムフタシャムの怒り買ってアラムート教主アラーウッディーンのもとに連行されたことのみが書かれているが、『ワッサーフ史』やティムール朝時代歴史家ホーンダミールによると、トゥースィーがクヒスターン滞在中にアッバース朝最後のカリフムスタアスィムに頌詩書き送り宰相ワズィール)ムアイイドゥッディーン・ムハンマド・イブン・アル=アルカミーを介してムスタアスィム仕えようとしたという。それによると宰相イブン・アル=アルカミーは、トゥースィーの学識の高さから彼がカリフ宮廷仕えようになったら自らの地位危うくするに違い無いと怖れ頌詩送り返して太守ムフタシャムにカリフ文通はじめたトゥースィーは油断ならない人物だから警戒するように促した。この書簡読んだムフタシャムは怒ってトゥースィーを監禁しアラムートのアラーウッディーンのもとに来訪したとき、彼も連行してアラムート側に引き渡した伝えている。 しかし、別の伝承では、教主アラーウッディーンが太守ムフタシャムのもとにトゥースィーが庇護受けている事に羨望し、手勢のフェダーイーンを派遣してアラムート赴くよう勧めたという。トゥースィーがこれを拒絶したため教主は殺すと脅迫して無理に連行させたともいう。いずれにしろ不本意なかたちでアラムート連れて来られたようで、1246年に彼が書いた『諸指示注解』(SharIshārāt)には現在の自らの困難な状態から救われるよう神への祈り言葉述べられており、アラムート時代のトゥースィーの境遇はなはだ良くない状況だったようである。

※この「クヒスターンおよびアラムート時代」の解説は、「ナスィールッディーン・トゥースィー」の解説の一部です。
「クヒスターンおよびアラムート時代」を含む「ナスィールッディーン・トゥースィー」の記事については、「ナスィールッディーン・トゥースィー」の概要を参照ください。

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