カリフォルニアへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 02:21 UTC 版)
「ロバート・A・ハインライン」の記事における「カリフォルニアへ」の解説
1934年結核を患い、海軍を退役。長い入院生活の中でウォーターベッドを思いつき、後にそれについて詳細に小説に書いている。このため、ハインラインの小説が先例となって、ウォーターベッドの特許は成立しなかった。 その後UCLAの大学院で数学を学んだが、数週間で退学。再び病気が悪化したという理由もあるが、政治家を目指したからでもある。 ハインラインは不動産販売のセールスマンや銀鉱の作業員などの職を転々としたが、その間ずっと困窮していた。この頃のハインラインは社会主義者のアプトン・シンクレアの活動に参加していた。1934年のカリフォルニア州知事選ではシンクレアが民主党の推薦を受けて立候補したため、熱心に選挙活動を行った。1938年にはカリフォルニア州議会議員選挙に自ら立候補したが、落選した。1954年のノンフィクションでハインラインは「多くのアメリカ人は…マッカーシーが「恐怖の時代」を生み出したと声を大にして断言していました。あなたは恐れていますか? 私はそういうことはなく、マッカーシー上院議員よりも左よりの立場で政治活動していた経験があります」と書いている。
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