カラー放送開始、金網デスマッチ中継封印、放送時間短縮
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「TWWAプロレス中継」の記事における「カラー放送開始、金網デスマッチ中継封印、放送時間短縮」の解説
『日本プロレス中継』や『NETワールドプロレスリング』がカラー放送を始める中でモノクロ放送を続けてきた本番組であったが、「第2回ワールド・チャンピオン・シリーズ」中の1970年4月からはカラーによる生中継や番組収録に切り替わり、モノクロ中継は4月15日放送の鳥取県米子市体育館大会の録画中継(3月29日開催、草津VSグラン・ブラジミアとストロング小林&マイティ井上&サンダー杉山VSロビンソン&ジミー・ダラ&イワン・ストロゴフを放送)が最後となり、4月22日・4月29日放送の北九州市若松体育館大会の録画中継(4月13日開催)からカラー放送が開始された。カラー放送初回である4月22日放送分は、草津&ロビンソンVSストロゴフ&ブラジミアと小林VSダラが放送された。 カラー放送開始から半年後の1970年10月、日本プロレス史上初の金網デスマッチである木村VSドクター・デス(1970年10月8日、大阪府立体育館)を、TBSは翌週10月14日に草津&サンダー杉山VSブルー・デモン(レス・ウォルフ)&メッサーシュミット(クラウス・カーロフ)のIWA世界タッグ選手権とのセットで、カラーにて録画放送した。金網デスマッチを放映した背景には、1970年7月 - 9月の視聴率が15%前後と低迷していたためのテコ入れだったという。しかし、その後局内でも放送の是非が問題視され、結局TBSは自主判断によりこの一戦のみで金網デスマッチの放映を封印し、同年12月12日に台東区体育館で行われた金網デスマッチ第2戦の木村vsベーカー以降は中継しないこととし(当日に行われたラリー・ヘニング&ボブ・ウィンダムVS杉山&草津のIWA世界タッグ選手権の収録は行われ、12月30日に録画中継)、以降は金網デスマッチが行われた大会では、それ以外の試合のみの録画中継となった。なお、近畿地方で開催された大会におけるデスマッチ中継は、後継の『国際プロレスアワー』も含めて、木村VSドクター・デスが最初で最後となった。しかし、木村VSドクター・デス戦を境に、視聴率は15%台を割り込むようになっていく。 この流血シーンの放送自粛処置の発端は1962年、フレッド・ブラッシーが日本プロレスに参戦していた頃、その試合中の流血をカラーテレビ(実際にはモノクロで放送)で視聴していた老人が2人ショック死したことが挙げられる。その後、日本テレビでは一時カラー放送が中止された他、『国際プロレスアワー』におけるデスマッチ中継でも流血シーンや凶器攻撃を放映しない策が講じられた。 その後、金網デスマッチは木村以外の選手も行うことになった他、録画中継を実施しない大会や、当時JNN加盟局が所在しなかった地域で行われた大会でも行われるようになっていくが、金網デスマッチが開始した翌年である1971年から放送カードに本格的に苦慮することになり、主力選手が金網デスマッチを行ったが故に3週間から約1か月もメインイベントが放送されないケースもあった。 1969年12月31日の『第11回日本レコード大賞』に伴う休止以外、放送休止がなかった本番組であったが、「'71ビッグ・チャレンジ・シリーズ」開幕直前の1971年10月20日は年末年始以外では初の放送休止となった。 国際プロレスは前年からのAWAとの業務提携に伴い、ブラックジャック・ランザとボビー・ヒーナンが来日した「'71ビッグ・サマー・シリーズ」以降、レッド・バスチェン、ダスティ・ローデス、バロン・フォン・ラシクなどAWAのスター選手を次々に招聘し、積極的に中継に登場させた。これが功を奏し、「'71ビッグ・チャレンジ・シリーズ」の1971年12月放送分の視聴率は平均で16%台に回復した。 TBSは「'71ビッグ・チャレンジ・シリーズ」終了直後に、1972年1月から放送時間を水曜19:00 - 19:30に短縮することを決定した。放送時間短縮の理由は、1971年に発生したニクソン・ショックによりスポンサー料が入るのが困難となり、スポンサー料を節約するために放送時間を短縮することになった。水曜19時台における1時間枠の放送は、1971年12月29日放送(12月12日開催)の埼玉県飯能市体育館大会における杉山&木村VSブロンド・ボンバーズ(ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ)のIWA世界タッグ選手権および小林VSローデスのIWA世界ヘビー級選手権の録画中継をもって終了した。 1972年1月5日からは水曜 19:00 - 19:30の30分枠に短縮された(短縮後の初回は「'72新春パイオニア・シリーズ」北九州市小倉区三萩野体育館大会の生中継。翌週12日にも録画中継で放送)。同年1月27日に行われた「'72新春パイオニア・シリーズ」横浜文化体育館大会にて、IWA世界ヘビー級選手権としては初の金網デスマッチとなる小林VSカーティス・イヤウケア戦が行われたが、金網デスマッチで行われるタイトルマッチであっても、当然ながら未放送となった。なお、横浜大会当日は、木村&ミスター珍VSローム・マスク(ジルベール・ボワニー)&チャールズ・ベレッツと杉山&寺西勇&大剛鉄之助VSダン・ミラー&ケニー・ジャイ&ジェリー・オーティスの2試合のみ収録された(木村&珍VSマスク&ベレッツは3月1日に、杉山&寺西&大剛VSミラー&ジャイ&オーティスは同月8日にそれぞれ録画中継)。放送時間短縮と同時に視聴率は10%前後に低下してしまう。 「第4回IWAワールド・シリーズ」では、ラシク、ロシモフ、ゴーディエンコ、ドン・レオ・ジョナサン、ホースト・ホフマンなどの豪華外国人を招聘したが、同年3月29日放送の「第4回IWAワールド・シリーズ」開幕戦札幌中島スポーツセンター大会の録画中継(3月27日開催、「第4回IWAワールド・シリーズ」公式戦のロシモフVSジョナサン)をもって、4年3か月続いた水曜19時台の放送が終了した。
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