カラー放送開始、金網デスマッチ中継封印、放送時間短縮とは? わかりやすく解説

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カラー放送開始、金網デスマッチ中継封印、放送時間短縮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 19:59 UTC 版)

TWWAプロレス中継」の記事における「カラー放送開始、金網デスマッチ中継封印、放送時間短縮」の解説

日本プロレス中継』や『NETワールドプロレスリング』がカラー放送始める中でモノクロ放送続けてきた本番であったが、「第2回ワールド・チャンピオン・シリーズ」中の1970年4月からはカラーによる生中継番組収録切り替わりモノクロ中継4月15日放送鳥取県米子市体育館大会録画中継3月29日開催草津VSグラン・ブラジミアとストロング小林&マイティ井上&サンダー杉山VSロビンソン&ジミー・ダラ&イワン・ストロゴフ放送)が最後となり、4月22日4月29日放送北九州市若松体育館大会録画中継4月13日開催)からカラー放送開始された。カラー放送初回である4月22日放送分は、草津&ロビンソンVSストロゴフ&ブラジミアと小林VSダラ放送された。 カラー放送開始から半年後の1970年10月日本プロレス史上初の金網デスマッチである木村VSドクター・デス1970年10月8日大阪府立体育館)を、TBS翌週10月14日草津&サンダー杉山VSブルー・デモン(レス・ウォルフ)&メッサーシュミット(クラウス・カーロフ)のIWA世界タッグ選手権とのセットで、カラーにて録画放送した。金網デスマッチ放映した背景には、1970年7月 - 9月視聴率15%前後低迷していたためのテコ入れだったという。しかし、その後局内でも放送の是非が問題視され結局TBS自主判断によりこの一戦のみで金網デスマッチ放映封印し同年12月12日台東区体育館行われた金網デスマッチ第2戦の木村vsベーカー以降中継しないこととし当日行われたラリー・ヘニング&ボブ・ウィンダムVS杉山&草津IWA世界タッグ選手権収録行われ12月30日録画中継)、以降金網デスマッチが行われた大会では、それ以外試合のみの録画中継となった。なお、近畿地方開催され大会におけるデスマッチ中継は、後継の『国際プロレスアワー』も含めて木村VSドクター・デス最初で最後となった。しかし、木村VSドクター・デス戦を境に、視聴率15%台を割り込むようになっていく。 この流血シーン放送自粛処置発端1962年フレッド・ブラッシー日本プロレス参戦していた頃、その試合中流血カラーテレビ実際にモノクロ放送)で視聴していた老人2人ショック死したことが挙げられるその後日本テレビでは一時カラー放送中止された他、『国際プロレスアワー』におけるデスマッチ中継でも流血シーン凶器攻撃放映しない策が講じられた。 その後金網デスマッチ木村以外の選手も行うことになった他、録画中継実施しない大会や、当時JNN加盟局所在しなかった地域行われた大会で行われるようになっていくが、金網デスマッチ開始した翌年である1971年から放送カード本格的に苦慮することになり、主力選手金網デスマッチ行った故に3週間から約1か月メインイベント放送されないケースもあった。 1969年12月31日の『第11回日本レコード大賞』に伴う休止以外、放送休止がなかった本番であったが、「'71ビッグ・チャレンジ・シリーズ」開幕直前1971年10月20日年末年始以外では初の放送休止となった国際プロレス前年からのAWAとの業務提携に伴いブラックジャック・ランザボビー・ヒーナン来日した「'71ビッグ・サマー・シリーズ」以降レッド・バスチェンダスティ・ローデスバロン・フォン・ラシクなどAWAスター選手次々招聘し、積極的に中継登場させた。これが功を奏し、「'71ビッグ・チャレンジ・シリーズ」の1971年12月放送分の視聴率平均16%台に回復したTBSは「'71ビッグ・チャレンジ・シリーズ」終了直後に、1972年1月から放送時間水曜19:00 - 19:30短縮することを決定した放送時間短縮理由は、1971年発生したニクソン・ショックによりスポンサー料が入るのが困難となり、スポンサー料を節約するために放送時間短縮することになった水曜19時台における1時間放送は、1971年12月29日放送12月12日開催)の埼玉県飯能市体育館大会における杉山&木村VSブロンド・ボンバーズ(ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ)のIWA世界タッグ選手権および小林VSローデスIWA世界ヘビー級選手権録画中継をもって終了した1972年1月5日からは水曜 19:00 - 19:3030短縮された(短縮後の初回は「'72新春パイオニア・シリーズ北九州市小倉区三萩野体育館大会生中継翌週12日にも録画中継放送)。同年1月27日行われた「'72新春パイオニア・シリーズ横浜文化体育館大会にて、IWA世界ヘビー級選手権としては初の金網デスマッチとなる小林VSカーティス・イヤウケア戦が行われたが、金網デスマッチ行われるタイトルマッチであっても当然ながら未放送となった。なお、横浜大会当日は、木村&ミスター珍VSローム・マスク(ジルベール・ボワニー)&チャールズ・ベレッツ杉山&寺西勇&大剛鉄之助VSダン・ミラー&ケニー・ジャイ&ジェリー・オーティスの2試合のみ収録された(木村&珍VSマスク&ベレッツは3月1日に、杉山&寺西&大剛VSミラー&ジャイ&オーティス同月8日それぞれ録画中継)。放送時間短縮同時に視聴率10%前後低下してしまう。 「第4回IWAワールド・シリーズ」では、ラシク、ロシモフ、ゴーディエンコ、ドン・レオ・ジョナサンホースト・ホフマンなどの豪華外国人招聘したが、同年3月29日放送の「第4回IWAワールド・シリーズ開幕戦札幌中島スポーツセンター大会録画中継3月27日開催、「第4回IWAワールド・シリーズ公式戦ロシモフVSジョナサンをもって4年3か月続いた水曜19時台放送終了した

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