カナート
カナート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 04:38 UTC 版)
カナート(アラビア語: قناة, qanāt)とは、イランの乾燥地域に見られる地下用水路のこと。同様のものをアフガニスタン、パキスタン、ウズベキスタン、新疆ウイグル自治区などではカレーズ(karez; ペルシア語: كاريز 転写:kāriz)といい、北アフリカではフォガラ(foggara)という。
イラン高原を中心に各時代に出現したペルシア帝国が、ティグリス川・ユーフラテス川沿岸の古代メソポタミア文明を凌駕した点の一つにこのカナートという灌漑施設があったといわれる。現在に至るまで古代に起源を持つこの水路が使われている地域も多い。
山麓の扇状地などにおける地下水を水源とし、蒸発を防ぐために地下に水路を設けたものである。山麓に掘られた最初の井戸で水を掘り当ててその地点から横穴を伸ばし、長いものは数十kmに達する。水路の途上には地表から工事用の穴が掘られ、完成後は修理・通風に用いられる。水路が地表に出る場所には、耕地や集落のあるオアシスが形成されている。耕地では小麦、大麦に加え、乾燥に強いナツメヤシ、近年では綿花やサトウキビなどの商品作物の栽培が行われている。
各地の名称
- ペルシア語:ガナート قنات (ghanāt)、カーリーズ کاریز (kārīz)
- アラビア語(フスハー):قناة(語義:(中が空洞な)槍;(主にまっすぐな、ないしは曲がった)棒、シャフト、ポール;(狭いもしくは幅広の)水路、運河[1][2][3][4]) *文語アラビア語の休止形発音では qanāh(カナーフとカナーハが混ざったような発音で、最後のh音は無母音のため軽く発声)、口語に近い簡略化された休止形発音では qanā(カナー)、また現代では語末にある文字 ة (ター・マルブータ)の直前が長母音āの場合「ه(h)」音ではなく「ت(t)」音で読むことが許容されておりqanāt(カナート)と読むことの根拠になっている。
- ダリー語(アフガニスタン):カレーズ کاریز (kārēz)
- ウイグル語:カリズ كارىز (kariz)
- 中国語:坎児井(kǎnrjǐng、カアルジン、新疆ウイグル自治区のトルファン盆地、甘粛省等にある)
- 日本語:マンボ[注 1]。「マンボ」という名前の語源ははっきりしないが、オランダ語の「マンプウ」から出たものであるという説が谷崎潤一郎の『細雪』に紹介されており、鉱山の坑道、地中の水脈を求めて横堀りした水路、鉄道の線路盛土の下に掘られた狭い通路や水路などが、「マンボウ」「マンプウ」「マンポウ」「マンボ」「マンポ」「マンプ」などと呼ばれているという[9]。
脚注
注釈
出典
- ^ “The Living Arabic Project - قناة” (英語). 2023年12月27日閲覧。
- ^ “معنى شرح تفسير كلمة (قناة)”. www.almougem.com. 2023年12月27日閲覧。
- ^ “المعاني - قناة”. 2023年12月27日閲覧。
- ^ 「カナート」がアラビア語でオアシスを意味するとの記事が見られるが誤り。アラビア語でオアシスはوَاحَة(wāḥahないしはwāḥa, 日本語カタカナ表記:ワーハ)と呼ばれ、カナートとは全く別の語となっている。
- ^ “The Living Arabic Project - فلج” (英語). 2023年12月27日閲覧。
- ^ “International Glossary of Hydrology:AR 0720 foggara” (アラビア語). UNESCO. 2016年8月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2005年8月7日閲覧。
- ^ “Khettara” (アラビア語). UNESCO. 2022年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2005年8月7日閲覧。
- ^ “東海の歴史的水利遺構 - マンボ - 木曽調だより第17号” (PDF). 農林水産省東海農政局. p. 4 (2007年3月). 2018年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月22日閲覧。
- ^ “西宮と垂井のマンボウ 大垣つれづれ”. 大垣地域ポータルサイト 西美濃 (2018年1月22日). 2023年2月17日閲覧。
関連項目
- 溝渠
- 灌漑
- 用水路
- 被圧帯水層(artesian aquifer)
- トルファン・カレーズ楽園
- ペルシア式カナート - イランの世界遺産。
- バードギール(採風塔) - カナートと組み合わせて、空調として使用される。
- 古代ペルシアにおける伝統的な水源
- ヤフ・チャール
カナート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 18:56 UTC 版)
詳細は「カナート」を参照 後述の#登録経緯や#登録基準の背景になる点を中心として、カナートについて概説する。 カナートは山麓に母井戸を掘り、水平に近いなだらかな勾配で横坑を延ばしていき、離れた地域に水を供給するシステムである。その掘削には測量が必要不可欠であり、その技術が洗練されていった。横坑を延ばす際に通気のためや作業のために多くの縦坑を空けることになるので、上空から見ると点状に縦坑が連なって見える。 カナートは古代ペルシアで生まれたとされ、その始まりは紀元前2000年とも言われるが、正確な起源は不明である。カナートについての最古の言及とされるのが、紀元前714年の事跡に関する楔形文字の記録である。それには、アッシリアのサルゴン2世がウラルトゥに遠征した際、オルーミーイェでの攻撃の一環で、何らかの用水路と思しき構造物の出口を破壊した旨が記載されており、これがカナートのことであろうと考えられている。 カナートはアラビア語だが、そもそも大元の語源が何であるかは確定していない。アッカド語やヘブライ語で「葦」を意味していた言葉が変化したとする説や、もともとペルシア語だったものがアラビア語に入ったとする説などがある。ペルシア語ではカレーズ(kariz, カーリーズ)であり、イラン東部やアフガニスタンなどではこの語が使われる。カナートは更に東にも伝播し、中華人民共和国の新疆ウイグル自治区の坎児井(カンアルチン)などと呼ばれる用水路も、大元はイランから伝播した技術と推測されている。韓国の萬能洑(マンヌンボ)や日本のマンボも類似の用水路だが、日本のマンボの起源については、カナートとの類似性に注目してトルファン経由で伝播したと見る説と、カナートとの差異に注目して日本で独立して生み出されたとする説がある。 また、イランより西にも伝播した。オマーン周辺へは、ペルシアの勢力が及んだ紀元前6世紀頃に伝播したと考えられており、「ファラジ」(複数形アフラジ)と呼ばれている。「オマーンの灌漑システム、アフラジ」(オマーンの世界遺産、2006年登録)、「アル・アインの文化的遺跡群(ハフィート、ヒーリー、ビダー・ビント・サウドとオアシス群)」(アラブ首長国連邦の世界遺産、2011年登録)という2件のアフラジ関連遺産が、ペルシア式カナートより先に世界遺産に登録されている。また、降水に恵まれるレヴァントでは、あまりカナートは発達しなかったが、パレスチナの世界遺産であるバティールの農業景観は、カナートと結びついている。 北アフリカにはアラビア人を介してイスラームとともに伝播し、フォガラと呼ばれるその用水路は、リビア、アルジェリア、モロッコなどに見られる。旧市街がモロッコの世界遺産になっているマラケシュも、カナートによって発達した都市である。 カナートの技術はウマイヤ朝の拡大によってイベリア半島にも伝播した。スペインの首都マドリードも、元はカナートによって開かれた町である。「トラムンタナ山脈の文化的景観」(スペインの世界遺産、2011年登録)の農業景観も、カナートと結びついている。ヨーロッパではドイツやボヘミアにも伝播したが、何よりもスペインでの定着は、大航海時代を経てアメリカ大陸への伝播をもたらした。 イランの分も含めた、世界中にあるカナートの総数は5万とも言われる。そのうち、発祥地となったイランに残るカナートの数は37,000以上あるいは約4万と言われ、2010年代半ばの時点で稼動中なのは25,000とされる。カナートはテヘラン、ヤズド、エスファハーンといった主要都市を育んだだけでなく、古代にあってはペルシア帝国の成長を支えた。また、民俗とも結びつき、「カナートの結婚」という儀式が残る地方もある。これはカナートの水が涸れないように、未亡人の中からカナートの妻を選び、婚礼を含む祭事を挙行するものである。これは単なる伝統行事としてだけでなく、社会福祉としての側面も指摘される。というのは、妻に選ばれた未亡人は、対価として報酬を受け取り、最低限の生活保障がなされるからである。
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