『六十家小説』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 14:53 UTC 版)
戴望舒は、顧修編纂の『彙刻書目初編』(清嘉慶4年、1799年)中に、『雨窗集十巻』、『長燈集十巻』、『隨航集十巻』、『欹枕集十巻』、『解閒集十巻』、『酔夢集十巻』の名が挙げられているのを発見した。それにより馬廉発見の天一閣本がこれらの一部であり、それぞれ上下分冊で各5編、洪楩の刊行した話本等が合計60編であったことが判明した。しかし所属の分かっている天一閣旧蔵12編を除き、内閣文庫発見の3冊15編や阿英発見の2編が、どのようにこれら6集12冊に配当されるのか、60編の確定と完本の復元が今後の研究課題となっている。 中国では、馬廉の作品の具体名特定の試み、譚正璧や孫楷第の研究を経て胡士瑩の『話本小説概論』へと連なる。 日本においては中里見敬の研究が知られており、その結論では清平山堂刊本29編の他に17編を特定できるとしている。これを契機として金文京や大塚秀高によって研究が進められている。
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