「ジョーン・オブ・アート」
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「ジョーン・モンデール」の記事における「「ジョーン・オブ・アート」」の解説
熱心な美術愛好者であったジョーンは「Joan of Art」(ジョーン・オブ・アート)のニックネームで親しまれた。 ウォルター・モンデールが1964年にアメリカ合衆国副大統領に任命されたヒューバート・H・ハンフリーの後継者として連邦上院議員に選出されると、一家はワシントンD.C.に移住した。ジョーンはワシントンにあるナショナル・ギャラリーで週1回のツアーのガイドを担当し、陶芸教室を開いた。1972年には幼児や若年層向けに書かれた彼女の著書『Politics in Art』が出版された。モンデールが1976年アメリカ合衆国大統領選挙に出馬するジミー・カーターのランニングメートになった時点で、ウィスコンシン州選出の連邦上院議員ウィリアム・プロクスマイアー(英語版)の妻であるエレン・プロクスマイアーが経営する会社で働き、定期的にワシントン周辺のツアーのガイドを担当していた。 モンデールは1977年から1981年までカーターの下で副大統領を務め、ジョーン夫人もこの期間にアメリカ合衆国のセカンドレディを担った。彼女は「連邦芸術人文委員会」名誉会長に任命され、カーター政権の事実上の美術顧問となった。美術館や劇場、アーティストのスタジオを頻繁に訪れ、連邦議会と州に働きかけて「パブリックアートプログラム」の推進を後押しした。アメリカ海軍天文台敷地内にある副大統領公邸をアメリカの美術作品の展示場に変貌させた。公邸内には写真家のアンセル・アダムズ、彫刻家のデビッド・スミス(英語版)、画家のジョージア・オキーフら著名なアーティストの作品が展示されていた。 1984年アメリカ合衆国大統領選挙に夫が出馬した際には「男女平等憲法修正条項(英語版)」(ERA)の制定、賃金の平等、美術活動のサポートに焦点を当てて選挙活動を行った。 モンデールが駐日大使を務めた1993年から1996年までモンデール夫妻は日本に在住していた。副大統領公邸と同様に、滞在した駐日大使館の大改装も行っている。異国の地である日本でも美術の擁護者であり続け、異文化交流の促進に尽力した。駐日大使館近くにある東京メトロの溜池山王駅を飾る作品もジョーンの活動の成果によるものである。日本美術に心酔して熱心に学んだ。1995年に『ニューヨーク・タイムズ』は彼女が益子焼を使用した手作りの陶器を京都市長にプレゼントしたことを報じている。帰国後に彼女が海外生活についてつらねたエッセイ集『Letters From Japan』が出版された。 2008年に市民運動団体「アメリカンズ・フォー・ザ・アーツ(英語版)」は30年以上にわたり、美術の擁護者として精力的に活動してきたジョーンの功績をたたえ、彼女に「パブリックアート・ネットワーク・アワード」を授与した。
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