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雑談でもフルトラ。VRメタバースで非クリエイターを開拓するShiftall

Shiftall製品群、代表取締役CEOの岩佐琢磨氏(右端)

本誌では1年前に、メタバースをテーマにして、“VRメタバース”のヘビーユーザー、Shiftall代表取締役CEOの岩佐琢磨氏にインタビュー取材を行なっている。2023年は、同社が注力するVRメタバース向けの製品展開が本格化する年になる見込みだ。

折しもソニーが無線の全身トラッキングデバイス「mocopi」を発売し、メタバース領域での先端事例と考えられていたフルトラッキングが手軽にできると、世間の注目が集まりつつある状況でもある。

パナソニック傘下ながら大胆な製品開発を続けるShiftallの製品群について、岩佐氏に最新の情報を聞いた。また同社のフルトラッキングの製品について、mocopiとの違いを聞いたほか、VRメタバース界隈のこの1年の変化・進化などについても語っていただいた。

当初の10倍!? 想定外の基幹部品の値上がり

Shiftallが独自に開発するPC用のVRヘッドセット「MeganeX」(メガーヌエックス)は、CES 2023に合わせて情報が更新され、3~4月に発売するという提供時期と価格がアナウンスされた。出荷に向けラストスパートの段階だ。コントローラーについても新たに「FlipVR」を発表、発売時期は少し遅れるが、2023年内に両方が揃う形を見込んでいる。

仕様などの詳細は発表時のニュース記事を参照していただきたいが、少し残念なのは、価格が大幅に上昇してしまったことだろう。2022年の1月にMeganeXを発表した時点では価格を10万円未満としていたが、2023年1月の発表では約25万円になることが明らかにされた。

これは基幹部品の一部が10倍近く値上がりするなど、非常に大幅なコスト増加による影響。「いろいろなものが値上がりし、ダブルパンチ、トリプルパンチを喰らった格好です」(岩佐氏)という。

また、10万円以下から20万円台へと価格帯が大きく変わったことで、期待される画質や求められる画質が変わるとも指摘。「“20万円台のVRヘッドセット”に求められる画質にするために、オールプラスチックだったレンズも一部はガラスに変更しました」と、価格帯に見合った高い品質にするために予定になかった仕様変更も加えられている。

「MeganeX」 右はBusiness Edition

仕様面のポイントは、MeganeXは本体内蔵カメラを使って自身の位置を割り出すインサイドアウト方式に対応する一方、外部の光学センサーで自身の位置をトラッキングするアウトサイドイン方式(ValveのLighthouse方式)もサポートしている。

MeganeXにはこのアウトサイドイン方式の対応アダプターが付属し、レンズ上部に装着できる。Shiftallが開発するコントローラー、FlipVRも外部光学センサーを使うLighthouse方式のため、Lighthouse方式対応の環境をすでに構築しているユーザーは、よりスムーズに移行できることになる。

暗部表現に優れるマイクロOLEDディスプレイ

試作機を試用させてもらったが、高解像度のマイクロOLEDディスプレイは遠景まで高精細で、暗部の表現に優れている印象。コントラストの高い引き締まった映像で、没入感の高い描写になっている。

装着感は、額にあたる圧力分散パッドにより、額から瞳の周辺までのパーツが一体でフィットする形。頭部の中央を前後に渡すベルトがないため、髪の短いユーザーは頭頂部に獣道のような跡が付くことに悩まされない。

額にあてる圧力分散パッドが加わった。鏡筒の上には取り外し可能なアウトサイドイン方式のアダプター

レンズはメガネ屋でオーダー可能

視野角については、スペック表に記載する際の統一基準がないため各社が独自に計測しているのが現状だ。加えて、個人個人で大きく異なるのが、瞳が額から奥まった場所にあるか、手前にあるかどうか。これがVRヘッドセットのレンズとの距離に直接影響する。瞳がレンズから離れていると、視野角は狭く感じられるなど、視野角の感じ方は実際には人により大きく異なる。

また、VRヘッドセットの製品によってはメガネアダプターが付属することがあるが、これもレンズとの距離を開ける形になるため、視野角は犠牲になってしまうという。

MeganeXは裸眼で装着するスタイルで、視度の調整が必要な場合は、レンズアダプターに別途ユーザーがレンズを入れることで対応する。このレンズは、アダプターを一般的なメガネ屋に持ち込み、メガネを買う時のように測定・オーダーすることで取り付けられる。

レンズアダプターの設計は鯖江のメガネフレームの設計ノウハウも取り込んでおり、一般のメガネ屋で対応できる形状になっているとのことだ。メガネ用レンズにより近視や乱視の補正も行なえるため、より高い品質の視野が期待できる。

レンズアダプター。このフレームをメガネ屋に持ち込み、レンズを作ってもらう

“乾杯”できるコントローラー「FlipVR」

MeganeXとの組み合わせに最適なコントローラー「FlipVR」は、MeganeXとセットで開発が進められていたものの、今回のCES 2023に合わせてやっと発表された形だ。まだ細部の仕様を詰めている段階とのことだが、基本コンセプトは固まっている。

手の甲側に本体を装着し、トラッキングを継続したまま、スティックやボタンなどの操作部分だけを外側に跳ね上げられるというユニークな形状・機構が特徴。これはひとえに「乾杯」を自然に行ないたい、という想いがきっかけになっている。

Shiftallが注力しているVRメタバースを日々使う熱心なユーザーの間では、VRChatなどのワールドを日常の延長として捉え、お酒を飲みながら雑談するというユーザーが大勢いるという。そうした空間に表示される自分のアバターは通常、ヘッドセットを頭部として、コントローラーを手としてトラッキングし表示している。

乾杯や飲み物を飲もうとしてコントローラーから手を離し、コントローラーがストラップでぶら下がっている状態になると、コントローラーの位置に連動しているアバターの手首はおかしな方向に曲がった状態になってしまう。実世界でグラスを持つたびにアバターの手首がグキッとなってしまう――そんな描写をなんとかしたいという想いをきっかけにして生まれたのがFlipVRだという。

もちろん乾杯だけでなく、DJプレイをする、楽器を演奏するといった手を使ったリアル側の動作を、手首のトラッキングを正しく継続したままアバターに反映させられるため、さまざまな動きを披露したいユーザーにも待望のデバイスといえる。

FlipVRの試作機
細部は検討段階のものだが基本コンセプトは固まっている
手首をクイっとひねってボタン部分を跳ね上げるという使い方。戻すときも同様
ロック機構・ロック解除ボタンなどは搭載されない。ヒンジパーツの耐久性にもこだわっているという

仕様の面でポイントになるのは、「VIVE」シリーズのコントローラーを置き換えるというコンセプトで、外部の光学式センサーでコントローラーの動きをトラッキングするアウトサイドインのLighthouse方式を採用している点。独自の無線通信規格やBluetoothで接続する方式ではないため、基本的にはVIVEシリーズやMeganeXとの組み合わせで利用するコントローラーということになる。

「HaritoraX」無線版はソニー「mocopi」とどう違う?

HaritoraXの有線モデル。胸の中央ユニットは無線接続で、それ以下は有線接続になる。HaritoraX ワイヤレスは各センサーがすべて無線化したものだが、センサーの性能は同じだ

ソニーが発表した「mocopi」は、ソニーの知名度やプロモーションなども手伝って、YouTuber、VTuber、メタバース界隈でも急速に認知度が向上。手軽になった全身トラッキングの可能性や応用方法が、今まさに開拓されつつある。

ShiftallはVRヘッドセットと組み合わせることが前提の(mocopiは単体で動作するコンセプト)全身のモーションキャプチャーデバイスとして「HaritoraX」(ハリトラックス)を展開しているが、奇しくもmocopiの発表から1カ月も経たずに発表されたのが、mocopiのように各センサーデバイスをすべて無線で接続する「HaritoraX ワイヤレス」だ。

HaritoraX ワイヤレスの試作機。細部は変更される可能性がある
最初はセンサー6点で構成。VRヘッドセットとコントローラー2個を加えると、全身9点のトラッキングになる。各センサー同士が有線でつながる「HaritoraX」を無線化したもの

mocopiと真っ向勝負するデバイスになるのかと思いきや、実際には「狙っているところはかなり違う」(岩佐氏)という。

「Shiftallの製品は、VRメタバースに“ダイブ”する人向けです。価格もトラッキングの性能も、そこに向けてかなり良いものになっています」(岩佐氏)というように、HaritoraXは、どちらかというとメタバースに“参加する人”向けというコンセプトになっている。

mocopiがコンテンツクリエイター向けであるとすると、ここが大きな違い。VRメタバースに特化して“一般参加ユーザー”の不満を解消していくのがShiftallの製品群の特徴になっている。

「メタバースは参加者もコンテンツの一部であるという考え方に基づき、HaritoraXは参加する側の人、“見る側の人”に向けて開発しています。映像を作る側でなくても、フルトラッキングを求めています。新しく買った服を見せたいなどの、フルトラッキングが欲しいという需要があるのです。コミットしているのがコンテンツ制作なのか、VRメタバースの空間全体なのか、という違いでしょうか」(岩佐氏)。

もっとも、mocopiが提唱している、VRヘッドセットなしの全身トラッキング、という方向性については「需要がどれぐらいあるのか、注視している」(岩佐氏)とのこと。HaritoraX ワイヤレスは、mocopiのように頭部用センサーを追加して“ヘッドセットレス”で動作させることも可能とのことで、状況次第ではこうしたヘッドセットレス運用をオプションで追加することも検討していくという。ちなみにmocopiは防水にも対応しており、屋外での利用はmocopiに軍配が上がる形だ。

取り外しは簡単に行なえる

なお、すでに簡単に案内されているが、HaritoraX ワイヤレスは6月の発売(予定)時点で、VRヘッドセットとコントローラーとのセットで全身9点のトラッキングを実現。その後、上腕部(肘トラッキング)用のセンサーをオプションで追加する予定で、合計11点のトラッキングに発展できるシステムになる。

1月末時点でHaritoraX ワイヤレスはまだ開発中で、取材時も残念ながらデモンストレーションは体験できなかったが、HaritoraXシリーズとしてのノウハウが継承される。充電用の端子周辺は、今後変更される可能性もあるとしている。

複数個をまとめて充電できる別売りの充電ドックも開発中。HaritoraXは磁気センサーを内蔵する関係でマグネットを搭載できないため、充電時の固定方法は検討中とのことだった。

別売オプションの充電ドックの試作機。仕様、形状、耐久性などを検証中

“VRメタバースの住人”がこの1年で感じた変化とは

雑談するために3Dアバターで集まり日々酒を飲み交わすだけ――そんなVRメタバース生活の一端を岩佐氏に紹介してもらってから1年が経ったが、岩佐氏の視点で、この界隈に大きな変化は訪れたのだろうか? 同氏は「裾野が広がっている様子は、手にとるように分かる」と話す。

「経済誌で言われているような“急成長”が実現したのかは分かりませんが、VRヘッドセットをかぶって他の人と一緒に何かをする、というスタイル自体は、テレビや新聞に取り上げられることも増えて、認知度が上がったと思います。最近ではサンリオや日産もイベントを仕掛けていますし、Vketもけっこう伸びましたよね。ナショナルクライアント(全国規模のブランドの広告主)が一度はVRメタバースを体験している、という状況ではないでしょうか」(岩佐氏)。

一方、“住人”の視点で見ると、その使われ方は2年前ぐらいにはおおむね固まっており、VRChatなどを中心として、雑談プラットフォームとして定着しつつあるという。

「誰かと一緒に、他愛のないことを喋る。それが“木の幹”になっています。これらに加えて、VRメタバースでの展示会や音楽イベントといった大きなもの、現実と並行して行なわれるクリスマスや誕生日、忘年会といった小さなイベントが“枝”として存在していて、思い思いに楽しんでいる状況です」(岩佐氏)。

VRChatの飲み会の様子(画像は2022年2月のもの)

そうした使われ方が定着する中、大きな変化を感じているのが、アバターなどのコンテンツ販売の拡大という。「VRChatで使う用にと購入した3Dアバターなどのデータが、ほかのプラットフォームでも使い回せる道筋ができてきました。販売サイトとして定着しているBOOTHでVRChat用のアバターを購入すると、データはZIPファイルでユーザーの手元に残るわけですが、変換ツールなどを通せば『cluster』(クラスター)などでも使えるという状況です。これはクラスター側がアバターの仕様を変更して制限を緩和したことが大きいのですが、こうしたエコシステムが強くなったのがこの1年の大きな変化ではないでしょうか」(岩佐氏)。

加えて、アバターのボディや服、小物まで、さまざまなデータを販売する、マイクロクリエイターとでも言うべき市井のクリエイターが非常に増えたのも、この1年の特徴だという。

「アバターの装飾品や道具なども、選択肢が非常に増えましたね。以前は、一握りの有名な作者によるアイテムや、界隈で人気のアイテムが利用されることが多く、『それはあの作者のアバターだね』と判別できたのですが、今はすべてのアバターの種類を追うことができないほどに種類が増え、ひと目見てどのアバターか分からないことが増えてきました。

加えてバーチャル世界ならではの『実はこの服、自作なんです』というケースもあります。出回っているものは、肌感覚では5倍とか10倍に増えているのではというぐらい、非常に種類が増えていますね。この1年で本当にこうしたクリエイターの数が増えました。BOOTHでは、アバターなどVRChatの対象アイテムにはタグが付くようになっていますし、これも出品数が増えている影響だと思います」(岩佐氏)。

岩佐氏の肌感覚を裏付けるようなデータも登場している。BOOTHを運営するピクシブは、BOOTHで販売されている「3Dモデルカテゴリ」について取引データの一部を公開。それによれば、2022年は取扱高が24億円だった。2020年は7.4億円、2021年は14億円と推移してきており、2022年は伸び幅が大きかったことが示された。

注文件数は2022年が148万件で、2021年の77万件から2倍近い規模に拡大している。BOOTHでは3Dツールの無償提供、検索やタグの整備など幅広く改善策を実施。これに加えて、VRChatをはじめとするVRメタバースのSNSが盛り上がり、イベントを通したアバターの流通でもBOOTHが利用されたことを販売数拡大の要因としている。

BOOTHのWebサイト。トップバナーも2番目には3Dアバター特集が並ぶ
VRChatのタグを表示すると、専用ロゴが付いたアイテムが並ぶ。件数も非常に多い
ピクシブが公開したBOOTH「3Dモデルカテゴリ」の取扱高

VRChatがパンドラの箱を“先に開けた”

2022年は暗号資産の下落がトレンドとして続き、年末に大手取引所「FTX」が破綻したことも衝撃的なニュースとなり、web3界隈を不安視する見方が強まった1年だった。またイーロン・マスク氏によるTwitterの買収とその後の迷走や、ビッグテックの業績の低迷も話題だ。米国政府はアップルやグーグルの市場寡占状態を問題視し、具体的な規制の検討に入るなど、業界への逆風が強まっている。

メタバースもこうした業界の動揺と無縁ではなく、ビッグテック側であるMetaは業績の低迷で解雇を行なっている。しかしながら、VRChatなどのVRメタバースで先行した界隈にフォーカスすると、幸いにも“やり過ごせている”のだという。

ひとつは、例えばビットコインやNFTといった、暗号資産やブロックチェーンの仕組みを中心に据えているメタバースのプラットフォームは、一部に限られていたこと。VRメタバースの中心的存在であるVRChatは施策としてNFTと距離を取っており、コンテンツなどが投機の対象になって悪目立ちしたり、エコシステムが破壊されたりといった影響は、結果的に回避できている。

もうひとつのポジティブな状況は、「中心的な存在であるVRChatがディセントラライズド(非中央集権型)されているという点です」(岩佐氏)とする。

「VRChatはコストも開発時間も非常にかかっていますし、とても素晴らしいプラットフォームです。しかし一方で、これはものすごく極論ですが、VRChatは究極的には(3Dエンジンの)Unityのビューワーでしかない、と考えることもできます。Unityで作られた空間にUnityのアバターで入り、友達を管理するソーシャル機能が付属しているだけ、という構造です。

ポイントは、アバターなどのさまざまな大事なデータが、ユーザーの手元にあるという点です。なおかつ、スマートフォンでいうアプリストアの役目を、日本ならBOOTHが担っており、VRChatの外で成立しています。制作ツールも、アバターやアイテムならBlender、本格的な衣装ならMarvelous Designerというように、VRChatとは無関係の制作ツールで作られています。

もし仮に明日VRChatのサービスが終わってしまっても、みんなでデータを持ってclusterに移動するだけ、ということになるのではないでしょうか。その是非はともかく、それが可能な状況ということです。VRChatのワールドを作っていたツールでclusterのワールドが作れますし、アバターも同様です。

VRメタバースを取り巻く状況で興味深いのはここで、VRChatに端を発する界隈はディセントラライズドが成立してしまっています。

その意味ではVRChatが“先にパンドラの箱を開けた”と言えます。

VRChatはうまく立ち回っていますし、これは意外に持続可能性のある状況ではないかと思います。初期のインターネット、WWWの世界と同じで、オープンな世界で始めてしまった後、クローズドにすることは難しい。対象的な例はMetaのHorizonでしょうか。こちらはアバターなどのデータに互換性がないセントラライズド(中央集権型)された世界で、そこは苦労しているようにみえます」(岩佐氏)。

VRChat。定番だが、非中央集権型のスタンスをとったため、業界を牛耳っているわけではないという
cluster。大規模イベントがウリだがアバターの仕様を緩和、ユーザーがデータを使い回せる下地ができた
VRメタバースを裏で支える3DエンジンのUnity。ゲーム向けだが今ではさまざまに活用されている

VRメタバースは今“ADSL前夜”ぐらい? 発展に期待

1年前のインタビューで、VRメタバースの世界には初期のインターネットと同じような、牧歌的で自由奔放な雰囲気があると語っていた岩佐氏。あれから1年経った今は? と聞いてみると「2000年頃の、ADSL前夜ぐらい」との答えが。

「それまで存在していなかった“企業のホームページ”が一気に増えていて、ADSLが人気になる頃にはホームページの無い企業は無い、という状況でした。そうした状況に近いなと感じます」(岩佐氏)。

VRChatに代表されるVRメタバースの構造を分解していくと、ユーザーの手元にアセットが残る非中央集権型の仕組みがすでに出来上がっているという指摘は、興味深いところではないだろうか。岩佐氏が指摘する初期のインターネットになぞらえるなら、まだまだ発展途上であり、面白いことはこれから起こるといえそうだ。

太田 亮三