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Something

@misoka / misoka.tumblr.com

色々、集めてます。
下手くそは歌を歌うべきで、キモいポエムは書くべきである。とにかく他人の目を気にせず、自分の中から、文章や絵や音楽などで、何かを取り出す行為を身につけることが人生の助けになる、ということが、自分の一番言いたいことである。
投資においてはいろいろな名言がありますが、ぼくがけっこう好きなのが「音楽の鳴っている間は踊り続けなければならない」という言葉です。金融危機直前のタイミングで、CitigroupのCEOが発したこの言葉、のちにかなり批判も受けたのですが、いろいろな意味で真理をついていると思っています。 We’re still dancing When the music stops, in terms of liquidity, things will be complicated. But as long as the music is playing, you’ve got to get up and dance. We’re still dancing 音楽が止まると、流動性の面で物事は複雑になります。しかし、音楽が鳴っている限り、踊り続けなければなりません。私たちはまだ踊っています。 2007年7月、当時のCitigroup CEOであるChuck Princeが Financial Times 紙のインタビューで、金融市場の過熱した状況を踊りに例えて言った言葉です。当時から、サブプライムローン状況など金融の状況はヤバいと言われていました。  ただ金融の厄介なところは、「じゃあ俺は抜けるわ」みたいなことを参加している金融機関が言い出すと、それを引き金として実際に危機が起きてしまうなんてこともあるわけです。なので、「音楽が鳴っている間は踊り続けなければなりません」というのは、いろいろな意味で、そういうものなのです。
自分がDJを好きなのは選択そのものだから(ここでは技術の巧拙を競うようなものは除外する)である。選択、というのは深淵で、聡明なものにはどこまでも開かれた娯楽である。要するに、よいDJとは聡明であると言ってしまってよい。聡明でないと選択なんてできないからである。「DJなんて他人の曲をかけているだけでしょう?」という質問、その通り!いきなりステージに上げられて、「いい感じにしてください」と言われてもたまったもんではない。既存のものの中から好きな音楽を選んで、並べて、いい感じにしてください。その自由度の程度こそがちょうどいい。なんて面白い、これには一生飽きない自信がある。
最近のインターネットというのは選択の自由を毀損する仕組みばかりである。threadsも、Xも、選んでもいない人間の発言を読まされるし、選んでいない情報を与えられる。選択をすべきはずの人々は、インフルエンサーにその選択の権利を委ね、「〇〇についてどう思いますか?」と尋ねている。買おうと思う少し前に商品が提示され、選んでもいない怒りを覚えさせられる。選択の自由をおれに教えたはずのインターネットが、おれからそれを奪うなんて!
映画は「すべて」を捉えるものではないとも考えている。むしろ、自分が見たものは「すべてではない」ことを学ぶきっかけになるのが、映画をつくることや、映画を見ることだと信じている。もし映画がなかったら、大袈裟(おおげさ)な言い方かもしれないが、過去も未来もなく「これがすべてだ」と勘違いしたまま生きていたかもしれない。
Source: asahi.com
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2021/12/11(土)

『三幸苑 港南台店』 タンメン¥830

ボリューム満点!うまかったー♪

28 人生でもらったベスト・アドバイスは? アカデミー賞のキャンペーン活動の場で、オリバー・ストーン監督と一緒になる機会があり、おそらく僕の映画を観てくれたのだと思うのですが、彼が「これからいろんなやつがお前を褒めると思う、でも信じるな」と。それが今のところ、ベストです。
Source: vogue.co.jp
「武満徹さんの話ですけど、戦争中に空襲に遭って防空壕に逃げ込んだら、居合わせた将校が、蓄音機でシャンソンをかけた。もちろんノイズがいっぱいだったんだろうけれど、その時もの凄く感動して、彼のその後の音楽活動の原点の一つになったんだそうです。だから、“音のS/N”と“音楽のS/N”って全然違うんです。MP3の128kbpsでギザギザの音でも、心を大きく揺さぶることはできる。必ずしも『高音質=音楽性が高い』というわけではないんですね」
Source: phileweb.com
「誰が物語作者になりうるのか」、物語の構築それ自体を物語にするという既にメタフィクショナルな気配を多分に孕んだノーランの作劇は、鑑賞者の思考を常にメタへと誘い続けながらまさしく『インセプション』がイメージとして視覚化していたような無限後退を引き起こす。ノーランの病的に乱雑な編集は映画自体に内在する操作可能性を複雑化することによって、そこに鑑賞者を巻き込もうとする。しかし、その手つきをどれだけ洗練させても映画は我々の前に投影される頃には、既にして何者かの恣意的な操作による結果でしかなく、鑑賞者はその結果しか知り得ない。GUI上で操作可能なメディアが跋扈する現代において、なぜあえて操作可能性の低い映画を作り、観るのか。そうした映画というメディアの限界を巡るペシミスティックな問いかけがノーランの作劇の根底には常にある。
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H VOL.30 SEPTEMBER 1999 ロッキング・オン・ジャパン1999年9月増刊号 H ロッキング・オン 表紙=中谷美紀 特集「CHANGES」

Source: Yahoo! Japan
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SWITCH 2003年7月号 Style Appetizer #12

モデル:中谷美紀

スタイリング:熊谷隆志

撮影:レイク・タホ

Source: x.com
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