「日本人妻たちも同じ戦争の被害者だから」 韓国人の反発にめげずに書き上げた博士論文

2023年8月8日 06時00分 有料会員限定記事
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<連載 ナザレ園の記憶~韓国で生きた日本人妻~>㊦

慶州ナザレ園で6月13日、愛用のカメラを手にする金鐘旭さん=木下大資撮影

◆日本に動員された父の後押し

 慶州キョンジュナザレ園の日本人妻らの証言を記録したドキュメンタリー作家のキム鐘旭ジョンウクさん(63)には、背中を押された存在があった。戦時中、日本の炭鉱へ動員された経験がある父、商振サンジンさん(1923~2017年)だ。
 「父もナザレ園のハルモニ(おばあさん)たちも、同じ時代の戦争や植民地支配の被害者だった」
 韓国南東部・慶尚北道キョンサンプクトの農村で暮らした商振さんは、1942年ごろから終戦まで西日本の炭鉱で働いた。結婚を控えた2番目の兄が動員対象になり、家族会議で「自分が兄の名前で代わりに行く」と申し出たという。鐘旭さんはそんな父の体験を聞いて育った。

◆過酷な炭鉱、電気拷問の経験も

 炭鉱の現場は過酷だった。ガス爆発で約80人が死亡する事故が起こり、商振さんも遺体を運ぶ作業を手伝った。危険な坑道に入るのを免除されようと、職場で定期的に肺の写真を撮る際に影が映るように細工したのが発覚し、逆さまにつるされて棒でたたかれる拷問を受けた。手を下したのは朝鮮人。日本人に言われるがままの同胞の姿に悔しさが募った。

金商振さん=金鐘旭さん提供

 炭鉱から逃げようとして電気拷問を受けたこともある。食事は粗末で、賃金は受け取った記憶がない。
 それでも、仕事に慣れると日本人の班長と親しくなり、休みの日に家へ招かれたこともあったという。バスや汽車で移動する道中、車内で新聞や本を読む日本人の姿が印象に残った。「日本人は炭鉱で働く人でも字が書けた。自分は朝鮮の字も知らないので故郷の両親に手紙すら書けず、恥ずかしかった」
 日本の敗戦で故郷に戻った商振さんは、一念発起して勉強を始める。師範大学を卒業し、小学校の教師にな...

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