歴史は本当に終わったのか フランシス・フクヤマ氏
米国のありようはよくも悪くも民主主義と資本主義への評価を左右する。金融危機や格差の広がり、与野党がにらみ合うばかりの政治、ふらつく対外政策など近年の米国に対しては失望の声が少なくない。東西冷戦終結の直後、西側の最終勝利を宣言した米政治学者フランシス・フクヤマ氏もその一人だ。何がどう食い違い、それをいかに正せるのか聞いた。
中ロ、思想の戦い勝てぬ
――ロシアと米国の対立が激しくなっています。
「世界政治に厄介な変化がいくつも起きている。一つがロシア問題で、冷戦後の25年間で最大の失望だ。民主化を進め欧州の一員になると思われたが、プーチン大統領のもとでファシズムにも似た、たちの悪いナショナリズムへと転じ、領土の拡張も目指している」
「もう一つ厄介な動きは中国だ。巨大で権威主義的な国が近隣国に領土を主張している点はロシアと共通する。しかも両国とも国民の強い支持が背後にある」
――1989年の論文「歴史の終わり?」で民主主義と資本主義の勝利を宣言しました。いま「新冷戦」という言葉も聞かれます。
「東西冷戦には地政学的な闘争とイデオロギー対立の両面があった。もはやイデオロギー対立は存在しない。大事なのは目標としての社会制度の最終形態が何かということだ。その歴史の終着点が民主主義だという事実は揺るがない。旧ソ連は共産主義を世界に広めようとしたが、いまのロシアはエネルギー輸出に頼る質の低い国家制度にすぎず、誰もまねしないはずだ」
――中国はどうですか。
「勢いをもつ唯一の対抗勢力は中国だ。ただ同国は自らの体制を他国に広げる気はない。自国には最適だと信じているだけだ。そもそも中国モデルとは何か。一部はマルクス・レーニン主義で、ほかの一部は儒教主義だが、これらは相いれない。残りの部分は露骨な利己主義だ。つまり中国の制度には一貫した哲学による裏打ちがなく、思想的な戦いで勝つのは難しい」
「今後も米国と中国の競合は激しくなり、中国は領土面でも主張を強めるだろうが、これは思想やイデオロギーとは無関係だ。旧来型の地政学が、両国を駆り立てているのにすぎない」
――「歴史の終わり?」はハーバード大教授を務めた故ハンチントン氏の「文明の衝突」論と対比されました。いま、イスラム過激派が勢いを増しています。
「文明の衝突論に説得力を感じたことはない。人々が帰属先として思い浮かべるのは国家だ。自分をアジア人だ、儒教文化圏の一員だとは考えず、中国人だ、韓国人だ、日本人だと考えるだろう。共通する文化よりも、国の違いの方がはるかに重要なのが現実だ」
「そのなかでイスラム圏は例外だ。だが、イスラム原理主義は一部地域で影響力を持っても、世界規模の勢力にはなり得ない。その本質も西洋への対抗軸というよりアラブモデルの失敗の結果だ。政府は独裁的で、中国のように長期にわたる成長や、生活水準の引き上げをもたらしたわけでもない。こうした現状への失望が背景だ」
――勝利したはずの米国、そして民主主義と資本主義はやや色あせました。
「大きな要因はイラクなどでの戦争と金融危機だ。戦争は米国の威信と力に影を落とした。民主主義を後押しする米国に世界が不信の目を向けるようになった。巨額の費用をかけて不必要な戦争に深入りした結果、米国民も世界に介入する意欲を失ってしまった」
――中東での戦争を支持したネオコン(新保守主義派)の原点は、世界に民主主義を広めよと説いたあなたの主張だといわれます。
「私は民主主義を広めるために軍事力の役割を重視したことはない。私の考えがゆがめて利用された。民主主義は模範を通じて広まった。米国の制度がうまく機能し、他国が見習いたいと思うようにすることが大事だ。その信頼を米国は戦争で失ったのだ」
――08年に起きた金融危機の影響はいかがですか。
「金融危機については1990年代初めの欧州、97年のアジア通貨危機、2007年~10年の米欧危機に至る一連の動きとしてとらえている。これでサッチャー元英首相やレーガン元米大統領の時代からの市場自由化の動きは幕を閉じるべきだ。自由化された金融市場は極めて不安定で危険な過ちだとわかった」
「近代経済学にも一定の責任がある。例えば効率市場のもとでは誰もが社会への効用に見合う収入を得ると想定している。すると巨額のお金を稼ぐファンド運用者は、それだけ社会に貢献していることになる。だが金融部門は危機前に企業全体の利益の4割を稼ぎながら2000年代を通じては社会に大きな損失をもたらした。金融部門の役割は生産に必要な資本を提供し、経済を助けることだ。それが資本主義制度を支配する勢力になってしまった」
政治の衰退、米は克服を
――近著では政治の衰退に警鐘を鳴らしています。
「金融危機を例にとると、冷戦直後の予想に反し実現しなかったことの一つが適正な規制だ。巨大な資金力をもち、よく組織された利益団体に政治制度が支配されているからだ。これこそ、まさに政治の衰退だ」
「金融危機の後、資本の国際移動も含め、振り子は規制や管理を強める方向に振れたが、大きな政治力をもつ金融ロビーに阻まれている。銀行界の力があまりに強く、抜本的な制度の見直しを許さないのだ」
――利益団体の近くで権力を握る「王朝」的な勢力に警鐘を鳴らしています。
「金融だけでなく石油、農業など幅広い分野で、特定の利益団体が自らに都合よく政治を利用している。金融規制改革法や医療保険制度改革法(オバマケア)のような大改革を実行しようとしても邪魔が入り、ひどい法律ができる。民主主義の失敗といえる」
「平和と繁栄の時代が続くと、制度を利用するすべを知るエリートが力を増す。富の集中と経済格差がこれに拍車をかける。割を食った国民は政府を信頼しなくなる。政府は支持を失い、権限が一段と小さくなる悪循環が起きている」
――格差問題ではフランスの経済学者トマ・ピケティ氏の著書「21世紀の資本」が話題になっています。
「格差の原因は同氏がいう資本そのものの特性というより、技術革新やグローバル化だと思う。ただ、格差問題への注目が世界中で高まっている表れではある。オバマ大統領が5、6年前に再配分の重要性を説いたときは社会主義者と批判されたが、今日では格差問題の存在を否定できない」
――保守派の論客なのに格差問題を正面から語るとは珍しいですね。
「固定観念で世の中をみてあるものをないというのはまさにイデオロギーだ」
――解決できますか。
「伝統的な対策は再分配や安全網の整備だが、人々のやる気をそぐ弊害はある。教育の効果も限られる」
「大事だと考えているのは効率的で責任ある統治の仕組みがあるかどうかだ。社会的、経済的な現象である格差などの現実と向かい合う公正な政治システムが必要だ。だが、それは政府が所得格差をなくすことを必ずしも意味しない」
――北欧の国々を評価していますね。
「北欧が優れているのは再分配の水準が高いからでない。腐敗が少なく効率よく運営されている質の高い政府がある点が重要だ」
「評価の基準になるのは国民全体の利益に沿って偏りなく公的サービスを提供する政治制度が存在するか否か。ここでは3つの要素が必要になる。第1に権力を持ち、使う能力がある国家、第2は国を律して運営するルール、第3が民主的な説明責任だ。10年先、15年先をにらみ持続性の高い予算を毎年きちんと策定できるかどうかは政府の質の指標となる。この基準では米国にはよい政府がない」
――米国で、不満が爆発しないのは不思議です。
「政治制度が社会とあまりにかけ離れた場合、本来は大衆運動などが起きるが、いまの米国では考えにくい。人々の怒りや不満が、各方面に分散しているからだ。民主党は経済格差より同性愛者などへの差別の是正を重視する。むしろ共和党のほうが総じて『小さな政府』で一致しているが、やはり論点は銃規制や堕胎問題などに分散している」
「何を論点と定め、それがどう国民の利益になるのか説得することが偉大な指導者の役割だが、近年の米国はこれを欠いている」
――かつて米国では、1920年代にかけても権力や富の集中が進みましたが是正に成功しました。
「その後のフランクリン・ルーズベルト大統領の強い指導力と大衆運動で政治制度が大きく改革された結果だ。だが、大不況などコストも甚大だった。強い指導者など再現が難しい要素も多い。米国が今後どうなるかは未知数だ」
(聞き手は米州総局編集委員 西村博之)