サイバー恐喝に屈しない日本 試される「人質」奪還能力

米海軍特殊部隊SEALS(シールズ)の隊員らが夜闇に紛れてナイジェリア北部にパラシュートで降下した。着地点から徒歩で5キロメートルほど進軍すると、武装勢力の野営地が現れた。武装勢力が誘拐した米国人男性を奪還すべく、シールズの隊員らは突入した。
米国人男性が誘拐されたのは2020年10月26日である。武装勢力が男性をテロ組織に引き渡す恐れがあったため、米政府は早期に救い出す必要があると判断し、誘拐から5日後の10月31日未明に人質救出作戦の実行に踏み切った。銃撃戦の末に救い出すことに成功、米国防総省の広報官は「これからも米政府は、世界中のどこであろうと、国民と国益を守る」との声明を発表した。
仮に米国人男性がテロ組織に引き渡されていても、一定程度の成功率が見込まれれば、米政府は救出作戦を実行しただろう。実際00年以降、シールズや米陸軍特殊部隊デルタフォースは、アフリカや中東でテロ組織などを相手に多くの人質救出作戦を決行してきた。
対テロ強硬姿勢を支える人質奪還能力
世界中のほとんどの地域に展開可能なシールズやデルタフォースの存在が、「テロには屈しない」との米政府の強硬姿勢を支えている。テロ組織から身代金を要求されても、米政府は決して支払わない。米国と同様に、身代金を支払わないことで知られる英国政府の断固とした態度を支えているのも、世界最強の特殊部隊とうたわれる英陸軍特殊空挺(くうてい)部隊(SAS)の存在だ。
人質を救うために、テロ組織に多額の身代金を支払ってきたとされるフランスやドイツ、スペイン、イタリアなどと比べて、米英の強硬姿勢は際立つ。
世界的に見て日本も身代金の要求を拒否する姿勢は際立っている。ただこれはテロ組織からの要求ではなく、日本企業のランサムウエアへの対応の話だ。
身代金支払率は米76%、日本18%
ランサムウエアに感染すると、パソコンやサーバー内のデータが暗号化され、元に戻す見返りとしてハッカーから「身代金」が要求される。情報セキュリティー会社、米プルーフポイントの調査によると、22年に被害に遭った日本の企業や団体のうち、身代金の支払いに応じた割合は18%だった。これはオーストラリアの90%やドイツの81%、米国の76%、英国や韓国の63%などを大きく下回り、調査の対象となった15カ国の中で最低だった。

非常時のバックアップとして日ごろからデータのコピーを取っておくのが、ランサムウエア対策には有効だ。もっとも日本の企業や団体は、バックアップから無事にデータを復元できたので、そのほとんどが身代金を支払わなくて済んだ、というわけではなさそうだ。実際にはバックアップの方法が不適切なため、データを復元できないケースが大半だという。
8割は被害前の状態にデータ復元できず
警察庁の集計によると、23年上期(1〜6月)にランサムウエアの被害に遭った企業や団体では、バックアップを取っていてもその8割が被害前の水準にまでデータを復元できなかった。ランサムウエアによってバックアップまで暗号化されたり、バックアップしていたデータが古すぎたりすることがその理由だ。
自力でデータを十分に復元できないにもかかわらず、日本は世界的に見ても身代金を支払う企業や団体が極めて少ない。「ハッカーに利益を供与すべきではない」という高い倫理観が背景にある。また「脅しに屈する組織だ」と見なされ、再び標的になるのを防ぐためでもある。
米英両政府がテロ組織に決して身代金を支払わない理由も、テロ組織に資金が渡るのを防ぐとともに、「脅しに屈する国だ」などと見くびられないためだ。この対テロ強硬姿勢とセットになっているのが、シールズやデルタフォース、SASが持つ、人質救出作戦の実行能力であることを忘れてはならない。
日本企業もハッカーには身代金を支払わないという、決然とした姿勢だけでは不十分だ。適切にバックアップをするなど、自力でデータを復元する能力がセットで要求される。
警察庁によると23年上期に全国の企業や団体から警察に寄せられたランサムウエアの被害報告件数は103件だった。22年上期に100件を超えて以降、高止まりしている。ハッカーたちは攻撃の手を緩めていない。
企業の情報セキュリティー担当者は被害を防ぐべく、絶え間ない努力が求められる。「楽ができたのは昨日まで(The only easy day was yesterday)」。これは、過酷な訓練を乗り切るために、シールズの隊員たちが口にする合言葉だ。
(日経ビジネス 吉野次郎)
[日経ビジネス電子版 2023年10月5日の記事を再構成]
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