カーター元米大統領死去、100歳 79年に中国と国交樹立
【ワシントン=坂口幸裕】第39代米大統領のジミー・カーター氏が29日、死去した。100歳だった。大統領在任中の1979年に中国と国交を樹立した。退任後の94年に核開発疑惑を巡る危機が高まる北朝鮮を訪れ、金日成主席と会談。核開発凍結と査察受け入れで合意するなどの功績が評価され、2002年にノーベル平和賞を受賞した。
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非政府組織(NGO)カーター・センターは29日、X(旧ツイッター)で「創設者であるジミー・カーター元大統領が本日午後、ジョージア州プレーンズで死去した」と記した。カーター氏は南部ジョージア州の自宅で終末期ケアに入っていた。
米大統領経験者として最高齢だった。死因は明らかにしていない。米紙ワシントン・ポストによると、皮膚がんの治療を受けており、腫瘍は肝臓と脳に転移していた。23年11月にはロザリン夫人が96歳で死去した。
カーター氏は1924年10月1日、ジョージア州プレーンズ生まれ。海軍兵学校を卒業後、海軍士官、同州上院議員を経て、1970年に州知事に当選した。
1976年大統領選に民主党候補として出馬した。ニクソン元大統領の辞任につながったウォーターゲート事件を受けて清新さを求める声が高まる世論にクリーンさを訴え、現職のフォード大統領を破った。
冷戦下にあった1977〜1981年の大統領在任中は「人権外交」を標榜。78年にエジプトとイスラエルの歴史的和解となったキャンプデービッド合意を実現した。72年に当時大統領だったニクソン氏が電撃的に中国を訪れて道筋をつけた米中関係改善の流れを継承し、カーター政権だった78年12月に翌1月に国交を樹立すると発表した。
一方、在イラン米国大使館の人質事件を巡る対応に批判が集まった。80年に米軍が救出を試みたが、失敗。イランと断交し、経済制裁を発動した。現在も米国とイランは国交がない。国内問題では高いインフレ率と失業率に悩まされた。80年の大統領選で共和党のレーガン氏に大敗し、1期で退任した。
大統領退任後も外交に尽力し、朝鮮半島や中南米などで紛争調停や民主化の促進に力を注いだ。
94年に当時のクリントン大統領の事実上の特使として核問題の打開策を探るため、米大統領経験者として初めて訪朝。その後の米朝枠組み合意につながった。2010年にも再び訪朝し、不法入国罪で服役していた米国人男性の釈放を求め、特赦にこぎつけた。
1959年のキューバ革命後、米大統領経験者で初となる同国訪問を2002年に実現させた。カストロ国家評議会議長と会談した。
カーター氏はノルウェーの首都オスロで開かれたノーベル平和賞授賞式の記念講演で「戦争は時に必要悪といわれる」と前置きし「戦争は常に悪だ」と訴えた。
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