カレー…ではない インドの「味噌汁」は魂の味
世界魂食紀行
ある時、ふと思った。日本人にとってソウルフードが味噌汁だとしたら、世界中の人にとってのそれは、どんな食べ物なのだろう。
外務省のWebサイトによると、現在、日本を含め世界には195の国があるそうだが、それぞれの国が独自の文化や歴史を持ち、気候だって全然違う。そうした情報が凝縮されているのが、食なのかもしれない。ということで今回、日本で暮らす外国の方に「こんな質問」をしてみることにした。
「あなたの国のソウルフードは何ですか?」
発端は「2000年問題」、インド人が集結したのは西葛西だった
さてまずはインド編。インドといえば、カレー。多くの人がそう思い浮かべるのではないだろうか。ならば、インドのソウルフードってやっぱりカレーなのか……。
これは確かめねばならないと、東京の東端、江戸川区の西葛西駅に降り立った。実はこの西葛西には、約2500人のインド人が住んでいるという。法務省の統計によると、日本にいるインド国籍の外国人登録者数は2万1653人(2012年末現在)だから、1割以上がこの街で暮らしていることになる。インド人学校やヒンドゥー教寺院まで建ち、コミュニティーが形成されている「リトルインディア」なら、きっとソウルフードにも出会えるはず。そう思って訪れたのである。
見る限りではよくある日本の住宅街だった。インド料理屋が軒を連ね、カレーの匂いが立ち込めているのでは、と想像していただけに少々不安を覚えながら歩き出す。すると、スーパーマーケットの前でベビーカーを押す黄緑色のサリーを着た女性を発見。すっかり街に溶け込んでいるではないか。
「西葛西にインド人が住むようになったのは1999年からです。コンピューターの誤作動が危惧された、いわゆる『2000年問題』の対策のために、IT(情報技術)国家として注目され始めていたインドの技術者たちが、日本企業に雇われて続々と来日したんです。彼らは会社員ですから、平日の昼間はあまり見かけないかもしれませんね」
そう教えてくれたのは、西葛西でインド料理店を営むジャグモハン・S・チャンドラニさん。1979年からこの街に住むチャンドラニさんが、彼らの住居を世話するうちに、人が人を呼んでインド人が集まるようになったのだという。
「今でこそファミリーも増えましたが、当時は単身で働きに来ている人間ばかりでした。仕事が忙しい彼らは料理を作る暇もありません。でも、疲れた時ほど食べたいのが母国の味。私は紅茶などの輸入販売を本業にしていますが、彼らが日本にいても家庭料理を食べられるようにと店を始めたんです」(チャンドラニさん)
カレーではなく「ダール」
店のメニューにはチキンや魚介、ほうれん草のカレーなどが並ぶ。家庭で食べる料理ばかりなら、この中にソウルフードがあるのではないか。そう尋ねるとチャンドラニさんはうなずいて、ひとつの料理を出してくれた。
見れば、黄褐色のどろっとした汁に鼻の奥がぴりっとする香辛料の香り。こ、これは……。
「カレーですね……」
思わずつぶやくと、チャンドラニさんは首を横に振った。
「これはダールといいます」
そもそも、インドにカレーという言葉はない。大航海時代にインドにやってきた西洋人が、インド人が食べているスパイスを使った煮込み料理を「カレー」と呼び、それが世界に広まったのだという。語源は諸説あるが、インド南部の言葉・タミル語で「汁」を意味する「kari(カリ)」がなまったもの、という説が有力だとか。
「インド人は3食カレーを食べていると言われますが、我々から見れば全部違う料理なんです。だから、みなさんがチキンカレーと呼んでいるものも、インドでは調理法や使うスパイスによってそれぞれ違う料理名が付いています。ダールとは豆の煮込み料理の総称。インドでは毎日毎食、このダールを食べるんです。まさに、日本でいう『味噌汁』ですね」(チャンドラニさん)
なるほど……と感心しつつ、豆カレーもとい、豆の煮込み料理・ダールをひとくちいただく。豆は口の中でほろりと崩れるほどにやわらかく、ほのかな甘みがスパイスの刺激をやわらげるとともに、味に深みを出している。
インド人にとって豆は貴重なタンパク源
ダールという言葉は料理を指すと同時に、「ひき割った豆」という意味を持つ。チャンドラニさんが出してくれたダールには、インドではポピュラーなムング豆とトゥール豆の2種類のひき割り豆が使われているという。ひき割ることでとろみとうま味が引き出され、まろやかな味に仕上がるのだ。
「インドは日本の約9倍の面積を持つ広い国です。地域によって気候も異なりますから、北は小麦、南では米を主食にするなど、食文化も地方色豊か。でも、ダールは全国で食べられています。インドは人口の半分がベジタリアンなので、豆は貴重なタンパク源になるし、乾燥させれば日持ちがしますから、どの地域でも重宝されたのでしょう」(チャンドラニさん)
だから、インドでは大豆をはじめ、レンズ豆やひよこ豆、インゲン豆などたくさんの種類の豆が栽培され、どの村に行っても豆を売る店がある。ダールにはひき割っていない豆や皮の付いた豆も使われるし、同じ豆でもスパイスの種類や調理法を変えることで味の幅は無限に広がるから、「毎食でも飽きることはない」とチャンドラニさんは言う。
「私は乾燥させた豆のダールが好き。東部の乾燥した地域の生まれですからね。生ショウガと塩、青唐辛子、黒胡椒(こしょう)を使って作ります。シンプルだけど驚くくらい味に深みがあっておいしい。日本の味噌汁にも赤味噌や白味噌があって、具材もいろいろ豊富なように、ダールも地域の味、家庭の味、思い出の味があるんですよ」(チャンドラニさん)
日が落ちると、スーツ姿のインド人がひとり、ふたりと店に集まりだした。店ではメニューにあるダール以外に、より家庭の味に近いものを「まかない料理」として毎日作り、彼らに出しているという。チャンドラニさんの店は、インドの企業戦士たちがダールを食べながら、ほっとくつろぐもうひとつの家なのだ。辛いイメージが強いインド料理の中で、ダールにどこかやさしさを感じたのは、そうしたインドの人々の心が含まれているからかもしれない。
今回の魂食スポット
東京都江戸川区西葛西3-13-3
電話:03-5667-3885
ホームページ:http://www.shanti-jbs.com/curry/
(ライター 中川明紀)
[Webナショジオ 2013年5月31日掲載]
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