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ソニーが直面するハッカーの「倫理」と「伝統」

ゲームジャーナリスト 新 清士

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プレイステーション・ネットワーク(PSN)の情報流出問題に関係してスペインやトルコで逮捕者が出た。各国政府機関や任天堂といった企業が攻撃されたほか、ハッカー集団「アノニマス」もスペイン政府への報復を予告するなど、予断を許さない事態が続いている。

企業への攻撃の真の目的は何か、「アノニマス」は何者か、真犯人は誰なのか、など疑問は尽きない。しかし、少なくともPSNの情報流出については、「情報の自由」を標榜(ぼう)するハッカーと、「情報管理」を旨とする企業との根深い対立構図が浮かび上がってくる。理由がどうあれサイバー攻撃は是認できるものではないが、インターネットの普及でデータ通信が世界中で自在に使える時代だからこそ、ハッカーが唱える彼らなりの「倫理」と「伝統」をまずは知っておく必要がある。

「情報を自由に」というハッカーの考え方

今でこそ「ハッカー=ネットワーク荒らし」と解釈される傾向が強いが、元来はコンピューター技術にたけ、深い知識を持つ人のことを指していた。米ジャーナリスト、スティーブン・レビー氏の著書「ハッカーズ」(工学社)によると、そのルーツの一つは1950年代末にマサチューセッツ工科大学においてコンピューターで先進的な技術を試そうとする学生たちだった。当時は、電算機の利用が厳格に管理され、自由に触ることができない制限下にあった。その中で、何とか電算機の応用の可能性を広げていこうという考え方が出てくる。それは「ハッカー倫理」と呼ばれ、以下のようなものだ。

・コンピューターへのアクセス、加えて、何であれ、世界の機能の仕方について教えてくれるものへのアクセスは無制限かつ全面的でなければならない。

・情報はすべて自由に利用できなければならない。

・権威を信用するな――反中央集権を進めよう。

・ハッカーは、成績、年齢、人種、地位のような、まやかしの基準ではなく、そのハッキング(行為)によって判断されなければならない。

・芸術や美をコンピューターで作り出すことは可能である。

・コンピューターは人生をよい方に変える。

この考え方は、1960年代の素朴な無政府主義的な雰囲気と結びついていた。実現不可能な理想像ではあるが、当時はこれが信奉されるほど純朴な学生が多く、関わる人間の数も限られていた。ともかく「ハッカー=悪者」ではなく「ハッカー=創造性」と位置づけられていたことが分かる。

それはコンピューターやネットワークの技術進化に大きな影響を与えた。代表例が、現在のインターネットの前身で、米国防総省の指揮下で構築された「ARPAネット」だ。特定のコンピューターに中央集権的にデータを集めていると、外部から攻撃を受けた時に一度に潰れてしまう。そのリスクを回避するため、データの保存や処理を分散化する目的で設計されたネットワークとして知られている。

ハッカー文化の影響を受けたARPAネット

レビー氏はARPAネットの設計思想そのものが「ハッカー倫理」の影響を大きく受けているという。世界のどこから接続しているコンピューターのどんなプログラムにも、自由にアクセスして、コピーして回ることができる環境を整えることを意図していた側面があるというのだ。ARPAネットはハッカー倫理が全米の大学に広がるのに大きな役割を担った。東海岸で始まったハッカー文化はやがて西海岸にも広がり、パーソナルコンピューター全盛の時代になって、大きく花開くことになった。

それ以前の時代に主流だったコンピューターは米IBMが製造しているメーンフレームだ。プログラムに入る前にまず厳密に仕様を定義し、それから開発に入るような手法のマシンで、その手順は管理社会の象徴と見なされた。

ハッカーたちは「もっと自由に、好き勝手に、プログラムを作る環境が広がるべきだ」と考えていた。そこへ登場したのが個人でも買うことができる小型で低価格のパソコンであり、汎用的な基本ソフト(OS)だった。ハッカーたちが持つ自由な気質と廉価なハード、ソフトの組み合わせが、新たなハッカー文化を作りだしていく。

ゲームを巡る「有料」「無料」の対立

そしてゲーム産業の発展こそハッカー文化抜きには語ることができない。ビデオゲームは若いエンジニアが自由に開発できる娯楽として生み出された。最低限の生活を営む上では不要不急の娯楽ツールだが、なぜかゲームは常に多くの人を魅了し、熱中させる存在として人気を得続けてきた。コンピューターによる創造性の発揮と、情報の無料提供を前提としていた純粋なハッカー倫理にかなうものだったからだ。

しかし1970年代後半、この状況が大きく変わり始める。米新興コンピューター会社のアップルやコモドール、そして、家庭用ゲーム機のモデルを生み出したアタリが登場してきた頃だ。企業にとってゲームなどのソフトウェアは有料で販売する収益の源泉であり、ビジネスが成り立つ上での大前提である。

ソフト開発企業は無料でソフトを提供することを拒み、仲間内でのソフトの複写を違法コピーとして「海賊行為」だと考えるようになっていった。1980年代のゲームは5割以上が違法コピーだったともいわれる。企業側は海賊行為を防止するためのプロテクト技術に巨額の投資をし始め、企業とハッカーとの果てのない争いが始まる。

ここでは、ソフトのコピーを容認して「自由にプログラムを改編できるようにすべきだ」と主張するハッカー倫理の伝統に立つ立場と、「ビジネスを成長させるためにはハッカー倫理を曲げるべきだ」とする二つの立場がぶつかり合うようになる。

そのため、ハッカーが新しい技術を生み出す先進的な存在なのか、それとも、ビジネス環境を破壊する問題児なのかという点がいつも問題となるのだ。ハッカーの地位を定義づけるための争いは、コンピューターが登場した時点から連綿と続いており、そこには根深い文化的な背景がある。

ハッカーの世界から遠い日本企業

ところが、日本で成長した家庭用ゲーム機の文化は歴史的に「ハッカー倫理」から遠い存在だった。最初からユーザーにはプログラムの改変を認めない形でゲームを提供するビジネスモデルを採用し、成功したためだ。90年代後半に入って「プレイステーション(PS)」が北米で大ヒットし、それまでパソコン用ゲームを作っていた企業が続々と家庭用に参入することで、市場が急拡大する。その頃、米エレクトロニック・アーツなど現在の大手企業が登場し始めるが、家庭向けゲーム市場では違法コピーがないため、売り上げを伸ばしやすかったことも大きい。

だが、インターネットの普及によって家庭用ゲームも違法コピーや無断改変の問題にぶつかり始めた。ハードウェア解析の禁止や妨害をする企業は、「ハッカー倫理」に照らすと、情報の自由な流れを管理している「権威」だということになる。それはハッカーたちによる都合の良い解釈ではあるが、PS3を解析することも、PSNのサーバにある情報を手に入れることも、「情報へのアクセスを無制限に認めよう」という「ハッカー倫理」の伝統にのっとった行為だという理屈になる。

「ハッカーは悪である」とした公聴会発言

2日に行われた米下院での公聴会で、ソニー・ネットワークエンタテインメント(SNE)のティム・シャーフ社長は、PSNのユーザー情報の流出問題について終止、明快な態度を取った。自分たちは明らかに被害者であり、PSNへサイバー攻撃を行いデータを奪ったハッカー全体が、徹底して「悪」であるとする立場だ。

特に冒頭のスピーチで、いかにサイバー攻撃を予見することが難しいことであるのかを繰り返し主張している。

「サイバー攻撃の脅威を避けられない最近の現状を思い出してください。ビジネスや、政府機関、公的機関、個人はすべて犠牲者になりえるのです」「不幸なことに、小規模なビジネスから、多国籍企業、連邦政府といったどんな存在であろうとも、あらゆる潜在的なサイバーセキュリティーの脅威を見通すことができるというわけではありません」

気になるのは、この公聴会の中で、自らのセキュリティー上の脆弱性を見過ごしていた過失を認めなかった点だ。ハッカーの存在を脅威と位置づける半面、自らの責任については過小評価しようとしている印象さえした。

PSNを使い続ける選択肢しかないユーザー

今回の公聴会からは別の課題も浮き上がってくる。7日、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の平井一夫社長は、日本経済新聞の取材に対して、問題発覚後に退会を申し出た利用者が「数%程度に留まっている」と述べている。

ただ、現実問題として、PS3やプレイステーション・ポータブル(PSP)を持っているユーザーにとって、退会は現実的な選択肢ではない。

退会してしまえば、ソニーのハードを持っていても、ネットを通じたサービスのすべてが受けられなくなるからだ。ユーザーは否応なくPSNを使い続けるしかないのだ。ここには、企業とユーザーとの間の力関係の決定的な差が存在しており、インターネット時代が進めば進むほど、今後もこの差はより広がっていくだろう。

プラットフォームを提供し、それをユーザーに使わせることができた企業は、システムを定義できる「コード層」を獲得することができる。コード層とは、システムを制御するコンピュータープログラムのことだ。コード層は絶対的な力を生み出せる。例えば、ソニーがPS3のソフトウェアアップデートを行った時にある機能を削ったとしよう。すると、すべてのユーザーは、どんな手段を講じても二度とその機能を利用する事はできない。

また、ソニーがPSNユーザーの情報を収集しているとしても、ユーザーは自分の情報がどのように集められ、管理され、利用されているのかを知る方法は存在しない。また、それを制御することもできない。ほぼ一方的な利用規約に「同意する」しかない。そのため今回のようなトラブルが発生したとしても、ユーザー側には自衛の手段がないのだ。

もちろんこの問題は、ネットサービスを提供している企業では例外なく起きている。だからこそユーザー情報の保護について企業が負う社会的責任は大きくなっているはずだ。だがソニー幹部の公聴会での発言は、自らの責任を過小評価するように誘導しているように映った。

ハッカーとの争いはどこまで続く?

当局の動きを警戒してか、このPSN問題が大きく報道されたあと、活発に行われていたハッカーの情報サイトでは目立った情報のやりとりが明らかに減少している。

SCEは7日、PS3のシステムソフトを「3.65」にアップデートし、違法コピー対策をより強固なものにした。今日現在では、このバージョンのハッキングには成功したケースは確認できていない。

前述したように、世の中には善意のハッカーと悪意のハッカーが存在する。そしてハッカー倫理は歪みを伴いながらも、現在のコンピューター文化の中で生きている。重ねていうが、技術を悪用した犯罪は決して容認はできない。だが、PS3のセキュリティーを破ったジョージ・ホッツ氏のように、その実力はハッカーのコミュニティーでは高い評価を得るのだ。企業のシステムに侵入して情報を流出させるハッカーを「悪」と定義したソニーは、今後もハッカーのコミュニティーにとって格好のターゲットになる恐れがある。実力のあるハッカー一人がいれば、ソニーのシステムを切り崩す可能性はあり、今後も衝突は続くのではないだろうか。

新清士(しん・きよし)
 1970年生まれ。慶應義塾大学商学部及び環境情報学部卒。ゲーム会社で営業、企画職を経験後、ゲーム産業を中心としたジャーナリストに。国際ゲーム開発者協会日本(igda日本)代表、立命館大学映像学部非常勤講師、日本デジタルゲーム学会(digrajapan)理事なども務める。

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