どんな達人にも無力の駆け出し時代がある。多様なキャラクターを変幻自在に演じ、三谷幸喜、是枝裕和ら人気演出家から指名を受ける女優斉藤由貴(54)にも、未熟さに悩み、泣くばかりの日々があった。ニッカンスポーツ・コムの取材に応じ、85年の映画デビュー作「雪の断章-情熱-」(相米慎二監督)の撮影当時や、風変わりだった思春期のエピソード、さらには独特の人生観も語った。全3回。【取材=松田秀彦、島根純】

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斉藤にとって女優人生の原点とも言える映画「雪の断章-情熱-」が、劇場公開から36年を経て、このほど初DVD化された。メガホンを執った相米慎二監督(享年53)は当時から、納得するまで何回でもNGを出し、内面まで追い詰める厳しい演出で知られた。多くを語らず、演技者自身が混乱しながらも、監督が求める「正解」を探していかなければならず、多くの女優が泣かされた。斉藤もその1人だった。

「撮影中に幸せだったり楽しかったりした瞬間はなかったです。いつも緊張して不安におびえ、怖がっていました」。

映画は、2人の男性に囲まれて育った孤児の少女が、殺人事件に巻き込まれながらも、大人になっていく姿を描く。繊細な感情表現が求められる難役だったが、相米監督は自分を突き放すように扱った。

「リハーサルから『もう1回』『もう1回』と何十回も繰り返す。理由も『違う』という言葉ぐらいで、どうすればいいのか分からない。そのまま夜になって、いざ撮影が始まると、相変わらず『もう1回』と繰り返す。セリフは全て覚えているはずなのに、あまりに『もう1回』が続くので、何が正解なのか、全然分からなくなる。追い詰められすぎてセリフを忘れてしまい、出てこなくなり、もう耐えられなくて、泣いちゃって撮影が進まないということはしょっちゅうありました。それでもひたすら『もう1回』って頭もおかしくなりますよ(笑い)」。

芸能界入りしたのは、撮影が始まるほんの少し前だった。母の勧めで応募した「少年マガジン」主催のオーディション「ミスマガジン」でグランプリを受賞。CM出演が決まり、慌ただしくなってきた中で、映画主演を知らされた。

「いろいろな仕事が次から次へと押し寄せてくる感じでしたから『そうなんですか』という感じで、監督のことも存じ上げていませんでした」。

“ずぶの素人”に相米監督は容赦ない試練を与え続けた。真冬の北海道の川で泳がされ、疾走するバイクにアクロバティックな姿勢で座るように求められ、荒れる波打ち際に並んだテトラポット(消波ブロック)を飛び移らされたりした。

「川のシーンでは、このまま流されてしまえば、この現場から逃れられるとか、バイクの時も、落ちてしまえば、もうこの映画に出なくて済むと考えたり(笑い)。テトラポットの上で『飛び移れ!』と言われた時は、落ちたら本当に死んじゃうと思いましたが、最後の撮影シーンだったので、思い切って飛びました」。

撮影期間中は強いストレス状態が続き、体にも心にも異変が起きた。

「つらくて胃炎になりました。撮影の合間に1人になりたくて、駐車場に止めてあるワンボックスカーの中に閉じこもったり、何も考えず、ひたすらボーッとシャボン玉を吹いたりしていたこともありました」。

追い詰められ、逃げ出したい気持ちを抱えながら、クランクアップまでの日数を指折り数える日々が続く中、相米監督が意外な行動に出た。

(つづく)

◆斉藤由貴(さいとう・ゆき)1966年(昭41)9月10日、横浜市生まれ。84年「ミスマガジン」でグランプリ。85年にシングル「卒業」で歌手デビュー、フジテレビ系「スケバン刑事」で連続ドラマ初主演、「雪の断章-情熱-」で映画デビュー。86年にNHK連続テレビ小説「はね駒」でヒロイン、平均視聴率は41・7%を記録。同年にNHK紅白歌合戦に初出場。87年に「レ・ミゼラブル」で初舞台。映画「子供はわかってあげない」が公開中。161センチ。血液型B。