首都圏情報ネタドリ!

  • 2025年1月10日

「べらぼう」蔦屋重三郎とTSUTAYA(ツタヤ)の関係は?大河ドラマ時代考証担当・鈴木俊幸さんが語る主人公の魅力

キーワード:

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」。横浜流星さん演じる蔦重こと蔦屋重三郎が、出版の世界で成り上がる波乱万丈の物語です。

前回の記事では、かつて吉原遊郭があった「べらぼう」ゆかりの地を訪ね、蔦重とその時代を読み解きました。

街の人に「蔦屋重三郎」について聞いてみると…

「蔦屋ってあのTSUTAYA?」「TSUTAYA作った人?」

多くの人が口にしたのは全国に店舗をおく書店の名前。蔦重との関係を調べました。


吉原遊郭はいま?「べらぼう」に出演する俳優・かたせ梨乃さんと跡地を巡る「ネタドリ!」の見逃し配信はこちら↓ 

配信期間 1/10(金) 午後7:30-1/17(金) 午後7:57

あの書店との関係は意外にも…

書店を運営する企業に、蔦重との関係についてたずねました。

取材に応えてくれたのは、創業者の増田宗昭会長です。

TSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ 増田宗昭会長
「NHKで話題になっているじゃないですか。みんなに聞かれますよ、あの蔦屋とどういう関係?って。全く血族ではないと思います」

増田さんの祖父・己之助さんが、かつて営んでいたお店の屋号「ツタヤ」が名前の由来。

実は、蔦重とは全く関係ありませんでした。

増田さんの祖父・己之助さん(中央)

増田さん
「おじいさんのやっていた置屋の屋号を使ったんです。何とか屋書店というのが、割とクラシックな、メジャーな感じがするから。おじいさんが置屋の屋号として蔦屋重三郎から名前を取ったのか、それも謎です」

店舗を開業した初日に蔦重の存在を知人から聞かされた増田さん。

その功績を知るにつれ自身が目指すビジネスのビジョンと重なったといいます。

「写楽、歌麿みたいなクリエイターの人たちと一緒にやっていった。蔦屋重三郎が大衆文化を盛り上げたように僕らは音楽や映画を大衆の人が楽しめるようにしたいというところから入った。まさに僕たちの目指している企画集団。そういうビジネスモデルを江戸時代にやっていたということが、僕はすごく感銘を受けて、尊敬しています」

そうした蔦重への想いは社員に向けて企業理念などをまとめた冊子にも。

蔦重が版元として使っていた印を企業のシンボルにした増田さん。社員にも蔦重のように新しい時代を切り開いていってほしいといいます。

「新しい世代が、新しく切り替えていってくれているので、新しい蔦屋重三郎あるいは新しい歌麿・写楽が頑張る未来を僕は夢見ていますね」

蔦重が現代に残した功績とは

時代を先取りしてきた蔦重。その功績は、現代の社会と切り離せない「広告」にも影響を与えています。

東京・港区にある、広告をテーマにしたアドミュージアム東京。江戸時代から現代に至る広告の歴史を展示しています。

アドミュージアム東京 元学芸員 坂口由之さん
「江戸庶民が楽しんだ娯楽。そういう中に実に巧みに広告が入ってくる、そういう知恵がすばらしかった」

巧みな広告マンとしての蔦重の力量。版元として初期に出版した「吉原細見」にもあらわれているといいます。

「吉原細見」は吉原の街のガイドブック。地図に加え遊女の名前や格付けなど、詳細な情報が網羅されています。

特徴的なのがその巻末。

発行する書籍の終盤のページに自身の店の蔵書のリストを広告として掲載。

「書籍を売りながら書籍の広告をする」

現代では当たり前となっている手法ですが、当時としては画期的なものでした。

坂口さん
「これ以降いろんな版元が本の目録を巻末にずらーっと並べていくんですよ。それは大衆が見るから広告的なメディアの価値があるんですよ」

他にも現代でいう企業とのタイアップや著名人を用いた宣伝などを仕掛けたとされる蔦重。

広告の歴史を語るうえで欠かせない存在だといいます。

「現在の広告の面白さとか、文化として語れるような素地を作ったのはまさしく蔦屋重三郎だろうと僕は考えています」

蔦屋重三郎を長年研究し、大河ドラマで時代考証も担当している鈴木俊幸さんも、現代に受け継がれる蔦重の発想に着目しています。

中央大学 鈴木俊幸教授
「彼の広告戦略は現代とも通じるところがあります。例えば吉原細見の一つにしても、その序文を当時の著名人・平賀源内に依頼するなど、箔(はく)をつけて売り出していきました。ただ宣伝するだけでなく、ブランディングがうまかった。

そうした彼の出版物には、“粋”でおしゃれなかっこよさ、江戸っ子が好む演出がなされており、流行の発信地としての吉原のイメージを確立、人々が憧れをいだき、買い求めるように仕向けていきました」

蔦重の魅力について、鈴木さんがあげたのが「先を見据える力」です。

「ドラマでもこれから描かれていくかもしれませんが、出版人として蔦屋重三郎は必ずしも順風満帆というわけではありませんでした。政治状況の変化や大衆のニーズの移り変わりなどで多くのピンチにも見舞われます。

そうした状況の中でも、大衆が次に求めるものは何かと思案を続け、本の内容や売り方などを工夫し、手を変え出版業を続けていきました。

現在の状況にとらわれず、常に先を見続ける力があったからこそ、前向きに新たな手を打ち、数々の功績に繋がっていきます」

鈴木さんが、蔦重に大きな影響を与えたと考えているのは、彼が生まれ育った吉原です。

「吉原は江戸時代において特殊な場所で、多種多様な人材が集まる数少ない街でした。当時の武家社会では、武家は武家、商人は商人といった形で、全く違う生活スタイルや価値観の中で生きており、交わることも多くなかったと思います。

吉原は異なる人種が集まる場所であり、当時の一流の文化人やクリエーターなども多く通う文化サロンといった面もありました。そこで蔦重の個性やセンスが磨かれつつ、かつ自身の後ろ盾となる人脈を広げていったのではないかと思います」

蔦重が生まれ育った「吉原」はいまどうなっている?その足跡を巡った前回の記事はこちら

大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」
[総合]日曜 午後8:00 /(再放送)翌週土曜 午後1:05
[BS]日曜 午後6:00
[BSP4K]日曜 午後0:15 /(再放送)日曜 午後6:00
※放送から1週間見逃し配信

あわせて読みたい

ページトップに戻る