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些細な日常

1月, 2017の投稿を表示しています

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Evernoteで同期に失敗してノートが消えたらプレミアム会員の更新履歴でしか取り戻せなかった

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朝から良い感じでブログの記事を書き進めて五千文字近くで完成した。中々の力作が仕上がったと満足しながら後は関連したリンクを貼るのにサイトを探していて、全部、見付かってもう公開しかけていた。 Evernote のタブレットで見付けたリンクをノートに載せながら文章がおかしいと思った。物凄く短くて半分くらいしかなくなっていて気付いた頃にはスマホとの同期に失敗して消え去ってしまっていた。 同期に失敗するとデータを失う恐れがある 元々はタブレットで半分くらい書いた。それをスマホで開いて半分くらい書き足して完成した。次いでタブレットで見付けたリンクを載せるところで先に同期してなかったせいかも知れない、ノートが消えて失敗したというのは。 スマホからの新しいデータを受け取る前にタブレットで古いままの状態を少しだけ変えて更新してしまったようだ、はっきり覚えてないけど、とにかく。 複数のデバイスで同期がずれると重複ノート…

ショパンの雨だれは生きる屍への真実の祈りだ

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ブログの記事を一生懸命に仕上げてサイト広告で生活費を稼ごうと望みながら一円にもならない毎日では呆れて心の中に雨垂れが聞こえて来るよ。 侘しく寂れた思いの極みか。好きだったけれどもイメージとして実生活で受け取るのは耐え難いものがある。触れるのは命だけだ。 顔付きも青ざめるばかりの貧乏で、喘がれない貧困では全くない。いつまで生きていられるのかと手の施せない重病人のように気分は落ち込み過ぎる。健康だからまだ益しな状態ではないんだ。 頑張っても頑張っても駄目だった。四十年以上も咲かない花を抱えながら枯れた果てた意欲に存在そのものが染み込んでしまっているとは……。 だからもう本当に生きる屍に等しい。来ない明日と潰れた未来、そして何よりも消え去られて行く将来性の数々に息も絶え絶えではどうやって夢と希望を甦らせられることか。想像も及ばない心こそは僻地だろう。 ショパン の 雨だれ だけだ、知りたいか聴きたいのも Cyp…

温泉に浸かる猿は人間にとって自然との和合を果たす

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見ているだけでこちらも温まって来るようで、日本の冬の風物詩といって良いかも知れない温泉に浸かる猿だけれども案外だったのは 地獄谷野猿公苑 (長野県)など、一部の人工施設でしかやってないといわれる。 温泉猿は自然発生的に現れたのではなかった Japanese Macaque by Yblieb / CC BY-SA 猿が自らの知恵を働かせながら野生で温泉に浸かっているわけではないとすると光景の中身としては例えば 日光さる軍団 (栃木県)のパフォーマンスに近いだろう。 ただし微妙に違うのは温泉に浸かる猿の場合は人間が必ずしも仕向けたわけではなかったらしい。 温泉猿が現れた理由は人間との交流にあった Snow monkeys soak in hot springs of Japan|The Guardian 温泉地で人間の周りに子猿が遊んでいて、偶々、近くに温泉があったので、好奇心からか入り出した。以来、すると猿の…

カフカの小説へは孤独を愛する気持ちに親近感を覚えた変身から引き込まれた

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高校時代、本当に心から好きで愛して止まない作家・小説家が カフカ だった。 本が読みたいと思って本屋の文庫本のコーナーを見て回っていて置かれている本の種類も数多いし、何が良いのかという文学の知識も殆ど持たないままで、迷いに迷って選びようもなく、幾日も本屋へ出向いて同じように繰り返していた本探しかも知れなかった。 振り返っても本当にいつも驚かされざるを得ない、カフカとの出会いとなると。 偶々、これが良いのではないかと本屋の文庫本のコーナーで何一つ分からない状態ながら表紙や紹介文から感じて新潮文庫の作者の顔写真が付いた表紙のデザインが印象的だったけれども買って読んで完全に引き込まれてしまったわけなんだ。 カフカの短編小説で、選んだのは代表作の一つと見做される 変身 だった。喜びは非常に大きくて記憶にも著しく残されたとはいえ、味わいは唯一無二で他のどんな小説にもない趣きだった。十代後半の当時から中年期の今現在…

黄色で運気上昇を認めた福徳の霊能力

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人々が読みながら聞きながら躓かない文章でどれだけ言葉を実質から的確に並べて行けるか

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ブログで 美輪明宏を取り上げて 内容もさることながら題名がいつにないくらい気持ち良く決まった。 まるで作詩しているかのような錯覚さえも味わった やはりブログでは上手く行かないというか、作品としてエッセイ風の日記だけれども流石に詩と全く同じような仕方ではなかったと痛感された。 美輪明宏のヨイトマケの唄へのエンヤコラだけれども作中にエンヤコラの掛け声が出て来てとても気に入っていてブログの記事の題名でテーマの美輪明宏のヨイトマケの唄に捧げる形で付け加えられたという。 記事の全体がエンヤコラの一言に集約された感じが詩に匹敵するのではないか、今までもやっていたかも知れないけど、とにかく面白いと自覚されてしまった。 キーワードとしてGoogle検索からのアクセスアップにも繋がるはずだし、さらに詩的だったら本当に狙い通りのブログの言葉遣いになっているから気付いたかぎりは積極的に取り入れる必要があると考えてしまう。 た…

美輪明宏のヨイトマケの唄へのエンヤコラ

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美輪明宏 の ヨイトマケの唄 は昔からどこかで聴いたことがあって民謡か何かで日本の伝承歌の一つなのかと胸に来た思い出がある。考えれば不可解だったけれどもいつも誰の作品なのかが分からないままで、作者未詳の伝承歌というイメージが三十年くらいたぶん固まってしまっていた。 はっきり分かったのが2012年の 紅白歌合戦 で美輪明宏が歌ったのを観たためだった。 美輪明宏のパフォーマンスが素晴らしかった 美輪明宏|NHK紅白歌合戦| NHK 歌が演劇的で、衣装も宝塚歌劇団の男役みたいな黒づくめのもので、いつもと、全然、違うし、パフォーマンスが素晴らしいだけにインパクトが物凄く大きかった。 感動しながらただししっくり受け取るのは難しかったのも事実だ。 ヨイトマケの唄 の作者も美輪明宏で、発表当時は丸山明宏だったらしい、はっきり分かったものの作者未詳の伝承歌というイメージを払拭するのに時間がかかったと個人的には思う。 ヨイトマケの唄 …

音楽の個々の音符が生きていて楽想が織り成されている世界を素晴らしく感じた

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自作曲の 自然倍音列 (Original 26)が完成した。 デモ版 を公開したのが去年の十一月の初めだったから完成に三ヵ月近くかかった計算になる。 音楽制作の大半がマスタリングの作業に費やされた 結城永人 - 自然倍音列|結城永人 FL Studio Mobileのバージョンアップ で新たに追加されたエフェクトの取り分け コンプレッサー と リミッター の使い方が慣れないせいだ。発見も多くて楽曲に取り入れながら大丈夫かどうかを詳しく調べながら判断せざるを得なくて時間も余分にかかってしまうわけだ。 どちらも強くかけるとパート毎の音量のばら付きを揃え易くなるけど、しかし音が変わってしまう。イコライザーも必要だし、音質を調節しなくてはならない。 パート毎に別々に度合いを変えると全体のバランスが崩れるから纏めて二重にかけて音楽として馴染ませなくてはならなくてさらに作業が増えてしまう。 コンプレッサーをドラムやベースに強めに…

井浦新の芸術へ憧れを抱いた言葉遣いは若々しくも素敵だ

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テレビの日曜美術館の司会が変わっていて調べたら四年前だったらしくて本当にびっくりした。去年くらいではないかと思っていた。数年来、殆ど観てなかったから記憶は曖昧だし、情報は間違いなさそうで、唖然とさせられながらも頷く他はなかった。 少しずつ又観ながら男性の司会が従来よりも良く喋るのではないかと気に留まった。ゲストが来て良く喋るので、日曜美術館の司会というと聞き役のイメージが固まっていたところで、完全に覆されてしまった。 言葉にすれば「何だ、この人は」と感じたけれども口数が多くても口調が穏やかなので、不思議な印象を与える。日曜美術館のかつての司会者のイメージになかったし、喋り自体も自分の思いを言葉にしっかり乗せようとしているようだからユニークで、好ましくも生真面目な人なのではないかと考えもした。 知ってみれば 井浦新 という 井浦 新さん(@el_arata_nest)がシェアした投稿 - 4月 6,…

人々の毛綿鴨の羽毛のリサイクルには泣けて来る

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毛綿鴨の羽毛は人々の防寒に珍重される。地球の北極寄りのとても寒い地方にしか生息しないけれどもそれだけ羽毛も防寒に優れていて保温性が著しく高い。 人々に昔から愛され続けて来た毛綿鴨の羽毛 Eider duck by jon57 / Pixabay 英語でアイダーダックと呼ばれて羽毛もアイダーダウンとして人々に愛されながら防寒に昔から使われて来た。ダウンでも品質は流石に最高級らしい。アイダーダウンを多用した布団ならば数百万円にも及ぶといわれている。 しかし凄く驚いたのは毛綿鴨の羽毛の人々の採取の仕方で、資源のリサイクルとは何かを考えさせられてしまった。ふわもこの可愛いらしさに、心毎、引き付けられながらではまさかだった。毛綿鴨と人々との関係には瞠目するべき世界があって甚く尊ばれもしてしまった。 羽毛のリサイクルというそれぞれの共存共栄 Are eiderdown feathers the best for…

明るい気持ちのシンパシーで誰も遠ざけるな

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昔のホームページ、 作詩の公園 はとても盛り上っていたので、アクセスは最高で一日三百人近くまで得られた、止めてから何とか越えたいと願いながらどうにも手が届かないでいる。 運営スタイルが今とは、全然、違っていて掲示板を主体にして僕と訪問者がコミュニケーションを取りながら周りの他の人たちも巻き込んで行くというアクセスアップの王道を只管に進み続けていた。 しかし越えられないままの一発屋で終わりたくないと強く感じる。 自分のコンテンツをGoogle検索に引っかけてアクセスアップを新しく図るけれども考えると気持ちが非常に大事で、昔のホームページと些かも変えてはならないようなんだ。 夢見て本当に頑張っていた 色んな人に来て貰いたいと信じ込んで全てに純粋に取り組んでいたからこそ訪問者が寄り付き易くて常連も増えたのではないか。 僕が管理人として少しでも上手く行かないとか駄目だなんて先行きへ疑いを抱いていたらやって来た皆…

分詞構文は主語がないから英語として混乱しがちだ

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英語の分詞構文が分かるようになって来た。普通の文章が部分的に省略されていて何だろうと思っていて接続用法としてしかも現在分詞のタイプしか判然と呑み込めなかった。 過去分詞や形容詞で始まったりする文章もあるので、すると意味不明だと混乱して接続用法として理解するだけで精一杯だった。 纏めると複数の文章で主語が同じだとどれかは省略して現在分詞で始めて構わない。 過去分詞や形容詞のタイプはそれぞれに受動態や動詞としての先に付くはずの「Being」の現在分詞も省略されているせいなので、分詞構文という語法の意味は全て同じだった。 分詞構文の三つのタイプ 現在分詞に省略される As he ran to his dream, he grabbed his happiness. または Running to his dream, he grabbed his happiness. 夢に走ったので、彼は幸せを掴んだ。 過去分詞に…

スマホのタッチパネルの反応が悪いんだ

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スマホを買い換えて一年を過ぎてタッチパネルの反応が悪いと感じ出した。 冬で乾燥して指先の電気が減っているせいもあるかも知れない。スマホのタッチパネルは微弱な電流に反応していて人が手袋を着けていると操作できなくなるのもそのためだ。指先に息を吹きかけたりして幾らか湿らすと電気が流れ易くなって逆に良いとも聞かれる。 やってみても難しいくらいスマホの調子が下がっていてタッチパネルでもタブレットは大丈夫だから冬のせいとはかぎらないと思う。 なぜタッチパネルが反応しないか デバイスの不良 アプリの干渉 ストレージの空きの不足 タッチパネルの故障 調べてみると手持ちのXperia Z3にはタッチパネルの不具合が多く指摘されていたり、使い続けて故障したならばもはや修理する以外にスムーズな動作を回復する方法はなくなくなってしまうんだ。 またはスマホは入っているアプリが複数で干渉していると調子が下がるし、ストレージの容量が少…

スマートブログへのデザイン三ヵ条

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些細な日常のウェブバージョンで考え通りのデザインがついに掴めた。というのは 画像を元のサイズでカラム一杯まで合わせる ことができるようになったためなんだ。 やればできるというか、BloggerはデフォルトのCSSで勝手にデザインが付けられるからそれを踏まえながら変更しないと駄目だったし、一般的な方法だけではサイト作成も追い付かなかったと思う。 さらに文字サイズも調節してブログ全体がスマートになったと驚いた、咄嗟に。ウェブバージョンは画面一杯ではないし、しかも二列だからほっそり受け留められるせいではないか。纏まりが加わってスマートブログという印象を与え出した。 気に入ったので、どうすれば実際に可能だったのか、纏まりによってブログをスマートに生み出し得る具体策を明らかにしておきたいと思う。 見出しがちゃんと目立つ コンテンツが整理されている 端々の位置が揃っている 最初に本文の文字サイズを大きめに変えていだけ…

野村克也の有り難い理論~人のぼやきに秘められた謎の力とは何か~

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日本のプロ野球の監督で名将として名高い 野村克也 はぼやきが特徴的だった。試合でチームが上手く勝てない、結果が思うように残せないとなると直ぐにぼやく。チームが弱くて選手も良い成績が出せないほどにぼやきながら監督をやっていて次第に全ての状況が変わって行くんだ。 初めて気付いたのは今から二十数年前の僕にとっては青春期も真っ只中の出来事だったけれども ヤクルトスワローズ の監督に就任した野村克也が優勝してさらに何年も好成績を収めて行った。 当時、ヤクルトスワローズは物凄く弱かった。日本一はもちろん、リーグでも優勝するなんて全く考えられなかった。たぶん 西武ライオンズ が別のリーグで物凄く強かったせいではないか。統一戦の日本シリーズで負けたリーグに属しているチームで殆ど勝てないのがヤクルトスワローズだった。なので本当に目も当てられない状態だったと振り返られる。 野村克也がヤクルトスワローズの監督に就任する自体がま…

日常の些細な出来事に触れる幸せの味わいは小さいというイメージが欠かせない

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誰にでも分かる些細な日常というと他でもなく、小さな幸せの味わいではないか。 永遠の詩人として本質的な認識に基づく命の尊さを伝え届けなくてはならないと考えるけれどもアクセスアップのためには誰にでも分かる些細な日常のイメージも大事にするべきだろう。 小さな幸せの味わいをどこまで膨らませられるか 考えると面白い。驚き捲りの人みたいになるしかなさそうな僕で、何かに触れては凄いとか素晴らしいなんて命が幾つあっても足りないほどの形相で日々を過ごしている。飛び上がり過ぎず、傍目にも親しみ易く映るならば些細な日常のブログとしての人気も増して来ないともかぎらない。 ある意味、それが薄いから常連も付き難いのではないか。 誰かが来て些細な日常に違和感を持たれては不味い。思ったのと違うとなると気持ちが離れてしまい兼ねない。小さな幸せの味わいがちゃんとあれば逆に引き付けられるわけで、見過ごせないどころか、注目してさえも決し…

低温火傷は少し腫れただけで軽ければ水で冷やしたりしながら一二週間で治るらしい

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朝、右手の小指に違和感を受けた。痺れるような状態だったので、寝ている間に変な形で圧迫したみたいだから嫌だと本当に思った、血流が途絶えるなんて不健康だし、できるかざり、避けるには越さない。手を押し潰さないような寝相を普段から考えておかなくてはならいと反省された。 しかしながら、全然、収まらなかった、右手の小指の違和感が。 日中、気付いてから何時間が過ぎても痺れるような状態のままだったので、まさか皮下組織が壊死したはずは流石にないとすれば何だろうと訝られてしまった。 寒くて電気毛布で寝ていて低温火傷に見舞われた 詳しく確かめると少し腫れてヒリヒリしていた。まるで霜焼けだった。布団に入っていて手足が寒過ぎるというのも不可解で、冬になってもう耐えられなくて布団は二枚のままながら電気毛布を敷いて大丈夫と暖かく眠れるように設えていた。それでなくとも霜焼けになるほどの冬の布団では寒くて最初から眠れもしないので…

ヴィヨンの死刑と共に歌われた不幸な詩へ

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生活苦に苛まれるほどに親近感が湧いて来る詩が ヴィヨン の 首吊り人のバラード だった。 十五世紀のフランスの詩人で、ならず者みたいな生き方だったらしい。窃盗や暴力/殺人などによって幾度も投獄された。それこそ悪の詩人を地で行くという形で、三十歳を過ぎた頃に止まらない犯罪からついに絞首刑を宣告されてしまった。 ヴィヨンは現世に別れを告げるような思いで自らの死を控えながら 首吊り人のバラード を歌ったとされる。 墓碑銘 ともまさか題されている。モチーフはいうまでもなく、自分らしさそのものだ、果てしなく、悲しい気持ちだったにせよ。 François Villon from the Grand Testament de Maistre / Public domain 結果的には減刑されて絞首刑は執行されずに地域:パリの十年間の追放処分だけで済んだみたいだけど、ただし後の消息は歴史的に途絶えていて三十二歳で亡くなったこと…

願をかけるのは気持ちから人生を成功へと導くためで

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とんかつを食べてアクセスアップに勝つ ブログを開設して一ヵ月に達しようとしている。Google検索からアクセスアップを狙って上手く行くかどうかの最初の目安になりそうだ。一日一人、来るか、来ないかの横這いが続いているので、打破したい、目の前の情けなさを。ほんの僅かでも良いからブログが成長している、Google検索でのサイト評価は上がっているという証を受け取りたいものだ。 景気付けにとんかつを食べる。やることはやっているし、できるかぎりの手は尽くしているんだ。残るは必勝祈願しかない。とんかつのかつにアクセスアップに勝つの願を懸けて気持ちを盛り上げて行くべきではないか。 今後の活動状況にも影響しそうだし、万一、Google検索からのアクセスアップに期待するだけの結果が得られないとしても気持ちの落ち込みを最小限に食い止めるためにはやっておくには越さないと思われる。 人生は駄目続きで終わるとはかぎらない 駄…

モーツァルトの生涯は純粋なまでに音楽以外の何物でもなかった

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人間は年を取ると聴覚が衰えて高音が分からなくなる。蚊の羽音に準えてモスキート音といわれて巷で面白いと思ったのは高校生が携帯電話の着信音に使って授業中に鳴っても先生に気付かれないように考えていたらしい。 彼、または彼女は大して勉強するつもりもなく学校へ行っていてしかも茶化しに夢中と止められないわけでもなさそうだから人生はどうなるのか、将来への意味の薄さに触れてまるで嚔の飛び出しかけた心が可笑しい。学級崩壊まで行けば面白くないと思うし、きっともっと由々しかったはずなので、個人的には助かりもしたようだ。 モスキート音が辛い、音楽制作で。大丈夫かと中年の耳で励んでいると少年が聴いて高音域に違和感を与え兼ねない。想像力で補うしかないと考える。音階は一定の間隔で上下しながら果てしなく連なり続けていると仮定すれば算出できなくはないし、さほど遠いところまでは実際にも使わないので、作曲では何とかなりそうだ。 P…

サイト作成の引用のための三つのHTMLタグ/blockquoteとqとciteについて

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ブログを開設しても三ヵ月くらいは伸び難いのがアクセスらしい

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Tumblr からBloggerにメインのブログ、些細な日常を移転してもうそろそろ一ヵ月に差しかかっている。アクセスはというと一日二三人がやっとの状態で、成長する気配が全く見えないし、まさか 頭髪の悩み と被るほどに手立ては余りにも遠い。相変わらず、 閑古鳥も鳴き続けている わけだ。 個人的に恐ろしいのは前サイトと同じになるのではないか。アクセスが一日五人をコンスタントに越えるのに一年以上が費やされたブログだった。色々、考えながら掴んだ新しい方法を全て取り入れながら再出発しているので、もっと早くアクセスは伸びて欲しいし、さもないと心が折れてしまい兼ねないだろう。 失敗を繰り返してばかりの挫折続きの人生は厳しい、いうまでもなく。本当に勘弁して貰いたい、神に祈るべき言葉は他には何もないと思う。 ブログの記事のGoogle検索からのアクセスはどうなのか 検索アナリティクス| Search Console | Goog…

観葉植物の写真を透過光で撮る

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雪も降って冷え込みも、可成、厳しい一月中旬、しかしながら今日は晴れて室内への光の流れがいつになく良かった。 日差しの角度が好ましくて写真日和とも過言ではない感じがしてしまった。 窓辺の観葉植物の葉に光が透過されて幻想的な世界が浮かび上がって来た カメラも α5100 と Touit 2.8/50M で室内ではシャッタースピードが上がらなくていつも苦しんでばかりなのに楽勝だった。上手く行けば1/1000sも越えるくらいだから十二分の明るさだろう。 珍しく絞った、レンズを幾らか。カメラの面白さを久々に味わった。屋外で撮影してないし、近頃は室内で開放絞りばかり使わざるを得なかったので、明るさを減らさないためにレンズは全く絞れないという不自由さから解き放たれて嬉しい気持ちがした、本当に。 ピント内が少しぼやけているようだけど、しかし良いのかも知れない。屋外の太陽の下でビシッと取れた写真のようにはたぶん透過光だから…

最も印象に残るプロレスラーだった超獸のブルーザー・ブロディ

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強そうに見えて意外と弱いというか、 ブルーザー・ブロディ が大の気に入りのプロレスラーだったけれども最も印象に残るのは応援せずにはいられなかったためだと思うし、試合が場外乱闘の末のリングアウト負けなどがいつも多くてちゃんと決着しないのが歯痒かった。 ブルーザー・ブロディの人柄 Bruiser Brody| Put Bruiser Brody in the WWE HOF 調べて初めて知って驚いたのは好き嫌いの激しい人柄だったらしい。それが死因にも繋がってしまったみたいだ。刃物で刺殺されたけれども犯人もプロレスラーで、喧嘩が元だった。嫌いな人間には決して心を許さないどころか、食ってかかりさえもしていたブルーザー・ブロディとするとイメージ通りの超獸(キングコング)だったのではないか。 最も印象に残るのと同じようにこれも何か強そうに見えて意外と弱いというか、一刺しの刃物であっさり亡くなってしまうよりは超獸と…

木村政彦の柔道を山下泰裕とエリオ・グレイシーと力道山に追う

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かつて日本に物凄く強い格闘家がいて柔道の 木村政彦 といわれる。全盛期は1940年代でオリンピックにはまだ柔道も正式に競技として組み込まれてなかった頃なので、日本の他の何人もの金メダリストたちと比べて実力はどうかとちょっと怪しまれずにいないけど、しかし国内の全日本選手権とその前身の全日本選士権や代わりの昭和天覧試合では負け知らずの十三連覇を果たしていた。選手としては十五年間に一度も負けなかったともいわれるので、本当に物凄く強いと想像される。 Masahiko Kimura from わが柔道 / Public domain 日本の柔道の全日本選手選はオリンピックの金メダリストを何人も輩出しているし、優勝しなければ参加資格を得ることも儘ならないわけで、そういった人たちと比べても木村政彦が決して見劣りはしないのは明らかだろう。 目次 山下泰裕に最強と聞かれた木村政彦 エリオ・グレイシーに快勝した木村政彦 力…

人生を賭けたチャレンジブログに明日は訪れるか

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ブロガーで良いというか、もう本当にブログに人生を賭けて作家活動をやるしかないと鮮烈に思われて来た。 二十代から小説で十年くらいやってプロにはなれず、三十代から十数年くらい詩をやり出したもののやはりプロにはなれずに今現在のブロガーに至るまでには四十代中盤からだけれども本は出版できないままながら サイト広告でプロへのスタートラインに立つこと が何とかできたわけだ。 作家としてプロへの夢を叶えるとすると目覚ましくも三度目の正直だったと気付いた かつて小説家よりも詩人を求めたように詩人よりもブロガーを求めて生まれ変わるように作家活動の主力をブログの些細な日常として人生も考えるべきではないか。 ブロガーの域 に達したと 詩や他の創作がメインで、ブログがサブという位置付けを取り払って少なくとも同じくらい一生懸命に頑張りたくなった と示したのが一昨年の暮れの約一年前だったけれどもまだ足りないし、アクセスは遅々と芳しくな…

J・S・バッハのシャコンヌ:人間の生き方の内面的に立ち直るような一つの自然な流れ

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Joshua Bell performs Bach's Chaconne, the final movement from Violin Partita 2 in D minor|TheNexusInstitute ジョシュア・ベル の J・S・バッハ は生命感が宿っていて譜面の読み込みが深そうだけれどもそこはかとない魅力を湛えていて総じて静かに穏やかに引き付けられるのが特徴的だ。 J・S・バッハは 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ が素晴らしいと思う ソナタとパルティータの三曲ずつの全六曲で構成されていて全体を通して聴いてみると取り分け パルティータ第二番の第五楽章/シャコンヌ の部分が世間的にも人気曲ながら極めて興味深く受け留められた 後から気付いたけれども自作詩の 詩人の歌~水の精と生の涙~ のイメージがJ・S・バッハの パルティータ第二番の第五楽章/シャコンヌ にぴったりではないかと感じ…

Evernoteアプリでノート一つだけが同期できない場合

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スマホ/タブレットでEvernoteアプリを使っていて偶にノート一つだけが同期できずに取り残されたままになってしまう。 いつもいつの間にか直っているけれども何日もノートの右上に未同期のマークが付いたままの不安で、どうしようもない場合というのもないわけではなかった。 設定| Android デバイスの設定のアプリの「アプリ」からEvernoteの「キャッシュ」を削除したら直ぐに動き出してくれた。 Evernoteアプリのキャッシュはスマホ/タブレットでほんの少ししか使われてないみたいだけれども動作に支障を来すのでは侮れないと感じた。

梶井基次郎の人を誉めさせる力は檸檬に逆らえない

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日本の小説家では 梶井基次郎 が一等に好きで、今回の題名通り、真っ先に誉めさせられている、やはりと笑ってしまいもするわけだけれども本当に避けられないし、逆らえないのはなぜかと気になる存在そのものだった。 Motojiro Kajii by Unknown / Public domain 僕は一人で梶井基次郎の小説を読んでいて全集といっても昔から病気持ちで享年三十一という短命で亡くなったし、しかも寡作の文学生活だったゆえに文庫本でも厚めの一冊分くらいしかないから必ずしも大変ではなかったにせよ、何もかも読み尽くすように知っておかなければ仕様がないと感じさせられていた。 二十代中盤で、自分も小説家として毎日をパソコンと向かい合って必死に過ごしていたかぎり、他の小説も良く読んでいたし、本は良く買っていたものだった。 凄いのは別に梶井基次郎だけではないけど、とにかく驚いたのは梶井基次郎を誉める人が自分以外に見…