きょうご紹介したいのは、『アメリカの大学生が学んでいる「伝え方」の教科書』(スティーブン E. ルーカス著、狩野みき監訳、SBクリエイティブ)。アメリカで圧倒的な支持を誇るプレゼンの教科書『The Art of Public Speaking』(Stephen E. Lucas著、12版)の日本語版であり、その内容について、監訳者はこう解説しています。

今や社会人だけでなく、学生も子どもも必須と言われるプレゼン力ですが、この本にはプレゼン──英語圏では「パブリック・スピーキング」とも呼ばれます──が上手になるコツが非常に具体的に書かれています。(中略)本書で紹介されているコツには、日本人が(概して)不得意なことや、日本の学校では教えてくれないことも多く含まれています。(「監訳者まえがき」より)

監訳者は、日本人が苦手とするのは、おもに「具体的に語ること」「ストーリー(ちょっとしたエピソード)を語ること」「相手目線で伝えること」だと考えているのだそうです。その理由は、日本語は「聞き手責任」の文化だから。聞き手が相手の話の内容を理解できなければ、聞き手が悪いという考え方です。

一方、自分の話を相手が理解できなければ、自分=話し手が悪いという考え方が、英語に代表される「話し手責任」の文化。本書が指南するのも、「話し手責任のプレゼン」なのだといいます。そして、このことについて監訳者は「話し手責任のスキルは、グローバル時代ではもはや不可欠」とまでいいきっています。

多様な文化の人々と渡り合っていくためには、「私たちはこういうやり方が習慣になっていますから、よろしく」と話し手責任で説明できないと、なかなかお互いのことを理解できません。たとえば、「私が会議で何も言わなかったとしても、何も考えていないわけではありません。反論することになれていないのです」と相手(たとえば欧米人)にきちんと伝えられれば、「あの日本人はいつも黙りこくっていて、けしからん」などいらぬ誤解を招くこともなくなるのです。(「監訳者まえがき」より)

このような考え方に基づいて書かれた本書のPart 1「パブリック・スピーキング(人前で話す・伝える)はエリートになるアメリカ人の必須スキルである」内の、[Chapter 1]「『人前で話す』に焦点を当ててみましょう。

パブリック・スピーキングで人生が変わる

パブリック・スピーキングは、古くから重要なコミュニケーション手段として使われてきたもの。その名のとおり、自分の考えを公にすること。自分の考えを伝え、まわりに影響を与えるための手段です。ここでは古代ギリシャの政治家であるペリクレスの「なにかについて判断を下しても」それを「きちんと説明できない人は、なにも考えたことがないも同然だ」という言葉が引き合いに出されていますが、この考え方は、時代を経たいまもなお真理だということです。

フランクリン・ルーズベルト、キング牧師(マーティン・ルーサー・キング)、ロナルド・レーガン、ヒラリー・クリントン、バラク・オバマ、マーガレット・サッチャー、ネルソン・マンデラ、アウン・サン・スーチーなどがそうであるように、パブリック・スピーキングを通じて考えと影響力を広めた人は多数。しかもそれは大統領になるような人に限られたことではなく、パブリック・スピーキングをする日は誰にでも必ず訪れるものだと著者はいいます。たとえば、こんなケース。

あなたは、マネージャー職試験を間近に控えた、大企業の社員。試験では、自分が担当しているプロジェクトについて1人ずつプレゼンをすることになりました。皆緊張して、しどろもどろなプレゼンをしている中、あなただけはパブリック・スピーキングのスキルを駆使して、わかりやすいプレゼンを披露。そして、あなたは見事、マネージャーの職を手にします。(14ページより)

できすぎた話のようにも思えますが、このようなケースは誰にでも起こりうるのだと著者。いいかたを変えれば、コミュニケーション力は、どんな業界・職種でも必須だということ。事実、ビジネスの世界では若手がプレゼンをする機会が増え、パブリック・スピーキングを武器に就職活動を行う若者も多くなったのだとか。

また、どれだけテクノロジーが進化したとしても、パブリック・スピーキングの需要が減るわけではないといいます。このことについて、キャリア・エキスパートのリンジー・ポラック氏は、「本当に良質な専門スキルと、本当に良質な言語コミュニケーション・スキルを兼ね備えた人はそういません。この療法のスキルを持っていれば、『頭一つ抜ける』ことができるのです」と話しているそうです。

また、パブリック・スピーキングは、ビジネスのみならず、市民として活動するときにも力を発揮するもの。パブリック・スピーキングを使えば、世の中をよい方向に変えることもできるというのです。「なにかをよくしたい」「もっといい世の中になってほしい」ということは、誰しもが願っていること。パブリック・スピーキングが、それらを実現するためのチャンスとなりうるというのです。(13ページより)

人前で話すのは「特別なこと」じゃない

とはいっても、人前で話すとなると緊張しても当然。しかし著者は、「心配には及ばない」と断言しています。そして、そのことに関連して、「みなさんは、1日にどれくらいの時間、人と話をしますか?」と質問を投げかけています。

大人は、起きている時間のおよそ3割を会話に費やすといわれているそうです。つまり私たちはこれまでにも、人生の非常に長い時間を、会話術を磨くことに費やしてきたことになります。

わかりやすい順序で話す、相手によって伝え方を変える、「オチ」がウケるように話し方を工夫する、相手の反応に合わせる――これは私たちが日頃何気なくやっていることですが、パブリック・スピーキングで使うスキルでもあります。パブリック・スピーキングは、普段の会話を少しバージョン・アップさせただけなんですよ。(17ページより)

しかし、だからといって、パブリック・スピーキングと日常会話はまったく同じというわけではないでしょう。仮に、ある話を「1人の友人に話した場合」「7、8人の友人に話した場合」「20~30人の聴衆を前に話した場合」を想像してみると、聞き手の人数が増えるにつれ、普通の会話にはない、特別な話し方をするはず。

そして著者は、大勢の人の前で話すときは、特に次の3点に気をつけなければならないと主張しています。

1. 構成を緻密にする(制限時間内に聞き手が理解できるよう、とにかく「わかりやすい」内容にする)

2. 効果的な言葉を使う(俗語、業界用語、文法的な間違いはNG)

3. 伝え方を工夫する(「とか」「えー」などの言葉は避け、背筋を伸ばして大きな声で話す)

(17ページより)

この3つは、研究と練習を重ねれば、必ずマスターできるそうです。(16ページより)

倫理とパブリック・スピーキング

パブリック・スピーキングが目指すのは、話し手が望んだとおりの反応を相手から引き出すこと。しかし、それは表現するという権利の行使でもあるので、重い倫理的責任が伴うのは当然だといいます。倫理について考えるということは、ある行動に対して「これは道徳的/公平/公正/誠実なのか」と考えること。そこで次のような、パブリック・スピーキングの倫理的ガイドラインを意識しておくことが大切。

1. 目指すゴールは倫理的に健全か

「自分のプレゼンの目的は倫理的に健全かどうか」を考えるということ。ここでいう目的とは「本音の目的」。個人や企業の利益のために誰かを裏切ろうとしていないか、誰かをだましたり陥れることが目的になっていないか、などを考えるわけです。

2. ウソはつかない

当然ながら、パブリック・スピーキングではウソは禁物。情報は正確かつ公平に提供する、という話し手の義務を守るべきだということです。また、他人の文章を自分のものとして伝えてはいけないということも心にとめておくべき。

3. 侮辱的な呼び方はしない、罵らない

これも当たり前のことですが、誰かのことを侮蔑的に読んだり、罵倒したりしてはならないということ。侮蔑的な呼び名を意図的に繰り返し使うと、偏見やヘイトクライム、権利の侵害につながりかねないわけです。大切なのは、さまざまな人・集団への敬意。

4. 倫理的原則を実践する

プレゼンの準備をするとき、「内容は聴衆に合っているだろうか」「資料はわかりやすく、説得力があるだろうか」「話にもっとインパクトを持たせるためには、どんな表現にすればいいだろうか」などと自問するはず。これらは、いずれも戦略的な問いであり、このような問いに答えられれば、プレゼンをよりよいものにできるといいます。(19ページより)


こうした基本にはじまり、以後は「準備」「構成」「プレゼンの行い方」「伝え方」などが解説されます。その内容は非常に具体的なので、しっかりと身につければ「伝え方」のスキルを発揮できるようになるはず。プレゼンなど人前で話す機会が多い方にとっては、必須の1冊だといえます。

(印南敦史)