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コラム「研究員のココロ」

リスクで考える人事戦略が企業価値を高める

2007年07月02日 平康 慶浩


1.ほとんどの人事戦略はただのアクションプランにすぎない
 
 一般的に人事戦略を語るときには、「事業戦略」をどのように人事機能に落とし込むかがテーマとなります。私達が実際にお手伝いした際にも、そのようなテーマで作業を行うことを求められた場合が多々あります。
たとえば、代表的な内容には以下のようなものがあります。
事業戦略のゴール:
売り上げ拡大と利益率向上

人事戦略:
(1)評価報酬制度改定
(2)要員計画の見直し
(3)リーダーシップ人材の育成    等々

 読者の皆様もこのような文言を記述された経験がおありかと思います。
 しかしよく見直してみると、これらの中には戦略というにはあまりにも具体的かつ詳細なものが含まれています。たとえば(1)の評価報酬制度改定は多くの場合、いつから改定するか、まで決定しています。ですからこの「戦略」の内容はいきなり具体的なスケジュールに落とし込まれる場合があります。
 (2)の要員計画の見直しについても、本当に言いたいことは、高齢層のリストラと若年層の採用拡大であったりします。するとこの内容もいきなり具体的なスケジュールに落とし込まれます。
 (3)のリーダーシップ人材の育成はなかなか戦略的なタイトルですが、内容を見るといきなり、教育研修の実施スケジュールが書かれていたりします。
このような内容であるなら、わざわざ「戦略」といわずに、事業計画に含まれたアクションプランにとどめておいたほうがいくらかマシな気がします。
人事戦略というからには、それらの項目を解決してゆくことで、戦略的なゴールに到達できるものでないといけません。そしてもちろん、その戦略的なゴールは、経営戦略の目指すところと同一か、あるいはそれを強力に支援するものでなくてはいけません。
 先ほどの例をもう一度見てください。
 多くの会社でこのような人事「戦略」が立てられていますが、「評価報酬制度を改定」して、「要員計画を見直し」て、「リーダーシップ教育を推進」した結果、「売り上げと利益が拡大」するイメージがわきますか?
 少なくとも私は、ぴんと来ません。
 これならまだ、それぞれの下の計画を書いたほうがわかりやすい気がします。
 「評価報酬制度を改定⇒優秀な社員の賞与を増額」して、「要員計画を見直し⇒貢献度の低い社員をリストラ」して、「リーダーシップ教育を推進⇒叱れる管理職を増やす」結果、「売り上げと利益が拡大」する、としたらなんとなく、実現しそうな気がしませんか?
 こんな有様では、人事戦略なんていらない、といわれても仕方がないでしょう。

2.なぜ人事戦略がアクションプランになってしまうのか 

 ではなぜ多くの場合、人事戦略がはっきりしないのでしょう。
 それは「モチベーション」とか「人間関係」といった、ヒトの内部にあって見えないものの視点からの人事が語られすぎたためと本稿では仮説をおきます。
 もちろん、「モチベーション」や「人間関係」という視点を不要と言っているわけではありません。
 これらの視点はヒトがあつまった組織というものがいかに効率的に活動できるかを考えるためには必須のものです。
ですが、著名な言葉にあるように、組織とは(経営)戦略に従うものです。
 ですから、組織を構成するヒトの内面から検討を始めてしまうと、どうしても、(経営)戦略から落とし込んだ組織の考えとずれが生じ、そのギャップをうまく整理できないまま、タイトルだけ戦略的になり、内容はアクションプラン化してしまうのではないでしょうか。
 もちろん、「モチベーション」や「人間関係」がどのように機能しているかという検討に基づきこれまで人事制度が適切に設計されてきましたし、その結果として経営そのものが大きく成長してきました。
 しかしここで言いたいことは、経営戦略と同列で人事戦略を語るために、今までの人事制度構築の根拠となっていた「モチベーション」「人間関係」といった視点からいったん離れてみることをお勧めするということです。
 あくまでも、「人事戦略を策定するため」です。人事制度を設計するためには、これらの視点は非常に重要です。その点は誤解しないでください。

3.リスクという物差しが経営戦略の本質

 では経営戦略と同列で人事戦略を語るための物差しはなんでしょう。それは「モチベーション」を論じた行動科学や「人間関係」を論じた人間関係論などに存在せず、経営戦略に存在するものです。
 財務の視点?
 もちろん財務の視点は重要ですが、それだと範囲が狭すぎる気がします。
本稿ではこれを『リスク』の視点として仮置きしてみたいと思います。
 昨今の経営戦略の中心となる財務戦略や投資戦略と同じレベルで人事戦略を議論するには、財務や投資と同じものさしが必要になります。これがまさに『リスク』である、と筆者は考えるわけです。
 この『リスク』概念に基づき人事戦略を策定することで、経営戦略と密接に関連する人事戦略の構築が実現するわけです。

 ではリスクとは何でしょう。
 それは何かが失敗する可能性のことではありません。
 わかりやすく言うと、リスクとは将来の変動幅のことです。
たとえば金融機関などで計算するデフォルトリスク(企業が倒産するリスク)は企業業績の変動幅によって決定します。もちろんどれだけ借金しているか、という負債の大きさは重要ですが、負債が大きいことだけでデフォルトリスクが高まるわけではありません。業績変動幅が大きかったり、場合によっては急激に成長しすぎたときにデフォルトリスクが高まることすらあります。

 そして、よくできた経営戦略とは、このリスクをうまくマネジメントして、どこまでのリスクを犯しながらどれだけのリターンを得ようとするかというバランスを組み立てるもの、と言い換えることができます。
 安定した老舗企業が、「第二の創業」などの名目でチャレンジングな経営戦略を立てることがあります。これはまさにこのようなリスクとリターンコントロールの典型といえます。
 安定、すなわちリスクが低い代わりにリターンも一定の状況を脱するために、一定の投資を行う=投資額が失われるリスクをとりながら、より大きな長期的リターンを獲得しようとするとりくみが経営戦略に具体的に記述されることになるでしょう。

4.リスクで考えれば人事戦略で企業価値を高めることができる

 ではこのような時、人事戦略はどのように記述されるべきでしょうか。
 リスクとは将来の変動幅である、と先ほど言い換えました。
 そう考えたとき、人事の変動幅を生み出す前提が二つあることに考えを及ぼさないといけません。
 ひとつは、人の雇用は一般的に長期間にわたるということです。
そしてもうひとつは、人の能力は一定に発揮されるわけではない、ということです。

 リスクは将来の変動幅ですが、通常これは期間が長くなればなるほど大きくなります。興味のある方はボラティリティ(一般的なリスクの指標に用いられます)の計算式を調べていただければと思いますが、たとえば住宅ローンの金利が、短期固定分より長期固定分のほうが高くなる理由は、期間が長くなるとボラティリティが大きくなるためです。
 ですから、長期にわたる人の雇用というものは、きわめて大きなリスク要因となる可能性がある、ということがわかります。

 次に人の能力が一定に発揮されるわけではない、ということですが、これはたとえばスポーツ選手が常に一定の成績を上げることができないことを見てもわかります。100mを12秒で走るスプリンターは、どのような状況にあっても100mを12秒で走れるわけではありません。同様に、ゴルファーがまったく同じホールを別のスコアで回ることは決して珍しいことではありません。

 このような二つの視点に基づいて考えると、雇用期間を通じての人の能力発揮度合いの変動が人事のリスクである、と言えるわけです。
この変動によって一定の基準以下の値になった場合、人事が経営に対してマイナスの効果を持つことになります。
 このような状態にならないために策定するもの。
 これがまさに人事戦略といえるでしょう。
 言い換えると、人事が経営に対してマイナスの効果を持たないように策定するリスクマネジメント方針、が人事戦略ということになります。

 では、この人事のリスクはどのような場合に経営にとってマイナスになるのでしょう。注意しなくてはならないのは、人事のリスクは「静的なもの」に対して発生しているわけではないということです。
 「静的なもの」とは言い換えると止まっている、動かない基準です。財務であればこれはゼロが基準になります。場合によっては資本額が基準になることもあるでしょう。いずれにせよ、財務は資本額がゼロを下回ると事業の破綻を引き起こします。

 しかし、人事はそうではありません。
 ゼロ、あるいは給与額(人件費額)が基準にあるわけでもありません。
 ビジネスモデルの内容によっては、「誰がそのビジネスを担当しても赤字にならない」場合がありえます。たとえば貸しビル業で、テナント探しやビル管理をすべて委託している場合、自社の人材に求める能力はほとんどありません。また成長も志向していないのであれば、同じビルをずっと貸し続ければよいだけです。すると、発揮を期待する能力がないのだから、誰を担当させてもよいので、一定の報酬額を設定しておけばこれを増額させる必要もありません。もし今の担当がその報酬額に不満ならば、その金額で働く別の人を雇えばよいからです。結果として、そこで設定した報酬額に基づく貢献期待度を基準としてリスクを考えるわけですが、これはほとんどゼロです。さらに発揮できる能力の変動幅がほとんどないので、人事リスクもまったく存在しないことになります。
 一方で成長企業で一人ひとりの貢献が求められる場合には、個人の能力発揮の変動幅が大きく影響してきます。また、貢献を期待される度合いも高いので、人事リスクは極めて高くなることが予想されます。

 このように、人が経営にどれだけ貢献しているかという度合いを分析することで人事のリスクが明らかになります。
 そしてこの人事リスクをマネジメントする方針が人事戦略の内容になるわけです。

 先ほどの貸しビル業の場合、人事戦略は不要か、あるいはいかに一定の報酬額で人材を雇用し続けることができるか、場合によっては一定期間経過毎に人材を入れ替えるかが人事戦略になります。
 一方で人事リスクが高い企業においては、個人の能力の発揮度を高くするとともに変動幅を小さくすることが重要です。そのために、教育訓練の実施や、能力が下方変動した場合にそれを補正するためのマネジメントルールの策定(たとえばコーチングスキルをその上司に習得させるなど)が人事戦略に含まれることになります。

 なにやら頭の体操のような話になりましたが、そもそも企業価値を論じる格付け機関や証券会社、金融機関、各種ファンドの人々は、常に定量的にものを考えるように訓練されています。それらの人々に「モチベーション」や「人間関係」といった目に見えないものを提示しても、それが企業価値=株価に反映されることはありえません。
 しかし一方で人材に対する興味は近年大いに高まっています。
 ですから、人事についてもそのリスクを定量化して、人事戦略として可視化する意義も今後高まってゆくことが予想されます。
 本稿の内容が貴社の人事戦略を改革し、企業価値向上に資することを願ってやみません。

以上

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