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ノット・東響/R.シュトラウス「ばらの騎士」at ミューザを聴く

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【日時】2024.12.15.(日)14:00~18:00(終演予定)

【演目】R.シュトラウス「ばらの騎士」全三幕(演奏会形式)独語上演/日本語字幕

【所要時間】第1幕(74分)休憩(20分)第2幕(60分)休憩(20分)第3幕(66分)4時間。

【管弦楽】東京交響楽団

【指揮】ジョナサン・ノット

【合唱】二期会合唱団

【演出監修】サー・トーマス・アレン

【登場人物】
元帥夫人(S): 陸軍元帥の妻、貴婦人
オックス男爵(Bs): 好色な田舎貴族
オクタヴィアン(Ms):伯爵家の若き貴公子
ゾフィー(S): オックス男爵の婚約者
ファーニナル(Br): 新興貴族、ゾフィーの父

他。

【主な人物相関】

 

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【キャスト】

〇元帥夫人:ミア・パーション (ソプラノ)

 

 〈Profile〉

 ウェーデン出身。世界中の歌劇場やオーケストラから出演オファーが絶えないカリスマ 歌手。新国立劇場、ウィーン国立歌劇場、メトロポリタン歌劇場、ミラノ・スカラ座、英 国ロイヤルオペラ、エクサン・プロヴァンス音楽祭等、世界の主要な歌劇場・音楽祭に出 演。1998年に『フィガロの結婚』のスザンナ役でオペラ・デビューして以来、モーツァル ト作品の主要な役柄を数多く歌い世界的に高く評価されている。近年は、R.シュトラウス 作品に取り組んでおり、円熟期にある今、最も知的なR.シュトラウス歌手として確固たる 地位を築いている。2018年ノット指揮モーツァルト歌劇 「フィガロの結婚」(演奏会形式) 伯爵夫人役で出演しており、その気品溢れる佇まいと抜群の歌唱が絶賛された。

 

〇オクタヴィアン:カトリオーナ・モリソン(メゾ・ソプラノ) 

 

  〈Profile〉

 スコットランド出身。あたたかく豊かな声で今、ヨーロッパの耳の肥えた聴衆を魅了する 注目の歌手。すでにザルツブルク音楽祭、エジンバラ国際音楽祭、ハンブルク州立歌劇場 等の世界の歌劇場に出演している。レパートリーは幅広く、近年のオペラ作品のレバート リーとしてはR.シュトラウス 『ナクソス島のアリアドネ』作曲家、ワーグナー 『ラインの黄 金』フリッカ、モンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』 ネローネ等がある。2024年にはネゼ =セガン指揮ロッテルダム・フィルで『ワルキューレ』(演奏会形式)に出演。

 

〇エルザ・ブノワ (ソプラノ) 

 

  〈Profile〉

 フランス出身。ベルベットのようなしなやかな歌声が絶賛される注目の歌手。バイエルン州 立歌劇場のオペラ・スタジオで研修後、同歌劇場のアンサンブルメンバーとして数多くの作 品に出演。プッチーニ「ラ・ボエーム」ムゼッタ、モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」 ツェ ルリーナ、ビゼー「カルメン」ミカエラ等で、バリ・ガルニエ宮、グラインドボーン音楽祭、 ベルリン・コーミッシュ・オーバー等に出演。オーケストラ公演でもネルソンス指揮ゲヴァ ントハウス管をはじめ、ベルリン・フィル、ミュンヘン・フィル等と共演を重ねている。

 

〇オックス男爵 :アルベルト・ペーゼンドルファー(バス)

 

   〈Profile〉

 オーストリア出身。説得力のある歌声と高い演技力を誇る実力派。アントン・ブルックナー 私立大学、ウィーン国立音楽大学で学ぶ。ワーグナー『神々の黄昏』ハーゲンや「トリスタンとイゾルデ」マルケ王等、ワーグナー作品を中心に60以上の役をレパートリーとする。な かでも「ばらの騎士」 オックス男爵は当たり役として世界の歌劇場で歌っており、絶賛され ている。新国立劇場、ウィーン国立歌劇場、バイロイト音楽祭、ドレスデン州立歌劇場、シュ トゥットガルト歌劇場等で活躍するほか、チェコ・フィル、BBCフィル等オーケストラとの 共演も数多い。

 

〇ファーニナル:マルクス・アイヒェ(バリトン)

 

 〈Profile〉 

 ドイツ出身。エレガンスを備えた芳醇な歌唱に加え、確かな演技力が高く評価されている。 シュトゥットガルトで学び、マンハイム歌劇場でキャリアをスタートした。ウィーン国立歌劇 場、バイエルン州立歌劇場、チューリッヒ歌劇場、フィンランド国立オペラ等、世界の歌劇 場からオファーが絶えない歌手の一人である。ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」クルヴェ ナール、チャイコフスキー 「エフゲニー・オネーギン』 タイトルロール等数多くのレパート リーを誇る。「ばらの騎士」 ファーニナルも十八番としており、メトロポリタン歌劇場では同 役でデビューし絶賛された。

・マリアンネ/帽子屋:渡邊仁美(ソプラノ)
・ヴァルツァッキ:澤武紀行(テノール)
・アンニーナ:中島郁子(メゾソプラノ)
・警部/公証人:河野鉄平(バス)
・元帥家執事/料理屋の主人:髙梨英次郎(テノール)
・テノール歌手:村上公太(テノール)
・動物売り/ファーニナル家執事:下村将太(テノール)

 

 

【粗筋】

《第1幕》
時は18世紀中頃、舞台はウィーンの陸軍元帥の館。元帥夫人は夫の留守中、寝室にまだ若く、そして美しき貴公子オクタヴィアンを招き入れ、一夜を過ごしていました。早朝、そこへ突然オックス男爵が訪ねてきます。元帥夫人のいとこである男爵は、好色で知れた田舎貴族。女装をして小間使いに変装したオクタヴィアンをも口説こうとします。そんなオックス男爵が元帥夫人を訪ねてきたのは、彼が裕福な新興貴族ファーニナルの娘ゾフィーと婚約したので、彼女に「銀のばら」を贈る「ばらの騎士」を紹介してほしいと頼みにきたからでした。元帥夫人はばらの騎士としてオクタヴィアンを推薦します。オックス男爵は納得して帰っていきました。
元帥夫人は若かった昔のことを思い出しながら、時の移ろいに憂いを感じていました。そして、オクタヴィアンに、いずれ私より若く、美しい人のために私のもとをから立ち去るでしょうと話します。オクタヴィアンはそれを否定しましたが、すっかり拗(す)ねてしまって館をあとにしました。
 
《第2幕》
正装したオクタヴィアンは裕福な新興貴族ファーニナルの館を訪れ、娘のゾフィーに銀のばらを贈ります。このときオクタヴィアンとゾフィーはお互いに一目惚れしていました。
続いてオックス男爵の登場です。彼は婚約者のゾフィーに下品な物言いをし続けたので、ゾフィーはすっかりこの結婚が嫌になってしまいました。そして彼女はオクタヴィアンに助けを求めます。オックス男爵の下品な態度に怒ったオクタヴィアンは成り行きでとうとう剣を抜き、彼と決闘となりました。もともと弱虫の男爵は、ちょっと怪我をしただけで大げさに騒ぎます。ゾフィーの父ファーニナルはこんな事態になったことに怒り、娘を叱りつけました。
騒ぎが一時おさまったとき、オックス男爵に一通の手紙が届きます。それは元帥夫人の小間使いからのお誘い。実はオクタヴィアンの仕組んだものでしたが、男爵は喜んで会いに行きました。
 
《第3幕》
郊外にある居酒屋の一室に、オックス男爵と小間使いに扮して女装をしたオクタヴィアンがいます。オクタヴィアンは散々、男爵をからかった後にその醜態をゾフィーの父ファーニナルに見せたので、ファーニナルも愛想を尽かしました。
そこへ元帥夫人がやってきます。元帥夫人は男爵にこれ以上の醜態をさらすことなく立ち去るように言い、オックス男爵は引き下がりました。
そこに残ったのは、元帥夫人とオクタヴィアン、ゾフィーの3人。2人の女性の間でオクタヴィアンは戸惑います。そのとき、元帥夫人は身を引くことを決心し、静かに立ち去ったのでした。その後二人になったオクタヴィアンとゾフィーは、抱き合いながら愛を誓い合ったのでした。

 

【上演の模様】

 第1幕開けは、元帥夫人マルシャリンの寝室の設定ですが、今回は演奏会形式でした(といっても少しの備品、かなりの歌手演技を備えた)ので、大きなソファーが用意され、登場人物がそれを有効に活用して歌っていました。夫人の愛人オクタヴィアンと一緒のシーンです。オクタヴィアンは少し興奮して夫人に話しかける歌を歌い、夫人はそれを軽くいなして歌います。ここではあまり多くは歌わない夫人役ミア・パーションですが、その第一声はやや声量に欠けるものの、綺麗な歌声の安定したソプラノ歌手ということが分かります。それに対しオクタヴィアン役のカトリーナ・モリソンは、興奮して歌う場面だからなのか、声も、抑揚も少し上擦り気味ですが、かなり多くの場数を踏んだと思える力の籠った歌声で歌っていました。

この第1幕では、オクタヴィアンとの情事に絡んだ歌のやり取りの他に、多くの来客が有り、その最たるものがオックス男爵です。彼は婚約者に使わす「銀の薔薇」の使者を誰にするか相談に来て歌うのです(薔薇の使者は夫人の推薦で、オクタビアンに決まりました)。オックス男爵役は、オーストリア出身のアルベルト・ベーぜンドルファー。かなりの偉丈夫で堂々としたもの。第1幕から第3幕までズート出ずっぱりで、この役は一見脇役の様に見えますが、かっては「ばらの騎士」のタイトルでなく「オックス男爵」のタイトルにしたら?と言う話も出たとまで言われる程で、彼中心に物語は進むのです。それはそうと、劇中貴族の場を楽しませる呼び込み歌手役の村上公太さんは、現在二期会等で活躍されている若手のテノールですが、夫人たちの前で滔々とホール一杯に響くテノールの歌声を響かせていました。完ぺきでは無いですがさらに精進すればいい歌手になるでしょう。

 この幕では夫人と恋人オクタヴィアンのやり取りの歌が一つの山場でしょう。

夫人が自分の最近抱いている気持ちを吐露して歌う切ない歌、終わる間もなくオクタヴィアンが歌います。その後の夫人とオクタヴィアンの二重唱的やり取りでは、オクタヴィアン役のモリソンの声(強く高い音も出ていましたが、安定感、音楽性の高さでは今一つの感有り)が優勢で、弱い声の場合が多い夫人役を凌駕していました。これは若い騎士だから元気があるのだと納得しようにも、見た目がそう若くは見えないズボン役なので戸惑いました。元帥役パーションは最初は抑制的に歌っていたのでしょうか?(オペラ舞台で良くあるケースの様に、彼女は後の幕になればなる程調子を上げていました。)最初からエンジン全開となって欲しかった。

またこの第1幕では、元帥夫人のモノローグの歌が有名です。多くの来客が帰えり、オクタヴィアンも帰らせた後、夫人がホット一息ついて歌う独り言の歌です。

❝(元帥夫人)[一人になり]行ったわ、あの威張った、悪い奴。そしてそのかわいい若い子を捕まえて、つまらない金にありついて。[嘆息]まるでそれが当然かのように。そしてそれでもまだ、自分の方こそが彼女に何かを与えていると錯覚しているんだわ。だけどなぜ腹を立てるの?それが世の流れじゃない。覚えているわ、私も娘だった時を。修道院から出たてで、神聖な結婚生活に入るように命じられたのよ。[手鏡を取り上げる]彼女は今どこへ?ええ、[嘆息]過ぎた年の雪をお探し![穏やかに]そう命じるわ。でもこんなことが本当にありえるのかしら、私はあの小さなレジ(テレーズの愛称)だった、そして瞬時に私はまたおばあさんになってしまった…おばあさん、老元帥夫人!「見て、あそこに老侯爵夫人レジが行くよ!」[穏やかに]なぜこんなことが起きうるの?愛しい神はなぜこんなふうになさるの?私はでもずっと同じだったのに。それにもし神が物事をそうなさらなければならないのなら、なぜそれをその場で私に見させるの、こんなにはっきりとした感覚で?なぜ私から隠してくださらないの?[常により静かに]すべて秘密だわ、あまりに多くの秘密。そして人はこの下にいて[嘆息]耐えるのだわ。そして「どのように」に[きわめて穏やかに]すべての違いがあるのよ。❞

独りになった元帥夫人の独白の歌です。夫人は、修道院を出てきたばかりの時の、あの若い自分はどこへいったってしまったのか(即ち年を取ってしまった)と問い、また避けられない老いの予感に心を痛めるのです。時の移ろいは誰にも避けられないものであることを悟り、いつかはオクタヴィアンが去ることを予感しているのでしょう。夫人役のパーションは、堂々としかも切々と歌いました。さすがこの役を多く演じた経験と本場の雰囲気を体に滲み込ませている歌手の為せる歌い振りだと思いました。 ここは演ずる歌手の重要な聴かせ処のひとつで、本格オペラでは歌い終わると拍手が入る時もある場面です。この歌は、リサイタルで独立して演奏されることもあります。この場面やその直前の二重唱の東響の演奏も白眉でした、コンマスのソロ演奏に乗って歌う夫人、一層盛んに体を左右に振りタクトの腕を上げ下げし、オケを囃し抑え、コントロールするジョナサン・ノット、弦楽奏の如何にも特異(得意)なシュトラウス節の響き、などなど、益々力強く快調に進むオーケストラでした。

次の第二幕では、ばらの騎士役オクタヴィアンが結婚予定のゾフィーに婚約の印であるペルシャ産の香油をたらした銀の薔薇の造花を渡す場面の歌のやり取りです。当時の貴族階級の風習として、婚約を伝達する騎士にバラを持たせて、婚約者の花嫁予定者に渡す(男性婚約者は直接渡さない、日本流に言えば、結納の印しを届ける一種の仲人役でしょうか?)ことが行われていたのです。ハープやチェレスタに彩られて弱音器つきの弦楽器と木管が奏でる優美で、繊細な色彩感をもった調べ(この調べは1幕の元帥夫人の述懐の歌の時にも、3幕などでも、度々登場する調べで、ワーグナー流に言えば、一種のライトモチーフでしょうか? この稿では仮りに以下『キンコンカン』と記します。そんな風な響きがあるので)に乗って婚約申込みの口上の歌が歌われるのでした。そのあとには打ち解けた二人の二重唱が続きますが、結婚の喜びを歌い上げるゾフィーと、彼女に惹かれて恋心を抱き始めたオクタヴィアンがそれぞれ歌う歌には微妙なずれがある二重唱です。(銀のばらの贈呈と二重唱)ここでは、ゾフィー役のエルザ・ブノワが歌いました。ブノワはかなり熟達したソプラノ歌手とみえて、相当いい歌い振りをしていました。ゾフィーは、裕福な家庭の娘のおしとやかな役柄だけあって、余裕の発声で歌っていました。オクタヴィアン役モリソンは1幕からさらに喉が滑らかになって来たのか、随分と安定性が増して来たように思えました。

 第2幕後半で、オクタヴィアンに腕を切られたオックス男爵が、ゾフイーの父親ファーニナルが登場、娘の婚約者のオックス男爵に詫びて歌います。ファーニナル役のマルクス・アイヒェはここで初めて(だったと思うのですが)歌うのですが、そのバリトンの歌声は、そこまでの他の歌手の活躍の影に隠れて、バリトンの素晴らしさを発揮する機会が少なかったのではないかと思います。勿論重みのあるベースの上に時には軽めの声に変化する技術など百戦錬磨の経験から発していると思われます。彼がオックス男爵にお酒を薦める場面からベーゼンドルファーが、機嫌を直して歌う場面があります(オックス男爵のワルツ)。通称『ばらの騎士のワルツ』で知られる処ですが、ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ『ディナミーデン』をもとにした旋律です。R.シュトラウスはこの『ばらの騎士のワルツ』は、ウィーンの陽気な天才(ヨハン・シュトラウス)を思い浮かべて作曲した様です。オックス男爵の演技は踊りも振りも、手練れの為す技と言った感じで、歌は勿論益々調子に乗ってきた感じ、怪我を負わせられたにもかかわらず、人がいいのでしょうね。口ほどでもありません。根っからの悪人ではないのでしょう。

 でも第3幕の歌のハイライトは、やはり、夫人、オクタヴィアン、ゾフィーの三人で歌う三重唱の場面でしょう。『ばらの騎士の三重唱』として知られる名場面です。それぞれが自分の想いを独白で歌う三重唱で、オクタヴィアンは一目惚れしたゾフィーに気持ちが向き、でも先日まで愛し合っていた元帥夫人にも未練があって、ジレンマに陥って歌っているし、ゾフィーはゾフィーで、オックスに裏切られ、自分を救ってくれると信じたオクタヴィアンが格上の元帥夫人と愛人関係にあることを見抜き、傷ついています。オクタヴィアンをつなぎとめることも出来たはずの元帥夫人は夫人で、いつまでもオクタヴィアンを手元に留めておくのは不可能であることを痛感し、潔く若い二人を結び付かせて祝福し、自分は身を引く決意をした気持ちで歌っているのです。この場面はゾフィー役ではなく、元帥夫人役の歌手にとっての聴かせどころの一つと見なされています。R.シュトラウスにとって非常に愛着のある曲であり、遺言により彼の葬儀でも演奏されました。

 その他、歌に合わせた演奏に挟まれる様に管弦楽奏のワルツが頻繁に出て来ます。特に第3幕では、あちこちそれまで良く知られている旋律のウィーンナーワルツが挿入され、このオペラの物語は将にウィーンの物語なんですよ、としつこい程念を押していてしかもそれがR.シュトラウスの旋律に違和感なく溶け込んでいて浮き浮きた明るい雰囲気を十二分に演出していました。オックス男爵役ベーゼンドルファーは、管弦の調べに乗って歌ったり、ワルツのステップをとったり、かなりの器用さを求められる役を見事に演じていました。勿論独語は母国語でしょうから、流暢そのもの、今回の配役中抜きん出ていたオックス約適材の歌手だと思いました。

 2幕に戻りますが、ここでの一大見どころは、男爵が元帥夫人の奥女中マリアンデルだと思い込み、オクタヴィアンに言い寄って思いを遂げようとする場面でした。しかし実はオクタヴィアンの計略によって、男爵をやりこめるための様々な計略がそこには待っていたのでした。「マリアンデル」を口説こうとする男爵の前に、結婚相手を名乗る女性や「パパ、パパ!」と言いたてる4人の子ども達まで出現し、料亭の亭主は「重婚」だと騒ぎだすありさま。そこに風俗の乱れを取り締まる警察まで現れたため、オックス男爵は、同席している「マリアンデル」は自分の婚約者のゾフィーだと偽って切り抜けようとします。しかし、そこにファーニナルやゾフィーまで現れて、集まった野次馬たちは男爵とファーニナル家の「醜聞スキャンダル」と騒ぎ立てるのでした。この混乱の場に元帥夫人が現れ(それはオクタヴィアンの想定外?)、警察に対しては「これはみんな茶番劇でそれだけのこと」と言って事態を収拾し、オックス男爵をたしなめて立ち去らせます。元帥夫人とオクタヴィアンの様子を見ていたゾフィーは二人の関係を悟り、自分はオクタヴィアンにとって「虚しい空気」のような存在でしかなかったのだとショックを受けるのです。元帥夫人はオクタヴィアンをゾフィーへと向かわせるとともに、ゾフィーも気遣う。元帥夫人は静かに身を引くのですが、考えようによっては男爵は脇が甘いお人良しで、ただ女好き、好色漢、色おやじだけの人物なのかも知れない。それはその時代のウイーンの風潮を象徴しているかのようです。時代設定に関して、建前上は18世紀中頃、マリア・テレジア治下のウィーンということになっていますが、事実上は、このオペラが作られた少し前の19 世紀末のいわゆる「ウィーン世紀末」の社会風潮を色濃く反映されている内容になっています。オックス男爵に代表される堕落した貴族の風俗、元帥夫人からして、若い燕を囲って自堕落な生活に生甲斐を見い出している。元帥は登場しませんが、夫人は或いは元帥の女性関係に反発してオクタビアンに走ったのかも知れない。オックス男爵が酒場で飲んでいると以前関係した女が多くの落とし子たちを連れて現われたり、兎に角風紀の乱れが目に余ります。風紀を取り締まる「風紀警察」なるものまで登場します。でもそれらが悲劇を呼ぶのでなく、最終的に良識、理性に回帰し、誰が見ても笑って済まされる喜劇と化して物語が流れていて、頻繁に流れるワルツの調べと共に大いに楽しめる物語になっているのが、百年以上経っても人気が衰えないオペラである所以ではないでしょうか。勿論そこにはR.シュトラウスの優れた個性的なオーケストレーションによる曲の展開があったからこそ打ち建てられた金字塔なのです。

 昔からこの演目はカラヤン指揮、シュワルツコップ他の出演の映像を見て楽しんできました。その間他の演者の実際のフルオペラを多く観てもいるのですが、時代考証、舞台装置、出演歌手の水準の総合力ではこれを超えるものは見当たらないのではなかろうかと思っています。(決してシュワルツコップは物凄く歌が上手いとは思いませんし、カラヤン、ウィーンフィルにも癖があることは確かですが、)当時の雰囲気はこの上無く表現されています。

 今回のミューザの上演は、演奏会形式としては、相当高いレヴェルだったと思います。非常に楽しかった。

 

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