“The Game Awards 2024”(日本時間2024年12月13日に開催)で発表されたカプコンの『大神 完全新作』プロジェクト。同プロジェクトは『大神』(2006)でディレクションを担った神谷英樹氏がディレクターを担当し、『大神』の制作に携わったクリエイターが多く在籍するエムツー、マシンヘッドワークス、そして神谷氏が在籍するクローバーズの共同開発プロジェクトだ。
本稿では、神谷氏が在籍するクローバーズとはどんな開発スタジオなのか。どんなゲーム作りを目指していくのか。クローバーズ代表取締役の小山兼人氏とスタジオヘッド/チーフ・ゲームデザイナーの神谷英樹氏にクローバーズ立ち上げの経緯や開発スタジオの理念、ゲーム作りへのこだわりなどを聞いた。
聞き手:ファミ通グループ代表 林 克彦小山兼人(こやま けんと)
クローバーズ代表取締役。
マリオクラブでゲームのデバッグなどを担当した後、ゲームデザイナーを目指してDeNAに入社し、運営型のゲームに携わる。その経験を活かし、プラチナゲームズ入社後も運営型のゲーム開発に従事。プラチナゲームズ退職後はフリーランスでも活動。プラチナゲームズ在籍時の神谷英樹氏が手掛けていたプロジェクトにはフリーランスのゲームデザイナーとして参加していた。
神谷英樹(かみや ひでき)
1970年信州松本市生まれ。
ディレクターとして『バイオハザード2』、『デビル メイ クライ』、『ビューティフル ジョー』、『大神』、『ベヨネッタ』、『The Wonderful 101(ザ・ワンダフル ワン・オー・ワン)』を開発。『ベヨネッタ2』、『ベヨネッタ3』、『ベヨネッタ オリジンズ: セレッサと迷子の悪魔』、および『ソルクレスタ』ではエグゼクティブディレクターとして、全体監修や原案、シナリオなどを担当。
カプコン、クローバースタジオ、プラチナゲームズを経て、2024年10月にクローバーズ株式会社のスタジオヘッド/チーフ・ゲームデザイナーに就任。現在はディレクターとして『大神 完全新作』の開発にも取り組んでいる。
神谷氏の退職を聞いた小山氏がすぐに決意。それがすべての始まり
――まずはクローバーズの代表取締役の小山さんと神谷さんがこれまでどういった関係で、そしてどういった経緯でいっしょに開発スタジオを立ち上げることになったのかをお伺いできますか?
小山
はい。私はフリーランスという立場でしたが、プラチナゲームズ社内で神谷と同じプロジェクトに入っていっしょに仕事をしていました。
神谷
小山とは某プロジェクトをいっしょに作っていて、僕がディレクター、彼がリード・ゲームデザイナーを務めていたんです。
小山はそれ以前にもプラチナゲームズの別のタイトルに携わっていたんですけれど、その当時、アクションをおもに作っていたプラチナゲームズにはなかった処理能力の高さを発揮していて、それが僕の企画した某プロジェクトには必要だったんです。そのプロジェクトの企画を立てた時点で彼はもうプラチナゲームズを退職していたんですけど、僕のほうから声掛けをしてフリーとしてチームに入ってもらい、いっしょにそのプロジェクトの開発をしていました。
――そこで再び合流されたときは、社員としてではなくフリーランスだったんですね。
神谷
何度か社員にならないかと言ったんですけど、毎回、断られまして(笑)。稲葉も小山を社員にしたいと言っていて、ある日、小山が稲葉に連れられてミーティングルームに入って行くのを見たとき、その話だと思って「稲葉がんばれ」と心の中で思っていたんですけど、ものの30秒くらいで出てきて、「ああ、断られたんだな」と(笑)。
――神谷さんはもちろん、稲葉さんも小山さんの能力を高く評価していたわけですね。そんな最中、2023年10月に神谷さんがプラチナゲームズを退職されることになりました。
神谷
僕は昨年の10月に退社したのですが、辞めるという判断自体は7月の段階で下していました。いちばん身近で仕事をしていたスタッフたちにその報告をしなくてはならないと思い、まずはチームのリーダー格に辞める旨とその理由を話しました。小山にも同じようなタイミングで話したと思います。
――そのとき、小山さんはどんな感想を?
小山
話を聞いた日は、神谷はすごく沈痛な面持ちというか。体調も悪そうだし、雰囲気もいつもと違っていたんですよね。
神谷
当時、プラチナゲームズ社内で“神谷不治の病説”もあったんですよ(笑)。7月に気管支炎を患って、フロアでずっと咳をしていたんです。まわりもそれで心配していたらしいんですけど、それと退社を決断するタイミングが重なって。「週明けに大事な話がある」と言ったらみんな、「いよいよきたか……」みたいになって。
小山
「重い病気やったんや……」と思いましたね(笑)。でも正直、それよりもショックを受けました。神谷が退職するとはまったく想像していなかったので。
――神谷さんはそのタイミングでは、辞めた後のプランはあったのですか?
神谷
いえ、辞めた後のことはまったく何も考えていませんでした。
小山に辞めるという話をしたときにも、つぎはどうするのか聞かれたんですが、「とりあえず就職活動かな」みたいなことを言ったら、小山のほうから「もし何も決めてないんだったら、いっしょにやりませんか!?」と言ってくれたんですよ。ただ辞めると打ち明けたその日に言われたので、その時点では荒唐無稽すぎて、まったく真剣には考えていませんでしたけど。
――小山さんも当日の提案というのは、すごい瞬発力ですね。
小山
神谷から退職の理由を聞いたとき、その理由に共感できたので「残ってくれませんか?」みたいなことは思わなかったです。ただ、神谷から「場合によってはゲーム業界自体から退くかもしれない」みたいな話を聞いて、それはさすがにもったいないだろうと。神谷とならおもしろいゲームが作れるだろうと思っていたので、自分から会社の立ち上げの話を切り出したんです。
――ただ、そのときは神谷さんもピンときてなかったと。
神谷
はい。退社をアナウンスした直後は、ヨコオさん(ヨコオタロウ氏。『NieR』シリーズのディレクターなどでおなじみ)と飲んで、「フリーランスってどうやるんですか?」といった相談をしたり、いろいろと身の振りかたを考えていました。
――どのタイミングで小山さんの話を真剣に検討することに?
神谷
退職するにしても、辞めることを社員に報告してすぐに出ていったわけではなくて、しばらくは会社に残っていたんですよ。そこでみんなに、何か相談したいことがあればいつでも来てくれていいよ、と伝えていました。
そうすると、想像していなかったくらいのスタッフが入れ換わり立ち換わりで来てくれたんです。「どうしてこんなことになったんですか」、「いっしょに仕事したかったです」みたいに訴えてきてくれる人たちもいて。もしこのままフリーランスになったら、こういうふうに言ってくれる仲間とも仕事ができないなと思い始めて。
かと言って、僕は本当に現場一辺倒の人間なので、会社の作りかたなんてわからないですし、そんな甲斐性もないんですよ。そう思ったときに小山の言葉を思い出して、真剣に考えてみようかな、というので本格的に動き出したんです。
――それはいつごろのお話なんですか?
神谷
小山に辞めることを伝えてから1週間以内とかでしたね。
小山がいなかったらいまごろどこかに移籍したり、フリーランスになっていたりしたかもしれないですね。思い返してみれば、某プロジェクトで僕が誘ったときに合流してくれいなかったら、いまの状況もないと思うんですよ。本当にめぐり合わせだなと思います。
――かなりスピーディーに話が進んだんですね。小山さんはゆくゆくは開発スタジオを立ち上げたい、といった考えをお持ちだったのですか?
神谷
そんなことも言ってたよね。
小山
冗談に近かったですけどね。仲間内でゲームを作りたいという気持ちはありましたけど、私はゲームデザイナーですし、ゲームを作るとなるとアーティストやプログラマーの力も必要ですし、経営者になりたい、といった気持ちもなかったんです。
――これまでに経営の経験があるわけではないんですよね?
小山
そうですね。ですが、そこはフリーランスの経験が活きているように思います。これまでに所属してきた会社で予算管理などをしていたこともあったので、そういった経験の積み重ねもあるかなと思います。
プラチナゲームズ退職の理由は方向性の違い。「どうしても譲れない部分があった」
――そもそもですが、神谷さんがプラチナゲームズを退職された理由をうかがってもいいですか?
神谷
詳しくはお伝えできませんが、僕は現場だけの人間なので、身体を預けて仕事をするとなったら、そこに信頼が置けないと全力を尽くせないんです。僕はプラチナゲームズ愛を持っていましたし、立ち上げから参加している人間なので、そこに骨を埋めるつもりだったんですよ。会社の壁一面にある棚に私物のフィギュアやプラモデルを並べて、もう住み着いているような状態でしたし(苦笑)。「会社を辞めるとなったら、この私物はどうするんだろうね」みたいに冗談を言っていたんですけど、まさかそのXデーが本当に来るとは……。それぐらい、自分でも辞めるというのは考えにくいことだったんです。
――たしかに、神谷さんのプラチナゲームズ愛はいろいろな発言にも表れていましたので、我々もゲームファンもとても驚きました。
神谷
僕は自分を表現するためにゲームを作る、といったことは一度もしたことがなくて、エンターテイナーとしてユーザーを楽しませたい、プラチナゲームズの看板を輝かせたい、という想いでゲーム作りをしていました。そのために全力を尽くすという信念はあったんですけど、そこに対して信が置けない状況になり、「辞めさせてもらいます」という流れになりました。
――稲葉さん(稲葉敦志氏。プラチナゲームズ代表取締役社長で神谷氏とはカプコン時代からの長い付き合い)はどんな反応を?
神谷
稲葉とはずっと話し合いはしていましたが、どうしても両者、相容れない部分があって。最後の最後まで、自分はこうしたいんだということをお互いに突き合わせて、その結果、折り合いがつかないところに行ってしまったんですよね。
「それなら俺は辞める」みたいな言葉は、それを材料にして稲葉の言葉を撤回させるようなことになってしまうので、自分の中で決心が固まる最後の最後までそういう言いかただけはしないように心掛けて話し合い、稲葉もそれがわかっていたので、僕の決断をそのまま受け入れてくれました。
――どっちがいい悪いではなく、会社が向く方向性と神谷さんのやりたいことが合わなくなってしまった、と。
神谷
そうですね。自分たちがクローバースタジオ(カプコンの家庭用ゲームソフト開発部門の一部を分割して設立された同社子会社。神谷英樹氏も設立に参加。2007年に解散。『ビューティフル ジョー』や『大神』などを開発)から出てプラチナゲームズを立ち上げたときは、まだ50人前後の規模だったんですけど、それがいまはもう6倍、7倍と大きくなっていって、テンセントの資本が入るといったこともあり、会社の形が変わっていったんです。
僕も取締役や副社長というポジションにはいましたけど、基本的に軸足は現場であるというのは変わらなかったので、経営にもあまり関わっていなかったんですよ。やはり経営には経営の考えが、クリエイティブにはクリエイティブの考えがあって、そこがどうしても合わなくなってしまった結果かな、と思います。それが僕の中ではクリエイター生命に関わるような、どうしても譲れない部分だったんです。稲葉や山根(山根隆雄氏。プラチナゲームズ副社長 執行役員/チーフビジネスオフィサー)といった経営陣とケンカ別れしたわけでもありません。
ただ、思い上がりかもしれないですけど、プラチナゲームズを背負っているという自負もあったので、その僕が辞めてしまうのは現場のスタッフたちを裏切ってしまうような後ろめたさも感じ、彼らにはいまでも申し訳なく思っています。
――退職するという決断にあたって三上さん(三上真司氏。カプコン時代に『バイオハザード』ほか多数のゲームにディレクターやプロデューサーとして携わる。神谷英樹氏のかつての上司であり師匠的存在)には相談されたりはしたのでしょうか。
神谷
相談はしなかったですが、報告はしました。ただ、最初はそんな報告をされても迷惑かなと思い、なかなかお伝えできなかったのですが、別のところからお耳に入ってしまったようで、「すいません、なかなか言えなくて。モジモジしちゃって」とお詫びしました(笑)。でも三上さんからは温かい言葉をかけてもらいました。本当に迷惑をかけっぱなしで申し訳ないなと。
――話は少しずれますが、三上さんとまたいっしょにモノ作りを、みたいな気持ちはあるんですか?
神谷
それはないですね(笑)。三上さんも、それこそ僕が第四開発にいたときから、マネジメントはやりたくない、俺は現場で作りたいんだと言っていたんですよ。
――神谷さんと似たタイプのクリエイターですもんね(笑)。
神谷
三上さんもモノ作りに対する情熱がやはりすごいんですよ。そんな方と自分が相容れるわけがない(笑)。
――おふたりとも自分の軸がありますし、曲げませんし(笑)。
神谷
よくユーザーが「この人とこの人がいっしょにゲームを作ったらすごいものができそう」みたいに言うのを耳にするんです。でもあり得ないんですよ。フュージョン(合体)してパワーアップするみたいにはならないんですよ。フュージョンどころか足を紐で結んで二人三脚で戦うようなものなので、むしろパワーダウンする可能性のほうが大きいです(笑)。
クローバーズ”という社名の由来や込められた思い
――では改めて、今回設立されたクローバーズという会社について伺います。まずは社名の由来やどんな思いが込められているのかご説明いただけますか?
小山
社名にはいろいろなアイデアがあったのですが、どれもしっくりこなかったんですよね。そのときに神谷からクローバーズはどうだろうと提案があったんです。
神谷
クローバーズと言うと四葉のクローバーをイメージすると思うんですが、字を分解すると“C Lovers”=“Cを愛する者たち”と読ませることもできます。この“C”というのは、チャレンジ(challenge)であったり、クリエイティブ(creative)であったり、あるいは勇気のカレッジ(courage)であったり、我々が心に留めておきたい、大切にしたいいろいろな言葉に当てはめることができるんですよ。
――なるほど。
小山
社内では四葉のクローバーにかけて“4つのCを大事にしよう”ということを言っています。それはチャレンジ(challenge――挑戦し続けること)、クリエイティビティ(creativity――創造し続けること)、クラフトマンシップ(craftsmanship――こだわり続けること)。そして4つめのCは、従業員ひとりひとりに決めてもらっています。
神谷
4つ目をそれぞれで決めてもらうようにしたのは、小山のアイデアですね。4つ目をどれにするか絞り切れずにいたときに、「社員それぞれに決めてもらうのはどうですか?」というアイデアを言ってくれて。自分の持つ信念を胸に抱いていてほしいという想いは、会社が求める人材像とも合致します。会社としての理念はありつつ、ひとりひとりの個性も大事にしたいということですね。
ロゴマークは、四葉のクローバーをイメージしたもの。それぞれの葉っぱは、アルファベットの“C”でできており、それが4つ集まってクローバーの形を作っている。
――それぞれのCがあるわけですね? ちなみに、おふたりのCは何なのですか?
小山
取引先に対しても従業員に対しても、誠心誠意、正々堂々としたいというところで、クリーンネス(cleanness)ですね。
神谷
僕はキュリオシティ(curiosity)、好奇心です。自分のクリエイティブの根っこには好奇心があると思うので。
小山
従業員によってはコンフィデンス(confidence――自信)だったり、おもしろいものだとコーヒーブレイク(coffee break)なんてのもあります(笑)。心の余裕を持ってクリエイティブをする、みたいな意味合いなんですよ。
――たしかに余裕も大事です(笑)。“クローバー”というところからクローバースタジオを連想しましたが、そこから取った社名ではないわけですね。
神谷
もちろん着想にはクローバースタジオもありました。
神谷氏がクローバーズに合流してこれからが本格始動
――そんなクローバーズですが、念のために確認しますけれども、ゲームを開発する会社なんですよね?
小山
はい。ゲームの企画・開発をする会社ですね。
神谷
Cの話をした直後なのでアレなんですけど、ゲーム開発におけるコア(core――核)になりたいなと思っているんです。会社もそんなに巨大なものにするつもりはなくて、隅々までお互いのつながりが行き届くような会社の形を守りたいと思っています。プロジェクトが大きかろうと小さかろうと、いちばん大事なところは自分たちが握ろう。そういう気持ちで開発していこうと考えている会社です。
――独立された会社の皆さんは、自分たちでIPを持って、コントロールできるようにしたいという想いが強いように思われます。クローバーズとしては、IPとの関わりかたについてはどうお考えですか?
小山
個人的な意見としては、IPを持つことが最終目標ではない、というのが正直あります。当然、持てるといいなとは思いますし、そういった作品を出していけたらいいなとは思います。ですが、それを目標にするのはちょっと違うかなと。結果としてIPを持てるのはいいんですけど、IPを持つために何かをするのは違う、と言う感覚です。
神谷
僕もその考えに近いですね。IPを持つことが絶対ではないなと思っています。クローバーズとしての強みにしていきたいのは、すでにある何かを作ってくださいと頼まれるよりは、我々のほうからゼロベースで、こういうキャラクターでこういうゲームメカニズムで、こういう世界観でこういうカラーのゲームを作れますよ、と提案できることなんです。
ですので、IPについてはパブリッシャーさんといっしょに育てていければいいと思っていて、ユーザーに受け入れられたから続編を作りましょう、別の展開をしましょうとなったときに、我々がコアとして作品を作れる、そこを握れていればいいのかなと思っています。
――なるほど。クローバーズは現時点では何人ほどが集まっているのですか?
小山
20人弱くらいですね。
――すでにけっこういらっしゃいますね。
小山
準備期間に徐々に集まっていった感じですね。会社自体は1年前から立ち上げていて、神谷が入ってきた今年の10月13日というタイミングから本格的に始動した、というところです。
――神谷さんとしては、やはりいまはワクワクされているのでしょうか。
神谷
そうですね。やっと仕事の現場に復帰して、ゲーム作りに取り組めるので。プラチナゲームズが立ち上がった直後は、ガランとしたオフィスに入って、まだ机とPCがあるだけで、ライブラリもないし、プログラマーは環境構築に忙しいし、デザイナーは資料を見ながら何かをしているしというので、自分としてはペンと紙で何かするしかなかったんです。あのころの感覚に近いですが、いまはもっと手作り感があるので、楽しいですね。
――最終的には何人くらいの規模感でやっていこうと考えているのですか?
小山
最初に話したときは、だいたい40人くらいかなと言っていました。ただ、いまのゲーム開発を考えると、コアを担うと言ってもそれなりの人が必要になってくるので、60~70人くらいは必要かなと思っています。さらにその先、いろいろなことを手掛けようと考えたら、100人くらいになるかもしれません。いったんは60~70人規模を目指せるといいのかな、というイメージですね。
――現在、集まってきた社員の中にはプラチナゲームズからの方もいらっしゃるのですか?
神谷
はい。僕が辞めるとなって話をしに来てくれた人が数人います。もちろん、引き抜きをしたわけではないです。
小山
そういうことはやらないようにしよう、というのは神谷と最初に話をしました。
神谷
クリーンネスを標榜していますしね。
神谷氏はスタジオヘッド/チーフ・ゲームデザイナー。ディレクターとしてゲーム作りにも注力
――あらためての確認ですが、神谷さんはクローバーズでこれからもディレクターとしてモノ作りを続けていかれるんですよね?
神谷
はい。経営に関しては処理能力の高い小山に任せて(笑)。でも、小山にも現場には入ってもらいたいですね。ゲームデザイナーとして頼りになりますし、ディレクターをやりたいという野望もあると思うので。
小山
そうですね。社長をやりながらどこまでできるかはわかりませんけど、考えてはいます。
――現在、クローバーズでは神谷さんはどういった立ち位置になるのでしょうか。
神谷
肩書で言うと、スタジオヘッド/チーフ・ゲームデザイナーです。スタジオヘッドって、カッコいいから一度は付けてみたいなと思って(笑)。どちらかと言うと重要なのは、プラチナゲームズ時代にも付けたチーフ・ゲームデザイナーの部分ですが。
――ゲームデザイナーという肩書きにはやはり思い入れが?
神谷
子どものころからの夢だったので、ゲームデザイナーという肩書は守りたいなと思っています。
――チーフということは、ほかのゲームデザイナーのアドバイザー的な役割も?
神谷
そうですね。ディレクターとして働きつつ、ゆくゆくは複数のラインを走らせたいと思っているので、ディレクターをやりたいという野望と作家性を持っている人間にそこは任せつつ、僕が散々してきた余計な回り道をしなくてもいいようにアドバイスをしたり、こうしたらやりたい方向性をブーストできるといった助言をしたりして、クローバーズが世に出していく作品をしっかりといいものにしていけたらいいなと思っています。
プラットフォームにこだわらないが得意なのは家庭用ゲーム機向け
――先ほどCを大事に、というお話がありましたが、Cにはいわゆるコンソール(console)といった意味合いも込められているのでしょうか。それともコンソールゲームに限らず、モバイルでの展開も視野に入れているのでしょうか?
小山
おもしろいゲームが作れるならプラットフォームにはこだわる必要はないと思っています。ただ、やはり得意な部分としてはいまのところはコンソールなのかな、と考えています。
私自身は運営タイトルのプランナーをやっていた経験があり、そのときのつながりから参加してくれているメンバーもいるんですよ。ですので、モバイル的な展開もできないことはないと思いますが、あくまで可能性のひとつとしてはある、といったところですね。
神谷
おもしろそうなことの選択肢は排除しない、という前提ではありますけど、まずは我々がやってきた主戦場、得意分野でいきたいと思っています。
――資金などはどうされているのですか? たとえばスポンサーや出資元がいらっしゃるのでしょうか。
小山
出資に関しては受けていません。独自の資本でやっていて、会社の独立性は保っています。その中で、プロジェクト単位での開発資金援助をいただくといったことはあるかと思います。
クローバーズが目指すゲーム作りとは
――クローバーズという会社に仲間が増えていくなかで、今後どういったモノ作りをしていくつもりなのか、そのあたりも伺えますか?
神谷
やはり作家性を大事にして、それを強く押し出していく。そういうモノ作りができる現場でありたいですし、そういう匂いがする作品を世に送り出していきたいですね。これは強く思っています。
昨今の大きな流れとして、ゲームを属人化させない、といったことがあるのかなと思うんです。
――それはどういうことですか?
神谷
たとえば、AAAタイトルはいろいろとリリースされますけど、最近は制作者の顔が出てこないじゃないですか。小島監督やヨコオさんのような方は例外的に強い個をにじませていて、それが作品性、作品の価値になっていますけれど、それは本当にごく一部ですよね。
――たしかに、昔に比べると制作者の存在が目立たなくなってきているような気もします。
神谷
信念を胸にゲームを作っていくからには、やはり自分たちの根っこにある作家性が大事だと思うんです。
これまで現場で仕事をしているときにつねづね言ってきたのですが、僕の承認を取りつけるためだけに仕事をしてほしくない。たとえば、赤いコートのキャラクターを描いてくれと仕事を頼んだとき、「赤でベタ塗りしてできました」ではなくて、「この差し色を入れたほうが映える」とか、自分の中で噛み砕いてほしいんですよ。極論、「この場面は青のほうがいいです」でもいいんです。
――自分なりに考えて仕事をすることが個性や作家性につながると。
神谷
僕のオーケーを取るためじゃなく、まず自身のプライドをかけて自分で決めたボーダーラインを超えるために仕事をする、そういう人が僕はすごく好きなんです。いま集まってきてくれている仲間たちは、そういうことができる人だと思っていますし、これからもそこを大事にしてゲーム作りをしていきたいなと思います。それはカプコンの第四開発部時代に三上さんから仕込まれたことでもあって。じつは“四葉のクローバー”の四は、超個人的には第四開発部の四でもあるんです。第四開発部というのは僕の中で誇りなので。これをあまり言うと会社を私物化しているのか、みたいに言われるんですけど(笑)。
「この人がいなかったらこのゲームはこのクオリティーにならなかった」という力を発揮できる人と仕事をしたい
――現在、クローバーズのオフィスはどこにあるのでしょうか。
小山
大阪と東京です。それぞれいまはまだ小さいオフィスを借りている状態ですけど、今後は大きなところにしっかりと居を構えるような形にしたいと考えています。
神谷
東京の事務所はもうパンパンだよね?
小山
大阪も満席です。お菓子コーナー用のテーブルからお菓子をどけて、そこにPCを置いて仕事をしてもらっている人がいるぐらいで(笑)。早ければ大阪は年明け1月、東京も3月くらいまでには少し広い場所に移転しようかなと思っています。
神谷
もう内見も済ませていますし、そろそろ内装のデザインを決めて工事をして……という段階です。
――このインタビューを読んだら、神谷さんたちといっしょにモノ作りがしたい、という人がもっと出てくるかと思います。
神谷
ぜんぜん来ないんじゃないかという不安もあるんですけど(笑)。
――いやいや、そんなことはないでしょう(笑)。せっかくですので、どういった人に来てほしいかについても教えていただけますか?
神谷
いちばんは、マインドですね。いつも小山とも話しているんですけど、先ほど言った自分のプライドを持って仕事をする、というカラーに合っているかどうか。そこですね。待つのではなくて自分から能動的にやる。それは本来、努めてやることではなくて、クリエイティブの衝動に駆られて、“やりたいからやる”というのがモノ作りをする人だと思うんです。「頼まれてないのにこんなの作っちゃったんですけど」という人が奇跡を起こすのを僕のプロジェクトで何度も見てきました。「この人がいなかったらこのゲームはこのクオリティーにならなかった」という力を発揮できる人と仕事をしたいなと、強く思います。
――職種的にはどういった方にきてほしい、というのはありますか?
神谷
あらゆる職種ですね。いまでも20人規模で増えつつあるとはいえ、目標とする60~70人規模というのを考えると本当にぜんぜん足りないので。
大きいタイトルになると100人かそれ以上のスタッフが必要になってくる時代なので、内制ではもう賄えないと思います。だからこそ濃い人間、プロジェクトにおいてコアとなれる人たちを集めたいと思っているんです。どのセクションにおいても、自分たちがリーダーのポジションに立って、協力会社などと仕事をするとしても、各セクションでビジョンを示していける、そういう集団として仕事をしていきたいんです。
――入社した場合、オフィスは大阪でも東京でも、あるいはリモートでもいいのでしょうか。
小山
そこは家庭の事情などを考慮しながら決める部分かなと思います。状況次第では、リモートもぜんぜんアリだとは思いますね。
神谷
そこは柔軟に考えられる会社じゃないかな、と思います。
これは運命!? 立ち上げ当時の奇跡のような話
――神谷さんがカプコンに入社されたのが1994年ということで、ゲーム業界に入られて30年になるんですよね。その節目で再始動というのも、何かの縁があるようにも感じます。
神谷
縁と言えば、小山と今後の話しをし始めて、仲間も少し増えたころに「そろそろ仮でもいいからまず事務所を構えよう」ということになったんですよ。
それである日小山が「ここに決めました」と報告をくれ、見に行くことになったんです。そこは以前、僕がカプコンの若手時代に働いていたビルの近くだったので、「ここには昔おいしい飯屋があって」みたいな話をしながら歩いていたんです。
――本当になじみの地域だったんですね。
神谷
ちょうど当時のカプコンの開発部が入っていたビルの前に来て、「そうそう、カプコンに入社したばかりのときはこのビルに来てたんだよね」と言ったら、小山が「いや、借りたビルはここですよ」って(笑)。
――ええっ!?(笑)
小山
まったくの偶然だったんですよ。
――そんな偶然があるんですね(笑)。小山さんはご存じなかったんですよね?
小山
もちろん、知りませんでした。その前に神谷に「ここに決めましたよ」と地図を送ったときにも、とくに何の反応もなかったですし(笑)。内見はそれこそ10件以上行っていたんですけど、金額面や立地で噛み合うのがちょうどそこだけだったんですよ。
神谷
ビルの名前が変わっていたのと、このへんならだいたいわかる、ということもあって、小山が送ってくれた地図をちゃんと見ていなかったんですよ(笑)。それがまさかの、でした。しかも、借りた部屋がまさに僕が当時いた企画のフロアなんです。
――すごい。
神谷
中は改装されてキレイになっていたんですけど、エレベーターや階段には昔の面影が残っていて。エレベーターで4階のボタンを押すときにも、30年前にもこのボタンを押してたなと。
小山
しかも借りたところが、当時、三上さんが座られていた場所なんですよね。
神谷
そうなんですよ!
――すごいを通り越して、もはや怖い(笑)。
神谷
昔はフロア全体ぶち抜きだったのが、いまは細かく区切って貸しオフィスになっているんですけど、借りたいちばん奥の部屋の位置が、当時、三上さんがいた席の場所だったんです。部屋の隅っこに昔のスチームヒーターがそのまま設置されていて、さすがに使えはしないんですけど、30年前と同じものが残っていたんですよね。
あのころはその上にむき出しのマスクROMとかを並べてたなとか、スチームヒーターを背にして立たされて、三上さんから散々説教されたなとか、いろいろ思い出しました。本当に、タイムスリップしたみたいでしたね。ゼロからの船出が1994年のときと同じ場所なんて、こんなことあるのかと思いました。
――初心に返れたと。いや~すごく出来すぎた話ですね(笑)。
神谷
すごいですよね。ただ、いまはそこがパンパンなので、新しいオフィスに移ることになりそうで。早くも名残惜しいんですよ(笑)。
YouTuber(?)としての神谷英樹氏の今後
――少し話しが逸れますが、神谷さんがプラチナゲームズを退職されてからクローバーズにジョインされるまでの1年間と言えば、YouTube活動も話題でしたね。
神谷
無職でしたがYouTuberだったんですよ。この1年でかれこれ、30000円くらい口座に振り込まれました(笑)。
小山
収益化はしていますからね(笑)。
神谷
でも機材費はまだ回収できていません。マイクがけっこう高かったんです。
――動画編集はどなたが?
神谷
僕です。恥ずかしくてずっと言い出せなかったんですけど。
――恥ずかしい?
神谷
YouTubeをやってみて、世に出ているYouTuberの人って企画力やそれを実際にやる胆力、何よりそれをアウトプットする編集力がすごいなと思わされたんです。
それで、自分も日々動画を見る側の人間として、長ったるい映像はイヤだなというので余白を細かく削って、テンポをよくしたりするんですけど、やはりエンターテイナーとして編集した映像でも人を喜ばせたいと思うので演出も考えて、たとえば、トホホな場面で効果音とか入れるとするじゃないですか。すると「ここは笑いどころですよ」みたいな感じになって、それがもう恥ずかしくて(笑)。
――「いま、ここがポイントですよ!」みたいなことですもんね(笑)。
神谷
いまボケてます、みたいな感じの効果音をポンッと入れたりしていると、「俺は何をしているんだろう」と(笑)。誰かが編集しているテイにしようかとも思ったんですけど、正直に言います。自分でやっています。
――撮影は別の方がいらっしゃいますよね? どなたがやられているんですか?
神谷
プラチナゲームズの元社員の友人に手伝ってもらっていました。胸を張って言うことじゃないんですけど、報酬が発生しているわけでもなく、友だちに頼んでカメラを回してもらったという感じですね。
――退職されて時間ができたというのは想像できますが、なぜYouTubeを?
神谷
海外の映画などで会社を辞めた人間が私物を箱に入れて会社から出てくる、みたいなシーンがよくあるじゃないですか。あれがやりたかったんです(笑)。
会社に山ほど置いていたおもちゃを段ボールに詰めていくときに、「これとこれは動画に映えるから取っておこう」みたいに分けておいて、箱もわざわざAmazon.co.jpで買いました(笑)。
――完全にヤラセ(笑)。
神谷
あとはXもそうだったのですが、ひと言で言えばユーザーと交流がしたかったんです。というわりにはXではブロックしまくっているんですけど(笑)。
――もはやブロック芸の域ですよね。
神谷
自分のXのコンセプトは、居酒屋のカウンターなんですよ。ひとり居酒屋でくだを巻いているイメージです。つまらないヤツが来たら、お前はあっち行けっていうのでブロック。そういうイメージなんです。
YouTubeもそんな感じで始めました。プラチナゲームズを辞めてこれからどうするんだとか、気にしてくれるユーザーもいるだろうなと思ったんですよ。それを発信する場として始めてみようと。
――ユーザーの反応はXとは違いましたか?
神谷
違いましたね。「Xを見て神谷さんって危険人物みたいに思っていたんですけど、ちゃんと人の心があるんですね」みたいなことをすごく言われます(笑)。とくに海外からはその声が多かったですね。「笑って話すヤツだなんて思わなかった!」とか(笑)。
――今後は本格的にゲーム開発が始まり、時間もあまり割けないかと思うのですがYouTubeについてはどうされるんですか?
神谷
さすがに動画の編集をする時間はなくなってくると思うんですけど、せっかく開いた入り口なので、クライアントと関係ない、僕らだけで発信できることを届けていく窓口に使っていけたらと思います。クローバーズのオフィシャルチャンネルも作るとは思うのですが、いまのところ、あくまであれは僕の個人チャンネルなので。
続けてみたらみんないろいろとコメントを書いてくれたので、質問に答えたりして、楽しかったですね。今後も継続していきたいです。
クローバーズが見据える将来
――神谷さんは現在53歳ですが、クローバーズを将来的にどうしていきたいか、5年後、10年後に何をしたいのかといったことは考えられていますか?
神谷
何も考えていないです(笑)。
小山
そこは多分、神谷と僕とで違う部分なのかなと思います。僕は会社というものを経営していますし、活きのいい若手や才能のあるスタッフが集まってきてくれているので、いつかは“神谷のスタジオ”ではないものにしないといけない、というのも当然考えています。会社としてしっかり、この先何十年も続くゲーム開発会社にしていきたいですね。
神谷
それはそうだね。プラチナゲームズにいたときも、『ASTRAL CHAIN(アストラルチェイン)』の田浦くん(田浦貴久氏。『NieR:Automata』のゲームデザイナーでも知られる)や『ベヨネッタ3』の宮田(宮田祐輔氏)、『ベヨネッタ オリジンズ: セレッサと迷子の悪魔』のティナリ(ティナリ アビビ氏)みたいな、新進気鋭のディレクターが立ち上がって、彼らが彼らの感性でゲームを作っているのを横で見ていて楽しかったですし、頼もしかったんです。
クローバーズでもそういう、将来を背負ってくれるというか、僕がその上にあぐらをかいて何かができるような人が出てきてくれるとうれしいです(笑)。
――新しいディレクターの方が輩出されて、神谷さんも好きなものを作り続けられる、みたいな環境になっていったらいいですよね。
神谷
そうですね。僕は本当に年甲斐もなく、いいものを作る人には「この野郎、目立ちやがって」と嫉妬も覚えるので(笑)、若手が育ってきても僕は対抗心を燃やして作り続けるんだろうなと思います。僕にはそれしかないので。
――その言葉が聞けてよかったです。では最後に、これからのクローバーズに期待されている皆さんに向けて、おふたりからのメッセージをいただければと思います。
神谷
出た、難しいやつ。
小山
こういうインタビューを受けるのが、じつは初めてなんですよ。そういう締めの言葉、みたいなのはぜんぜん頭が回らなくて(笑)。
神谷
(小山氏を見て)インタビューはもう何度も受けてるけど、最後の締めがいちばん難しいよ(笑)。究極、「がんばります」だからね。
小山
本気でがんばりますし、ぜひ期待していただければと思います。今回、神谷から“作家性”という話がありましたが、僕も“作家性”を大切にしたいと考えています。それと同時に、「こいつらにゲームを作らせたら、きっとおもしろいものを作ってくるだろう」と期待してもらえるような存在になりたいと思っています。もちろん、ヒットも目指したいですが、それ以上に「何かすごいものが生まれてきそうだ」と感じてもらえるようなゲーム会社でありたいと考えています。
いま、会社に所属してくれているメンバーは、職種や職能の域を超えて、足りないところを助け合えるホスピタリティを持っている仲間が集まっています。これからも、いまのまま会社が大きくなって、いいものを作れて、それをゲームファンに届けていければいいなと考えています。
神谷
まずは、いま制作が決まっているものに対して全力を尽くしたいと思います。それはそれとして、いま小山が言ったように、クローバーズってこういう会社なんだ、というのを実現できるように、「こいつらこんなこともやるのか」というサプライズを届けられるよう、がんばっていきます。