昨日今日は、習慣的に見ているニュースなども一切合切断ってリラックスした時間を過ごしていました。隣国で大きな事故があったようですが、今回はそれすらほとんど目を逸らしています。
私のような技術者は別業界であろうとも事故の情報を収集して学びとする必要があるものの、初期報道はどうしても憶測が多く、そして人々は感情的な反応を示すものであり、疲れている時にそういった情報に触れると引き摺られてしまいます。
よってしばらくは見ません。
航空事故に限った話ではありませんが、事故における当初の報道は必ずしも信用できるものではありません。非専門家が外から見て事実を言い当てられるかどうかはそれこそ運否天賦です。事実とは専門家が現場・現物・現実を分析して初めて判明するものであって、それ以外の情報は厳しい物言いとなりますが雑音に他なりません。
人は自然と物事の因果を推定します。俗に言えば推理をします。
しかしその推理が当たることは非常に稀です。専門家であっても現場・現物・現実を分析しなければ事実に辿り着けない、事実とはそれほどに辿り着きがたいものであり、非専門家では現場・現物・現実を把握したとしてもまったく明後日の方向へ推理を進めてしまうことすらあります。厭味な言い方ですが、同じ情報を持っていても専門家と陰謀論者がまったく異なる結論へ至るようにです。
推理小説の名探偵であれば憶測を積み重ねて真実へ辿り着くことができるかもしれませんが、それこそ名探偵とはまさにその道の専門家であり、それはまったくもって一般的ではない非現実的な技能だと認識する必要があります。
簡単な例で説明してみましょう。
もの凄い腹痛が起きたとします。この腹痛という問題に対して「なぜ?」を繰り返せば真因が見つかるでしょうか。飛行機墜落事故の現場に連れていかれて、「なぜ?」を繰り返して真因を見つけろと言われて見つけることができるでしょうか。犯罪の凶器を渡されて、「なぜ?」を繰り返せば素人が真犯人を探すことができるでしょうか。
とてもとても当たり前のことなのですが、問題の原因や真因は専門家による分析と調査があって初めて分かります。医者でない人が腹痛の原因を特定することはできませんし、墜落事故の調査ができるのは知識を持った事故調査官だけです。凶器から犯人を追跡できるのは警察や名探偵の他には居ません。
つまり「なぜ?」を繰り返して問題の真因を見つけることができるのはその道の専門家・プロフェッショナルだけなのです。
よって事故が生じた際は下手に余計な情報を拾わず、胡乱な情報を拡散せず、専門家が見解を出すまで待ちましょう。
そんな気持ちで年末を過ごしている日記でした。