田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

平野啓一郎 著『富士山』より。あり得たかもしれない人生。あり得るかもしれない人生。

―― では、職員室での人間関係を除けば、教員生活も必ずしも不満ではなかったのですね?
―― そうですね。
(平野啓一郎『富士山』新潮社、2024)

 

 こんばんは。おそらくは学芸会の後に飲み会を開いて、そこにいない職員の噂話や悪口で盛り上がるような《職員室での人間関係》だったのではないでしょうか。台本にすると「A先生とB先生、できてるんじゃない?」「やっぱりそうなの?」「一緒に富士山に登ったらしいよ」みたいな。噂話や悪口でつながろうとするのは子どもと一緒です。

 

 大人げない。

 

泡盛珈琲(2024.11.22)

 

 華金(死語)だった昨日、実踏の帰りに珈琲屋に立ち寄りました。たまたま目に入ったお店です。開いていたのもたまたまで、マスター曰く「夜まで営業しているのは金曜日だけ」とのこと。

 

 ラッキーでした。

 

 お客さん「お酒の入った珈琲、まだある?」
 マスター「あるよ」
 田舎教師「僕にもそれをください!」

 

 たまたま残っていたようで、これまたラッキーでした。で、マスターが淹れてくれたのが写真の泡盛珈琲です。カウンターに座っていた常連さんとマスターとの「珈琲屋での人間関係」が良好だったからこその、

 

 思いがけず一杯。

 

 実踏の疲れが癒えました。帰路、たまたまはさらに続きます。森博嗣さんの『お金の減らし方』を取り上げた前回のブログ記事が、謎に、そして知らぬ間にバズっていて、その夜をピークにアクセス数が5000を超えていたんです。アクセス数を示す棒グラフの高さが昨日と今日だけ飛び抜けていて、

 

 まるで富士山のよう。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 どうやら「はてなブックマーク」が影響しているようです。これを書いている時点で205users とあります。普段は10前後なのに。はてなブックマークが増えたのは、たまたまでしょうか。増えると、バスるのでしょうか。仕組みがよくわからないので誰か教えてください。

 

 

 平野啓一郎さんの『富士山』を読みました。先ほどから何度も書いている「たまたま」をテーマにした短篇集です。C先生が噂話を流したり悪口を言ったりしているのをたまたま知ってしまった。もしもそのたまたまがなければ、人生が変わっていたかもしれない。まぁ、それは例え話ですが、そういったちょっとした出来事が人生を変えてしまった5つのストーリー(富士山、息吹、鏡と自画像、手先が器用、ストレス・リレー)を収録しているのが、平野さんの10年ぶりとなる短篇集『富士山』です。たまたま目に入った本猿さんのポストによって、今日、読み終えることになった一冊でもあります。

 

 

 

 たまたまに加えて、パラレルワールド、すなわちあり得たかもしれないもう一つの人生というのもテーマのひとつです。本の帯には《あり得たかもしれない人生の中で、なぜ、この人生だったのか?》とあります。小田和正さんの「ラブ・ストーリーは突然に」でいうところの《あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら》です。

 

 たらればストーリー。

 

 もしも加奈が《小学5年生くらいの女の子が、向こうの窓の車両の窓から自分を見ているのに気が》つかなかったら(富士山)。もしも息吹が入ろうとした和菓子屋が混んでいたら(息吹)。もしも職員室での人間関係がよかったら(鏡と自画像)。もしもおばあちゃんの一言がなかったら(手先が器用)。もしもルーシーがいなかったら(ストレス・リレー)。5つのストーリーはそれぞれ違う結末を迎えていたかもしれない。すなわち登場人物の人生は変わっていたかもしれない。いったい何の話だろうと思ったそこのあなた。ぜひ手にとって読んでみてください。ちなみに私のお気に入りは、最後に収録されている、

 

「ストレス・リレー」です。

 

 ちょっとネタバレになりますが、子どもたちにもよく言うんです。英雄になれって。言い換えるとルーシーのようになれって。発信源になるのはもちろんのこと、噂話や悪口のバトンを次の人に渡すような人にはなるなって。感染を断ち切って、教室を守れる人になれって。すなわち「ゴシップ・リレー」をストップさせられる真面目な人になれって。

 

 ルーシーは、だから、さり気なく、社会を守った英雄である。

 

 あり得たかもしれない人生を想像しつつ、この先、あり得るかもしれない人生も想像できる一冊です。

 

 もしもギターが弾けたなら。

 

 練習します。