「愛は地球を救う」。これは、頑張る障害者が描かれる24時間テレビでおなじみのコピーだ。1970年代の日本に、そんな「愛」や「正義」を真っ向から否定した伝説の障害者運動があった。
中心にいたのは、脳性マヒ者の横田弘さん(1933年—2013年)である。彼は2つのことを徹底的に突き詰め、訴えた。
障害者を排除するな、殺すな。ここに相模原事件を乗り越える思想がある。
愛と正義のエゴイズム
「われらは愛と正義を否定する」。
横田さんが書き上げた脳性マヒの人たち運動団体「青い芝の会」の行動綱領だ。当時、大きな衝撃を与えた。そのあとに続く言葉もすごい。
われらは愛と正義の持つエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且、行動する。
障害者のための愛と正義はウソくさい、と真正面から否定する真意はどこにあるのか?
それは、愛と正義の名の下に、障害者が殺されていったという事実である。
「被害者」は誰か
時は1970年、実の母親によって脳性マヒをもつ2歳の娘が殺害される事件があった。この時、母親がかわいそうだと同情する声が多くあがり、減刑を求める運動まで起こる。
理由を一言でまとめよう。
この母親は、障害もあり幸せになりえない子供の将来に悩んだかわいそうな母親であり、愛情ゆえに手をかけたのだ。
横田さんたちは、減刑に真っ向から反対する運動を展開した。厳正な裁判を求める意見書を裁判所や検察庁にだした。
横田さんの思想を研究し、本人のインタビューを重ねた荒井裕樹さん(36歳)=二松学舎大講師=は、BuzzFeed Newsの取材にこう語る。
「横田さんは、確かに母親にも社会からの助けがなかった『被害者』といえる面はあると考えていました」
「でも、たとえ追い詰められていたとはいえ、子供に手をかけた瞬間には『殺意』があったはずで、そこを見つめなければいけないと思っている。障害者は誰かに生死を決められる社会。それ自体がおかしい、と訴えたのです」
障害者は誰かの善意に頼らないと生きられないのか?
荒井さんは、障害者や少数者の自己表現を研究する気鋭の文学者だ。
今年、横田さんの評伝『差別されてる自覚はあるかー横田弘と青い芝の会「行動綱領」』(現代書館)を発表した。こう続ける。
「横田さんは『福祉は思いやり』という発想も怖いと考えていました。誰かの善意に頼らないと障害者が生きていけないからです」
「余裕がある時はいいけど、災害のとき、経済状況が変わったとき……。真っ先に犠牲になるのは、自分たちだと考えていたんです」
母親の殺意を擁護した社会は、どこか障害者をかわいそうであり、役に立たない存在だという考えが見え隠れする。
表面的な善意を取り払うと、その発想は、19人の障害者が殺害された相模原事件とつながってくる。
「だから『凝視』しないといけないのは、障害者に向けられた殺意の底に何があり、どのような言葉で殺意がコーティングされているのか、です」
「相模原事件のあとも容疑者に賛同するような声がありましたよね」
賛同するのはおかしいと表面的な批判をするだけで終わるのは、別の「正義」の発露でしかない。問いをもう一歩深めないといけない。
「障害者のことを一方的に『かわいそうな人たち』と思っていないか。『不幸な人たち』だと決めつけていないか。そう思う気持ちが、本当にあなたの中にはないのか、と横田さんは問うていたのです」
「それで君自身はどう思うの?」
横田さんは詩人でもある。だから、言葉、特に主語には敏感だった。
荒井さんは、横田さんからしばしば「君はどう思うの」と問いかけられた。
そこで私たちは〜、一般的には〜、この社会は……といった大きな主語で答えようとすると、「それで君自身は……」と畳み掛けられたという。
範囲がどこまでかわからない「私たち」のような大きな主語からでてくる言葉は、どうしても責任の範囲があいまいになる。
娘を殺害した「母親への同情」も無責任な声の集合体だ。
あなたはどう考えるのか。「小さな主語」で伝えてほしい、と横田さんは常に問いかけた。
横田さん自身も、小さな主語にこだわった。運動はなにより自分の痛みに向き合うこと、差別されているという自覚を「原点」とした。
「横田さんは、障害者を敬え、優遇しろとは言わなかった。投げかけた問いをどう考えるのか。とにかく個人で考えてほしい、という思いなんですよね」
だから綱領は「愛と正義」を否定したあと、「われらは問題解決の路を選ばない」と続く。
差別をうけている人が対案を出さないといけないのか?
当時、横田さんが展開した運動は、常に「過激」という表現がついてまわった。例えば車椅子の集団がバスに乗る、電車に乗る、路上でマイクを握る。
有名なのは1977年、障害者が車いすのままバスに乗ることを拒否した川崎市とバス会社への抗議だ。
JR川崎駅前ロータリーに停車中のバスに、障害者が一斉に乗り込んで運行を28時間ストップさせた。
安易に問題解決はしないと宣言し、次々と問題提起をすることが自分たちの運動なのだ、という。
「反対するのはわかったけど、では対案をだしてください」という声に対する強烈な否定である。
「これも考えさせられます。横田さんは行政との交渉の場でも、言葉を尽くして反対をする」
「でも『じゃあどうすればいいのか?』については、『それはあなたたちが考えてください』と言っていたんです」
一見すると開き直りのようにみえるが、それは違う。差別を受けていると自覚した人には、対案を考える余裕なんてない。
目の前で起きていることを差別だと知ってもらう。「いま、自分の足を踏んでいる、あなたの足をどけてほしい」。被害にあっている人たちが発する言葉はそれだけで十分なはずだ。
その先どうすればいいかは、差別をしている側にいる「あなた」が考えることだ。
ここでも、主語は「あなた」である。
誰かに「幸せ」を決められたくない
横田さんが育った時代、脳性マヒ者は施設に入り、そこで一生を終えることが「幸せ」だとされた。
誰かに幸せを決められるのはおかしい。
自分たちだって、街で買い物がしたい。バスと電車を乗り継いで、流行っているバレーボールを観に行きたい。
なぜ、当たり前の生活をすることを過激と言われないといけないのか?
しぶとく、しぶとく訴えた。原動力は崇高な理念より生活への欲求だったりする。
荒井さんは、それに加えてもう一つ、横田さんが街にでた理由があると考えている。
「自分たちへの想像力を働かせてほしい、という原動力もあったと思うんです」
マイノリティーの排除は、大きなカテゴリーでくくることからはじまる。例えば「障害者」であり「人種」だ。
排除は想像力が働かない。被害をうけるのは個人なのに、その顔を想像することができなくなる。
個人として街にでて、生きている姿をみせることが排除に抗することだ、と横田さんは思っていた。
想像力で抗う
横田さんは「隣近所」という言葉を使っていた、と荒井さんは話す。日常的に、なんとなく顔も見えるし、生活も想像できるような関係を指す。
抽象的な「地域」や「社会」ではなく、「隣近所」に障害者が身近にいる社会。
障害者が身近にいて、リアルに思い浮かべられないと想像力なんて働かない。
想像力が働かないと、ともに手を取りあう共生社会なんて夢のまた夢、すぐに排除がやってくる。
人と人は簡単にはつながれないし、理解することも、わかりあうこともできないことを横田さんは知っていた。
それでもなお、想像力で排除に抗おうとする。想像力で相互理解を深めようとする。
その意味をどう考えたらいいのだろう。横田さんならなんて答えるだろう。
「『それは、あなたたちが考えてください』って言うんじゃないですかね?」
伝説の運動家・横田弘、死してなお、その問いは社会の中で生きている。