"ばいきんまん"中尾隆聖さんが語る芸能生活60年 ドキンちゃん役・鶴さんの訃報は「右手をもがれたよう」

    波乱万丈な青年期からアフレコでのエピソードまで。喜怒哀楽すべてが詰め込まれています。

    ばいきんまん、ぽろり、フリーザ…。数々の人気キャラを演じてきた中尾隆聖さんは今年で芸能生活60年。

    来年2月5日には誕生日を記念し、名門コットンクラブでライブを開催する。

    波乱万丈な青年期から演じてきたキャラクターへの愛、「アンパンマン」で長年共演した鶴ひろみさんへの思いまでBuzzFee Newに語ってくれた。

    10代で飲み屋のオーナーに

    家庭の都合で、幼い頃から祖父母に育てられた中尾さん。

    その祖父母の勧めで4歳から児童劇団に入り、5歳でラジオドラマ「フクちゃん」の友達キヨちゃん役で芸能界デビュー。中学生になる頃には芸能事務所に所属していた。

    「昔は声優というジャンルはないですから。なんでもやる事務所でテレビもラジオも舞台も出て、声の仕事もしてといろいろ勉強させてもらいました。楽しかったですね。クラブ活動みたいに感じていました」

    自立も早く、中学生の頃には祖父母が経営するアパートで一人暮らし。高校に入る直前になると、祖父母から中尾さんはかなりの金額が入った貯金通帳を渡された。

    「高校を卒業し大学に行くにしても、他に何をするにしても、あとはこのお金で自分で何とかしろと言われて。大学に行くか、芝居の養成所に行ってもう一回勉強するか悩んだんですけど、どっちもしっくりこない。よし、スナックでもやって、生活の糧を稼いで、あとは好きな芝居をやろうと思いました」

    高校に入ってからは学校、仕事に加えて、水商売のバイトをしながら足りない開店資金を貯めた。

    バイトで知り合った人の紹介もあり、高校卒業後すぐに新宿でスナックを開く。

    「店をやってた頃はいろんな人に会って、いろんなことを教えてもらって。役者として一番勉強になったかもしれないですね。4年で借金を返して、そのあとはもともとやりたかった役者仲間を集まるような店に方針を変えたんですけど、2年で潰れましたね。だって役者ってお金ないんだもん(笑)」

    仕事への姿勢を変えた妻の言葉

    若くして店を持ち、当時の自分を「クソ生意気なガキ」だったと振り変える中尾さん。気づけば芝居について周りに相談する人が1人もいなかった。

    店も潰し、自分の生き方は間違ってたかなと思い始めた頃、現在所属する事務所「81プロデュース」の社長である南沢道義さんに声をかけられた。

    「最初は『声優さんの事務所? 芝居やりたいから』とか断っていたけど、何回か会ううちに、そういえば子供の頃から役者をやっているけど、事務所に誘われたのって初めてだなと思って。社長からは『いろいろやりたいことはあるかもしれないけど、まずは、食っていこうよ』って。当時の状況とか社長は見抜いてたんだと思います」

    役者としてまずは食えるように…とよく聞くが、中尾さんにとって演技と食っていくことは全く別のもの。食うだけなら何をしたって食っていけると思っていた。

    25歳で結婚したが、仕事と並行した弾き語りのバイトで十分生活はできた。

    「銀座に行って、六本木に行って、店で歌って始発で帰る。1つの店で30万円くらいもらえる。2つで60万円ですから、全然食っていけますよ」

    そんな生活にピリオドを打ったのは奥さんの言葉だった。

    「『あんたずっと弾き語りやっていくの』と言われて、いや役者だけど食っていけないだろと返したら『いいんじゃない。なんとかなるんじゃない』って。かみさんは寝ずに仕事に行ったり、役者の仕事がおろそかになってるのがわかったんだと思います」

    その言葉で弾き語りの仕事はやめ、住む場所もマンションから六畳一間に変えた。

    遊ぶ金がなくなり嫌だなとは思ったが、体は楽だし、仕事にも身が入った。すると面白いもので、仕事は増えていった。

    歌うことへの思い

    歌が大好きだという中尾さんは、これまで何枚もレコードを出している。ただ、30代のころはレコードを出すことに抵抗感もあった。

    「店を開いている頃に、歌手でレコードを出したいという仲間がいっぱいいましたから。しかもみんな歌がうまい。尾崎紀世彦さんも売れる前に店に来て歌って、こんなにうまい奴がいるのかって驚いた。そんな中で、役者の自分がレコードを出すというのに抵抗がありました」

    レコードを出していると周囲には言わなかったが、通っていた六本木のジャズバー「アルフィー」でジャズドラマーの日野元彦さん(店長で日野皓正さんの弟)にバレた。

    「『お前レコード出してたんだな』と店で言われ、すいませんと謝ったら『謝ることないよ。一度、俺のバンドとやろうぜ』と誘ってもらって。一緒に歌わせてもらって。少し気持ちが楽になりましたね」

    演じるフリーザ、ばいきんまんについて

    声優として中尾さんの代表作が「ドラゴンボールZ」のフリーザ役だろう。その強烈なキャラで、中尾隆聖=悪役をイメージづけた。

    「フリーザはあの公家さんっぽい、慇懃無礼なところがいいですね。悪役は演じていて楽しいです」

    フリーザは人気キャラのクリリンを殺したことで、視聴者の印象に残っている。

    「クリリンを非情な殺し方をしたので、何がすごいって野沢雅子さんが一番怒るんですよ。『ひどい。なんてことするんだアンタは』って(笑)」

    フリーザと並ぶ中尾さんの代表作が「アンパンマン」のばいきんまん役だ。実は誕生の裏にはNHK「おかあさんといっしょ にこにこぷん」で演じたぽろりの存在があった。

    「アンパンマン」の放送予定の時間帯には、ぽろりが登場する「にこにこぷん」の夕方の再放送が流れていた。

    出演する放送時間がかぶる「裏かぶり」。さらにターゲットは両方とも同じ幼児であることから、同じ声の演技はできないと、中尾さんは声を潰してばいきんまんのオーディションを受けた。

    「すると面白いからもうちょっと潰して来てと言われて、結局あの声に。『このオーディションは受からない』と思っていたら、受かった。ぽろりをやっていなかったら受からなかったですね」

    亡くなった鶴さんへの思い

    当初は3か月で終わる予定だった「アンパンマン」も好評のため、半年、1年と放送時期が伸び、気づけば放送30年。放送時から出演するキャストについてはファミリーと語る。

    「なんせ30年ですからね。しょくぱんまん役の島本須美はアンパンマンが始まるころに子供が生まれたんですが、その子供が今は声優としてアンパンマンに出演してますから」

    そんなアンパンマンファミリーに先日、悲しい報せがあった。11月16日、ドキンちゃんを演じて来た鶴ひろみさんが57歳の若さで亡くなったのだ。

    鶴さんの話を聞くと、明るかった中尾さんの顔に寂しさが浮かぶ。

    「一番つらかったですね、鶴は。これまで番組で共演者が亡くなることがあって、先輩も含めてその都度寂しい思いはするんですけど、ドキンちゃんは別格なので。本当に、右手をもがれたような気分ですよ」

    「30年やって来ましたから。本当に私だけじゃないですけど、みんなにとってショックですよね。辛いですよね。声が聞こえて来ちゃいますから」

    アニメだけでなく、舞台でも共演し、プライベートでもお酒を飲む仲だった。

    「鶴はお酒が好きだったですからね。私はそんなに強くないんですけど、強かったですね。いつも楽しいお酒だったですけど」

    一番の思い出を聞くと、鶴さんとのアフレコの話になった。

    「バイバイキーンの声をどのくらい伸ばすとか、打ち合わせがなくてもバシッと決まる。ふっと合わせるときの気の使い方は絶妙だったですね。せーのと言わなくても合う。30年やって来た仲ですよね」

    「ドキンちゃんというキャラクターは彼女が形作ったものですからね。最初はもっとバイキンマンの手下だったんですけど、今は私が手下になっている(笑)。台本にある『バイキンマン、○○持って来て』というセリフを、リハーサルだと『バイキンマン、○○持って来な』って変えたり(笑)。鶴が冗談みたいに言っていたことがだんだんキャラクターになっていった。だから、ドキンちゃんは可愛いんです」

    来年2月5日の誕生日に東京・丸の内にある「コットンクラブ」でメモリアルライブを開催する。

    「『TAKE OFF』というライブから35年たつので、35年間の思い出を込めて歌ってみようと思います。35年前にやった曲、それに子供番組でやった曲を大人バージョンに変えてやる予定です。ライブには35年前に来てくれたファン、新しい方、親子の方にもぜひ来てほしいです」

    ライブ本番には鶴さんも会場に見ているかもしれない。「しっかりね、バイキンマン」と中尾さんに声をかけながら。

    <なかお・りゅうせい>1951年2月5日、東京都出身。子役として活動し、ラジオドラマ「フクちゃん」で声優デビュー。声優の関俊彦と共に演劇集団「ドラマティックカンパニー」 を主催。演出も手がける。来年2月には東京・丸の内のコットンクラブでバースデーライブ「オレンジ色の夢」 を開催する。

    BuzzFeed JapanNews