ベルギーの欧州議会(左)と、「完全防備」で滞在した2022年1月の筆者。いずれも筆者撮影。
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2022年の夏に、7年間勤めた新聞社を退職した。
最終出社日から約1週間後、私はフランスとドイツに挟まれた小国、ベルギーにいた。9月から、大学院に通い、欧州の政治やビジネスを学ぶことにしたのだ。長年にわたる夢や計画ではなかった。思いついたのは2022年の1月で、コロナ禍の真っただ中だった。
なぜ私が住み慣れた日本と定職を捨てて、留学という道を選んだのか?
理由は「国際標準の感覚から取り残される」という危機感があったからだ。
たどりついたのは「出版業界」
前職では、記者や編集者として仕事に打ち込んでいた。
撮影:今村拓馬
私は、早稲田大学政治経済学部を卒業後、日本経済新聞社の出版職から内定を得た。
その後、編集者として日経でスタートできるかとおもいきや、記者として最初のキャリアを歩むことになった。当初は抵抗もあったが、「きっと何かの運命なのだろう」と受け入れ、スタートアップや就活などを取材した。
実に自由な環境で、好きな記事を企画し、書かせてもらった。夏休みをとるのがもったいなく思えるほど楽しい新卒時代だった。
その後、出版社に出向させてもらい、ビジネス書の編集を担当した。一橋大学名誉教授の石倉洋子氏、池上彰氏、ジバンシィ・ジャパン プレジデント&CEO(当時)のクリスティン・エドマン氏などと仕事をし、卒業までに60冊以上の書籍を編集した。
日本時間午前2時、イスラエルの授業に参加
石倉洋子・一橋大学名誉教授(左)は「留学に行きなさい」と背中を押してくれた。
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仕事をするなかで会う著者たちは非常に魅力的で、日々学ぶことばかりだった。
日本を代表する女性実業家らと書籍の構成を軸に議論をしていると「今の日本はこのままだと厳しい」「あなたみたいな若い人は海外にいったほうがいい」などいわれることも多く、どことなく気にはかかっていた。
当時20代の私は、知識量では著者に太刀打ちできるはずがなかった。
でも、自分なりに価値を出したい、より著者とよい議論をしたいと思い、仕事をしながら大学院への進学を決意した。
海外留学も少し考えたが、海外MBAの予算は安くても500万円以上かかった。資金もないし、仕事でもまだまだやりたいことがある。海外との提携が多い国内の大学院で経営学を専攻し、仕事が終わった後に勉強、週末は授業漬けの2年間を過ごした。
ちょうど新型コロナウイルスで、世の中が大きく変わってしまったタイミングだった。予定していた短期留学もすべてオンラインになってしまったが、オンラインであったからこそ、イスラエル、中国などの国の授業に日本から顔をだせた。
授業中に「日本は今何時なの?」といわれ「午前2時です」と答えたときに「こんな深夜まで頑張っている彼女に拍手をおくろう」と教授が言ってくれたときには泣きそうにもなった。日本にいながら海外の授業を受けると、そのスピード感と話題の新鮮さに毎回ドキドキした。
現地に行ってみたい……。約2年の空白を経て、海外はどうなっているのだろう。好奇心は膨らむばかりだった。そして、2022年1月、オミクロン株が猛威を振るうなかではあったが、フランス・ナントのAudencia ビジネススクールへの短期留学を決行した。
日本と大きくズレる「グローバル感覚」
フランス・ナントのビジネススクールでの記念撮影。
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授業には、ドイツ、韓国、ギリシャ、ナイジェリアなどから生徒がきていた。
自己紹介の途中、パリジェンヌの先生は、年齢を答えた生徒に「年齢はバイアスになるからいわないで」と指摘した。
仕事を言った生徒には「それもいいけど、あなたのパーソナリティがしりたいの。趣味はないの?そっちのほうが面白いわ」と笑顔で言い放った。
先生は、弁護士資格ももつ元コンサルタントで、起業をしていた。4カ国語を自由に操り、夫の仕事の関係でスペインから来ていた。最終日は「フライトがあるから」と授業を1時間早く切り上げ、さっそうと帰っていった。
こう書くと鉄人をイメージするかもしれないが、「お母さんの笑顔が好きだから」と子供が彼女の笑った口元を印刷したという、ちょっと大きすぎるマスクを時折つけては、みんなを笑わせるなどのユーモアを持ち合わせていた。
日本で彼女のような日本人に出会う機会は少なかった。複数の言語を自由に操り、世界の視点で授業ができる。そして自らが起業もしており、プライベートとビジネスをさっぱり分ける。それなのに距離感は「素敵なお姉さん」。パリの最新トレンドまで押さえている。
カッコいいと思うと同時に、こういう人にもっと会いたくなった。
「このままだとまずい」と痛感した言葉
フランスではこの「衛生パスポート」がないと行動が制限された。2022年1月に撮影。
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ドイツ人とギリシャ人は、しばしば「EU市民として」という言葉を使った。
ベルギー人には「今度僕のバイセクシャルの妹が、レズビアンのパートナーと一緒に住むんだ。すでに妹のパートナーには過去に精子バンクで授かった子どもがいるんだけど、今後は妹とパートナーで精子バンクに行って2人で子供を持とうかと話しているみたい!」と世間話の中でいわれた。
どれも日本では感じたことがない感覚で「このままだとまずい」と思った。著者たちがいっていた「グローバル感覚」「外に出なさい」とはこのことか、と悟った。
確かに、世界はどんどん垣根がなくなっていく。そのなかで、英語が話せなかったり、共通感覚をもっていなかったりすることは、リングに登れないことを意味するのではないか。
日本の人口は確実に減少し、それに伴い存在感が落ちていく可能性も高い。縮小する市場で生きていくしか選択肢がない自分になりたくないと感じた。
決意して数カ月後には、ベルギー移住
ベルギー・ディナンで撮影。
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3週間の短期留学が終わると、一刻もはやく海外に出た方がいいと決意した。
帰国後からインターネットで検索を始め、「欧州ビジネス・経済政策」を大学院で学ぶことにした。
選んだ場所は、欧州の中心地で議会があるベルギーだ。合格通知を5月にもらい、6月に会社を辞めることを上司に伝えた。ありがたいことに、とても温かく送り出してくれた。
退職準備とビザなどの準備を同時に行い、8月には私は欧州にいた。
そろそろベルギーに拠点を移して、3カ月目に入った。ずっと日本で育ってきた私は公用語の1つであるフランス語は全く話せず、英語でも日々苦労している。それでも、国際条約や制度が飛び交う授業に少しずつ参加できるようになってきて、フランス語も簡単な言葉を理解しはじめた。毎日できることがどんどん増えていく。成長の速度は日本にいるときの2倍速だ。
安定したキャリアを捨てて得られるもの
大陸から見る日本や「世界」の姿は、すべてが違っていて、日々発見にあふれている。
会社員時代にお付き合いがあった著者の方々も、会社を辞めても変わらず付き合いがあるし、定期的な収入がなくなったくらいしか変化はない。「一緒に仕事をしたい」と声をかけてくれる方々もおり、日本企業から依頼される文章の編集業務などをリモートでこなしながら、なんとか普通に生活できている。留学費用や生活費などについて、詳しくはまた別の機会に紹介したい。
日本を飛び出した今だからこそ思うのが、やってみれば意外とどうにかなる、ということ。会社を辞めて海外留学となれば、年齢を気にする人もいるかもしれないが、まさに「年齢はバイアス」でしかない。
「なんとなくまずい」とわかっていても、行動に移す勇気がないことのほうが多いだろうし、私自身、1年前はこんなキャリアは全く想像していなかった。
しかし、捨てることで得られるものの大きさも、いま改めて実感している。
(文・雨宮百子、編集・横山耕太郎)
雨宮百子(あめみや・ももこ):ベルギー在住のエディター。早稲田大学政治経済学部卒業後、Forbes JAPAN編集部でエディター・アシスタントを経て、日本経済新聞社に入社。記者として就活やベンチャーを取材する。その後、日本経済新聞出版社(現・日経BP)に書籍編集者として出向、60冊以上のビジネス書を作る。担当した『日経文庫 SDGs入門』『お父さんが教える13歳からの金融入門』は10万部を超える。就業中に名古屋商科大学院で経営学修士(MBA)を取得。2022年8月に退職・独立し、ベルギーに。若者版ダボス会議と言われるOne Young World 2022に日本代表として参加。現在はルーヴァン経営学院の上級修士課程で欧州ビジネス・経済政策を学ぶ。メディアへの執筆のほか、編集業務や海外企業の日本進出支援も行っている。Twitterは @amemiyaedit、「アラサー女子の社会人留学」としてボイシーでも配信。