ウィシュマ・サンダマリさんの死の真実を求めて 日本政府を提訴した妹たち
ニコラス・ヨン、BBCニュース
明通寺は、愛知県の愛西市という、あまり知られていない街にある。
スリランカのカダワサ地区にある自宅から9000キロ以上離れたこの場所で、ラトナヤケ・リヤナゲ・ウィシュマ・サンダマリさんは永眠している。
ウィシュマさんは2021年3月6日、愛知県名古屋市の出入国在留管理局の収容施設で亡くなった。学生ビザの在留期限が過ぎ、オーバーステイしていたウィシュマさんは、難民申請を行った後、7カ月間収容されていた。
「夢の中にさえ、姉が出てきます」と、妹のワヨミ・ラトナヤケさん(30)はBBCに語った。「姉は33歳で亡くなりました。もっと長く生きられたはずなのに」。
複数報道によると、ウィシュマさんは2007年以降に日本の入管当局の収容施設で死亡した、18人目の外国人だった。日本は世界で最も難民受け入れ率が低い国のひとつ。サンダマリさんの死を受け、こうした施設に収容された人々の処遇改善を当局に求める圧力が高まっている。
ストレスによる胃の病気のため、ウィシュマさんの体重は収容中に20キロ減った。ウィシュマさんと面会した活動家は、極度のストレスから健康状態が悪化し続けていたとしている。亡くなる前の数日間は吐血していたという。
ウィシュマさんは繰り返し、病院に連れて行くよう訴え、仮放免を求めた。だが、いずれも拒否された。
2021年8月の出入国在留管理庁による調査報告書は、収容施設の職員に人権意識の欠如が見られ、ウィシュマさんの病状の詳細が共有されていなかったと結論付けた。また、仮放免を認めさせようと、被収容者が病気だと偽ることがあると考える職員もいたという。
ところが検察当局は、ウィシュマさんの死をめぐり、名古屋の入管施設の職員13人について不起訴処分とした。入管庁からは独立している検察審査会は、不起訴処分は不当と議決した。
ウィシュマさんの妹のワヨミさんとポールニマさん(28)らラトナヤケ一家は、日本政府が適切な食事と医療を提供しなかったとして、損害賠償を求めて提訴している。この訴訟は2022年3月から続いている。
「適切な投薬を受けていれば、姉は死なずに済んだでしょう」と、ワヨミさんは述べた。「私たちは姉のために正義を求めます。日本政府には、姉に起きたことへの責任がある」。
名古屋の施設の監視カメラ映像には、ウィシュマさんが亡くなるまでの数日間の様子が、約295時間分記録されている。
このうちの5時間分の映像が、名古屋の裁判所に証拠として提出された。遺族の弁護士は4月、その一部を公開した。
遺族側の弁護団がBBCに見せた映像には、衰弱しているように見えるウィシュマさんが毛布を掛けた状態でベッドに横たわり、施設職員と会話する様子が記録されている。ウィシュマさんは「飲んでいない。1個も飲んでいない。できない」、「息もできない」、「死ぬ」などと話している。
日本メディアも、ウィシュマさんが3月23日に嘔吐(おうと)した後に病院に連れて行ってほしいと何度も頼んでいたと報じた。「私、きょう夜、死ぬ」とウィシュマさんが言うと、職員は「大丈夫、死なないよ。死んだら困る。ほかのこと考えよう」と答えている。
ウィシュマさんが亡くなった日の映像には、職員2人がウィシュマさんの蘇生を試みる場面が映っている。1人はウィシュマさんの指先が「冷たい気がする」と話し、もう1人は「サンダマリさん、聞こえる?」と大声で尋ねている。
ポールニマさんにとってつらい映像だった。法廷で映像の一部を見ることを認められたが、耐えられなかった。「姉は病院にいるべきでした。収容施設の人たちは姉のことを気にかけていなかった」と、ポールニマさんは話した。
ワヨミさんはこう付け加えた。「収容施設にいる被収容者が保護されるよう、日本のシステムに変化を起こすべきです」。
ウィシュマさんの死は日本を騒然とさせ、日本政府は2021年、物議を醸した入管法改正法案の廃案に追い込まれた。
しかし、それから2年以上が経過した今年5月、出入国管理及び難民認定法の改正案が、衆院本会議で賛成多数で可決。6月には参院本会議でも賛成多数で可決、成立し、来年に施行されることとなった。これまでは、難民認定の申請中の送還は認められていなかったが、改正入管難民法では、3回目以降の申請者については「相当の理由」が示されなければ送還が可能になる。
公式データによると、昨年に日本が難民と認定したのは、申請者3772人のうちわずか202人だった。
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチの笠井哲平さんは、日本政府が移民や亡命希望者の無期限収容をやめる具体的な措置を取っていれば、ウィシュマ・サンダマリさんなどの外国人収容者の死は防げたかもしれないと、BBCに語った。
笠井さんは以前、日本の移民・難民政策は長らく、お役所仕事と、不必要に制限的な措置から抜け出せずにいると指摘していた。難民申請者の中には、司法の監視なしに施設に長期間収容され、時には医療サービスへの適切なアクセスも得られずにいる人もいるという。
日本のあらゆるものを愛する
ウィシュマさんは2017年6月、15カ月間の学生ビザで来日し、千葉県の日本語学校に通っていた。
日本のドラマ「おしん」のファンで英語教師だった彼女は、日本文化を愛し、日本で生活することを願っていたと、ワヨミさんは振り返った。「姉はとても純粋で繊細でした。私たちにとっては母親のような存在で、とても面倒見がよく思いやりのある人でした」。
ウィシュマさんと一番仲が良かったポールニマさんは、姉のことを懐かしそうに思い出した。「一緒に料理をし、ダンスをするのが好きでした」。
姉妹は毎日、時には1日に2回も電話で話をしていた。ウィシュマさんは後に、日本で知り合ったスリランカ人のボーイフレンドと一緒に暮らすようになった。
当局が委託した調査の報告書によると、ウィシュマさんは2018年5月に授業に出席しなくなり、翌月に退学処分を受けた。
その後、静岡の工場で働き始め、2018年9月に難民申請をした。申請は2019年1月に却下された。
2020年8月、家庭内で虐待を受けたとして交番に出向いた。すると、オーバーステイの疑いで逮捕され、名古屋の入管施設に収容された。
ウィシュマさんは当初、スリランカへの帰国を希望していたが、新型コロナウイルス対策の規制により航空機を利用できなかった。2020年12月には気が変わり、収容生活が続いた。
報告書によると、2021年1月から体調不良に悩まされるようになり、その翌月には容体が悪化し始めた。
「何かの間違いだと思った」
ラトナヤケ一家は、ウィシュマさんのこうした状況をまったく知らずにいた。母親がウィシュマさんと最後に話をしたのは2018年半ばで、この時ウィシュマさんは、自分から連絡が来なくても心配しないよう家族に伝えたという。
ワヨミさんは2019年10月、ウィシュマさんから結婚を祝うメールを受け取った。その後、連絡を取ろうとしたが、うまくいかなかったという。
そして2021年3月8日、家族はスリランカの警察からウィシュマさんの死を知らされた。「私たちはひどくショックを受けました。自分たちの悲しみを言い表す言葉などありません」と、ワヨミさんは述べた。
同年5月、姉の遺体を確認するため来日した妹たちは、姉だとは認識できなかったという。「ウィシュマの顔は、祖母のようでした」と、ワヨミさんは振り返った。「ひどくやせていました」。
これが、ウィシュマさんとの2年半ぶりの再会だった。新型ウイルスをめぐる規制の影響で、ウィシュマさんの遺体を自宅に持ち帰ることはできなかった。
そのため、名古屋で火葬が行われた。妹たちは葬儀に参列したが、母親の姿はなかった。「母親は精神的に、ウィシュマの遺体を見られる状況ではありませんでした」と、ワヨミさんは述べた。
スリランカでレジ係として働いていたワヨミさんも、保育士だったポールニマさんも、仕事を諦めた。現在は日本の友人のアパートに滞在している。2人の生活費と裁判費用は日本の人々の寄付でまかなわれている。
ただ、誰もが同情的なわけではない。日本維新の会の梅村みずほ参院議員は5月、ウィシュマさんの死について、活動家が扇動したハンガーストライキが原因ではないかと示唆し、6カ月の党員資格停止処分を受けた。
スリランカでは、ウィシュマさんの事件が広く議論され、監視カメラ映像の一部がオンライン上で拡散されている。野党などは政府に対し、日本との間でこの問題を取り上げるよう求めている。
しかし、同国最大の英字新聞サンデー・オブザーバーのプラモド・デ・シルバ編集長は、この事件がスリランカ人の日本に対する「圧倒的に肯定的な」見方に影響を与えたとは考えていないと、BBCに語った。
日本はスリランカにとって最大の援助と投資を行う国のひとつだ。デ・シルバ編集長は、日本は外国人の労働者や移民に門戸を開く中で、スリランカに「かなりの割り当て」を与える可能性が高いとみている。
ウィシュマさんの妹たちの闘いは続く。「私たちは決してあきらめません。私たちは最後まで闘います」。